【英米論3】新自由主義という全体主義:不遇者の雇用を生む戦争、不平等を拡大させる社会正義運動

政治・社会, 文明文化の話

英米論の第三弾は切り口を変えて現代人を悩ませる新自由主義(ネオリベラリズム、neoliberalism)の問題を取り上げます。

新自由主義については散々語られてきましたが、今回は戦争やフェミニズムを交えた議論を紹介します。新自由主義の怖さは微温的生存を許す包容力にあると思います。それなりに居心地がいいのでアンチ勢力がいても容易にそこから抜け出せません。

 

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最初に取り上げる記事の著者はジョー・ブルノリ(Joe Brunoli)というアメリカ市民権を持つイタリア人です。

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新自由主義の10箇条教義

原文のtenetには「科学的に実証されてもいないのに何となく正しいとされている」という侮蔑的なニュアンスがこめられています。宗教上の教義に限らず、社会通念や制度的思考などから導かれる信条(信念)全般を指し示すことができる便利なことばです。

経済学は特にtenetのはびこりやすい疑似科学的な側面を持ちます。マルクス経済学の例を挙げるまでもなく、政治と癒着した「教義」ほど始末におえないものもありません。

原文

The tenets of neoliberalism are as follows:

  1. “Market-based” solutions are the most stable and are inherently more sustainable than “top-down” publicly funded programmes that rely on the “arbitrary” redistribution of wealth and resources.
  2. The market is the ultimate arbiter of an individual’s worth and it allocates resources to individuals and groups based on a “natural and immutable” process that should not be questioned, perverted or impeded by Government.
  3. Because the market is an impartial and efficient distributor of resources, wealth and income inequality is actually a moral imperative and the people who accrue more resources deserve their wealth, while the “losers” who have not been able to thrive in the market environment must simply accept their fate because there is no sustainable alternative to the market-based system.
  4. This means that wealthy, well-educated elites consider themselves to have achieved their status based solely on their own merit, and they are convinced that anyone else could do what they have done, if they just had enough ambition, drive, focus, etc. (i.e., “we can provide equal opportunity but not equal outcomes”).
  5. Having risen to the top of the meritocracy, these elites have a certain responsibility, and must abide by a code that is an economic version of “noblesse oblige”. It falls to them properly oversee the orderly, market-driven operations of the society (as Thomas Frank writes in his book, Listen, Liberal, this is a tenet of the current Democratic Party).
  6. The market is self-correcting and, left alone, will always balance itself out (hence deregulation, dropping Glass-Steagall, etc.).
  7. Because the market is infallible, privatization is the only sustainable solution. “Public-Private Partnerships” are acceptable only as a transitional model with the goal of eventual full privatization.
  8. Human beings do not have any rights simply because they are citizens of a country — indeed, any tangible benefits (healthcare, welfare, etc.) that an individual receives from the State must be earned and not simply granted as a right (hence “ending Welfare as we know it”).
  9. Globalization represents the natural evolution of Market-based economies and, like Darwin’s theory, are accepted as fact by all reasonable and educated people. Like the irresistible “market forces” that drive an economy, globalization is an inexorable and unstoppable process that can only be embraced, accepted and profited from (hence NAFTA, WTO, TPP).
  10. Globalization will eventually do for the world what the Market does in a nation’s economy: it will allocate resources to the most deserving, and there will be winners and losers on a global level. Nation-states will lose their relevance and become insignificant as the market grows to encompass all areas of human endeavour everywhere, with world-straddling mega-moguls and oligarchs exercising power over billions via a global Market system that has, in its wisdom, seen fit to position them atop the heap of humanity (i,e., “Rollerball”).

