【Queenライ三部作02】Seven Seas of Rhye:善悪を超えたものを善悪で裁くということ

2019-03-06♪音楽, 宗教, 文明文化の話, 歴史

前回の記事で、フレディは「諸対立の合一」の象徴としてマーキュリーを芸名に選んだのではないかとお話しました。

今回は「ライ三部作」の中で一番有名なSeven Seas of Rhyeの話題です。このRhyeという語は辞書には載っていません。いったいどういう意味なのでしょう?それを調べるところからフレディの苦悩に迫ってみたいと思います。

 

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Seven Seas of Rhye

まずは歌詞とその対訳をお目にかけましょう。

Fear me you lords and lady preachers
I descend upon your earth from the skies
I command your very souls you unbelievers
Bring before me what is mine
The seven seas of rhye

我を恐れぬか、貴族らよ、女説教師らよ
我は天空より汝らの地に降り立つ
不信心者よ、汝らの赤心に命ずる
我のものを我の前に差し出せ
ライの七つの海を

Can you hear me you peers and privy counsellors
I stand before you naked to the eyes
I will destroy any man who dares abuse my trust
I swear that you’ll be mine
The seven seas of rhye

聞こえるか、上院議員らよ、諮問委員らよ、
我は汝らの眼前に立ち
我の信頼を踏みにじり者全員を潰す
必ずや汝らを我に従わせん
心せよ、ライの七つの海よ

Sister – I live and lie for you
Mister – do and I’ll die
You are mine I possess you
I belong to you forever

女よ、汝らのために我は生き嘘を吐く
男よ、汝のところのものを為せ、さもなくば我果てん
汝らは我のもの、我が持ち物
我は永遠に汝らとともにあり

Storm the master-marathon I’ll fly through
By flash and thunder-fire I’ll survive
Then I’ll defy the laws of nature and come out alive
Then I’ll get you

強者どものマラソンを急襲せよ、我は空を切り
閃光と雷火により生き残らん
しかして我は天則を破るも死すことなく
汝らをこの手に捕えん

Be gone with you – you shod and shady senators
Give out the good, leave out the bad evil cries
I challenge the mighty titan and his troubadours
And with a smile
I’ll take you to the seven seas of rhye

さあ立ち去れ、高靴のいかがわしき元老院議員よ
善を分け与えよ、邪な