私訳

新自由主義は次の各項をその教義とする。

  1. 富と資源は市場原理に基づく再分配が最も安定的である。政府のトップダウン政策で公金を振り分ける「恣意的な」再分配に比べ、本質的な持続可能性をもつからである。
  2. 市場が個人の値打ちを最終的に決める。市場は「自然で動かしがたい」プロセスであって、個人や組織への資源の割り当てに関して、政府が市場に疑問を投げかけること、市場を歪めたり妨害したりすることは避けなければならない。
  3. 市場は公平かつ効率的な資源の分配者である。富と所得の不均衡は実際にはひとつの道徳的義務であって、他より多くの資源を生む者は富の所有に値するから富むのである。市場環境で成功できなかった「敗者」は甘んじて運命を受け入れるしかない。市場原理システムはそれに代わる持続可能な選択肢を用意していないためである。
  4. 以上は、高学歴の富裕エリートは己の実力に見合った地位を達成したことを意味している。人間は十分な意思、意欲、集中力などを発揮すれば同様の結果に到達しうるというのが彼らエリートの信条である(市場が提供するのは「機会の平等」だけで「結果の平等」ではない」)。
  5. 能力主義の頂点に登りつめたエリートは一定の責務、いわば経済版「ノブレス・オブリージュ」を負う。市場原理に基づく秩序ある社会の運営を彼らは担当しなければならない(歴史家トーマス・フランクが著書『Listen、Liberal』で指摘するように、これが現在の民主党の綱領である)。
  6. 市場は自己修正システムであり、自ら行き過ぎを是正する(規制緩和、グラス・スティーガル法の廃止などの背景にある認識)。
  7. 市場は無謬である。唯一持続可能な人為的介入は民営化である。「官民協業」は完全民営化への移行モデルである限りにおいてのみ妥当である。
  8. 人間は単に国民であるだけではいかなる権利も持たない。医療、福祉など政府が国民に提供するサービスは国民の権利として提供されるべきものではなく、個人が自ら費用を負担すべき性質のものである。
  9. グローバリゼーションは市場経済の自然的進化の帰結であり、ダーウィンの進化論同様、すべての教育ある理性人が事実として受け入れるべきものである。市場の有無を言わせぬ力が経済を牽引するごとく、グローバリゼーションは誰もが歓迎し、受け入れ、そこから利益を引き出すべき不可避でとどめようのないプロセスである(NAFTA、WTO、TPPなどの国際的枠組みはこの観点から推進される)。
  10. グローバリゼーションは究極、市場が各国の経済に為すことを世界全体に為す。最もふさわしい者に多くの資源が割り当てられるから、世界は勝者と敗者に二分される。人間の営為が及ぶすべての領域に市場原理が行き渡れば、現行のネーション・ステート(国民国家)は存在価値を失い、無意味な存在となる。国家形態に代わり、その叡智にふさわしい支配層と選良エリートが人類の頂に君臨し、グローバル市場システムを通じて数十億の民に対して力をふるうことになる(小説・映画『ローラーボール』の世界)。

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死の上に築かれた経済

We cannot stop making war because our economy runs on death. The tentacles of the Military Industrial Complex are sunk deep into every Congressional District, and the manufacture and sale of weapons have now become the dominant US industry in terms of providing “good manufacturing jobs.” All other such jobs have been outsourced and off-shored under a succession of neoliberal trade agreements.

The US Military Industrial Complex has been given immunity from the neoliberal “Market forces” that have ravaged all other sectors of the American manufacturing base. This was done on a bipartisan basis over decades. And now we must accept the fact that the US economy literally runs on spreading death and misery around the world.

The solution? Reject neoliberalism.

私たちは戦争をやめられない。屍の上で繁栄が築かれているからだ。 軍産複合体の触手は全国津々浦々の選挙区の奥深くに浸透し、武器の製造販売は「良質な製造職」を提供するという意味でアメリカの主要産業になっている。他の「良質な製造職」は新自由主義的な貿易協定の下ですべて外注もしくはオフショア化されてしまった。

新自由主義の市場原理はアメリカ製造業の諸部門を容赦なく破壊したが、軍産複合体だけは例外だ。軍事産業の聖域化は数十年にわたって超党派的に行われてきた。そして今、私たちはアメリカ経済が文字通り世界中に死と悲惨をまき散らすことで運転されている事実を認めなければならない。

解決案?新自由主義を拒絶することだ。

ネオコン的ビジネスの台頭

このような軍産複合体の「免責特権」の起点には新自由主義を本格化させたレーガン大統領の反戦主義者嫌いがあります。大義なきベトナム戦争への反戦運動が高まり、徴兵制の中止を余儀なくされたアメリカ連邦政府は、製造業で立ち行かなくなった1980年代、新たな雇用先を戦争に求め始めたのです。国民を貧しくする政策を続ければ、奨学金や恩給につられて優秀な志願兵をリクルートできるからです。

The soldiers who fought for the Roman Empire did not do so for “the glory of Rome.” Sure, that was the bravado, that was the official line, but everyone knew that the real reason was money and wealth. For the foot soldier, it was his salarium, or salary, which at one time in the early Empire meant literally a handful of salt a day. For the officer, there was the promise of land, farms and resources from the conquered territories.

Likewise, British soldiers were 100% “paid professionals” up until the first draft in 1916. The empire was built by paid British soldiers as well as mercenaries from all over the globe (Hessians, Gurkhas, etc.).

It is not so different in the US forces today. Sure, many people join the military out of tradition, out of patriotism (as in after 9/11), but for the vast majority of recruits, they join because they, like Jessica Lynch, have nowhere else to go in order to get ahead.

ローマ帝国の兵士は「ローマの栄光」のために戦ったのではない。確かに公式見解では兵士の士気が強調された。でも参戦の本当の理由がおかねと富にあることはみな知っていた。サラリーの語源が塩にあるように、初期ローマ帝国軍の歩兵にとって給与は文字通り一握りの塩だった。将校級にとっては征服した領土の土地、農場、資源は自分のものになると約束されていたのだ。

大英帝国の場合も同様だ。1916年、初めて徴兵制が敷かれるまでイギリス兵は全員「有給の専門家」だった。有給のイギリス兵と世界各地から集まった傭兵(ドイツのヘッセン人やネパールのグルカー人)によって帝国は築かれたのだ。

現代のアメリカ軍でも事情はほとんど変わらない。中には伝統を重んじる心から、あるいは911以後なら愛国心から入隊する者もいる。しかし大方の新兵は、あのジェシカ・リンチと同じく、軍で働く以外、前に進めないから軍隊に入るのである。

ネオコンが主導する戦争ビジネスにとって新自由主義ほど都合のいいイデオロギーは他にないでしょう。市場原理が「経済的に恵まれない有能な」若者を大量生産し、彼らを軍に誘い込んでくれるのですから。戦争は失業対策だったのです。

フェミニストにも評判の悪い新自由主義

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以下の記事を書いたナンシー・フレーザー(Nancy Frazer)は有名なフェミニズムのリベラルな政治学者ですが、その彼女でさえ新自由主義にダメ出ししています。進歩主義の新自由主義者(progressive neoliberal)たちが、無自覚のうちに彼らの本来の理想(=社会的弱者のエンパワメント)とは逆方向の動きに加担してしまったというのです。

Trump’s victory is not solely a revolt against global finance. What his voters rejected was not neoliberalism tout court, but progressive neoliberalism. This may sound to some like an oxymoron, but it is a real, if perverse, political alignment that holds the key to understanding the U.S. election results and perhaps some developments elsewhere too.

トランプの勝利はグローバル金融主義に対する反乱にとどまらない。彼に投票した有権者は文字通りの新自由主義を拒絶したのではなく、「進歩派の」新自由主義を拒絶したのである。これは言葉遊びの類ではない。いかに倒錯的に見えても、この新たな政治勢力図こそ、近年の欧米諸国の民意の動きを理解する鍵なのである。

In its US form, progressive neoliberalism is an alliance of mainstream currents of new social movements (feminism, anti-racism, multiculturalism and LGBTQ rights), on the one side, and high-end »symbolic« and service-based sectors of business (Wall Street, Silicon Valley and Hollywood) on the other. In this alliance, progressive forces are effectively joined with the forces of cognitive capitalism, especially financialization. However unwittingly, the former lend their charisma to the latter. Ideals like diversity and empowerment, which could in principle serve different ends, now gloss policies that have devastated manufacturing and the middle-class livelihoods that were once available to those engaged in it.

アメリカ式の「進歩派の」新自由主義(progressive neoliberalism)は、新社会運動の主流勢力(フェミニズム、反人種差別、多文化主義、LGBTQ権利など)と、現代の上流階層を象徴する非製造系サービス企業群(ウォールストリート、シリコンバレー、ハリウッドなど)の同盟関係によって担われてきた。この同盟において進歩主義者たちは、非物質的労働の比重が高い認知資本主義(特に金融資本主義の信奉者たち)と効果的な協調関係を築いたのである。しかし彼らは知らず知らずのうちに、自分たちのカリスマ性をサービス企業に利用された。多様性やエンパワメントは本来もっと広い目的に資する理想だったはずだが、いまや製造業の空洞化やミドルクラスの破壊に邁進する政策の見栄えをよくする光沢剤に堕している。

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全体主義に近づく新自由主義

ブルノリ氏の趣旨は、要するにグローバリズム専制への批判です。「政府介入は無用」、「財政出動は市場を歪める」、「規制緩和が先だ」、「運と努力の世界はぜんぶ自己責任だ」と言って庶民をどんどん追い込む陰で、支配層と戦争屋は深く癒着していて、武器だけは言い値の世界。市場原理などどこにも介在しないではないか。実際、アメリカは中国の助け(?)を借りながら、どんどん軍事予算を増やしています。

フレーザー氏は、進歩派はいったい誰のために運動しているのだと批判しています。彼らの社会正義運動は、ハゲタカ資本主義の本性をきれいに見せる最新コスメの一種に過ぎないではないか、というわけです。エンパワメントは誰に力をつけさせたのか?社会的弱者ではなく、エリートだったではないか、と。

左翼がいない!もちろん右翼も!

どちらの意見もリベラルから出ているわけですが、昔なら抗議の声はまず「左翼」が上げるものでした。現在の世界はそのような「伝統的左翼」がいない点が異様です。破壊に破壊を尽くした結果、もう破壊するものがなくなって「左翼」が存在理由を失い消滅したかのようです。

アメリカにもヨーロッパにも、もちろん日本にも「パヨク」はいても「愛国左翼」は存在しないのです。存在するのは圧倒的多数の「何となくリベラル」と時代倒錯的な「反動保守」(保守に関しても、伝統の否定から始まった戦後日本に、本来の意味での保守は存在しません)だけ。

例えば、40代から下の日本人には共産党が「保守」で自民党が「革新」に見えるようです。言われてみれば、戦後レジームを何一つ変えようとしない共産党を「革新」と呼ぶのは洒落が過ぎるというものです(いまも十年一律同じ自民批判を行っています)。昔の感覚の方がどうかしていたのかもしれません。

新自由主義と共産主義の終着点は同じ?

以上のような世界的現象は何を示唆するのでしょうか?

批判勢力が欠如しているのですから、いくら新自由主義を批判しても批判勢力から生まれるはずの是正案は出てこないことになります。なし崩しの「人類総リベラル化」が起きて全体主義化している感じがします。新自由主義の行き着く先は共産主義と大差なく、穏やかな白昼夢のような、自発的全体主義社会なのかもしれません(その意味では、アメリカ民主党と中国共産党がウマが合うのもうなずけます)。

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またぞろ一神教?

こうした全体主義的傾向はどうして生まれてくるのかと言えば、新自由主義者や進歩主義者の頭の中がいまだに「一神教」に支配されているからでしょう。いわゆる普遍主義(universalism)です。

ところが彼らホワイトこそ普遍を唱えつつ、「ナンバーワンの白色人種」というアイデンティティを死守しようとするアイデンティティ・ポリティクスの狂信者に見えます。彼らが言葉や理念の上でいくら多様性や人種平等、男女同権、ジェンダーフリーなどの綺麗ごとを訴えても、それらを拒絶する自由を奪うならそれは全体主義に他なりません。

新自由主義は「マーケット」を、進歩主義者は「平等」を唯一神に祀り上げたに過ぎず、一神教徒特有の排他性・攻撃性をそっくりそのまま受け継いでいます。三つ子の魂百までという感じで気持ち悪いです。

結局、これって白人同士の内輪喧嘩なんじゃないでしょうか?

どちらに転んでも白人優位の世界構造は温存され、未来社会へずれ込んでいくわけですから。

 

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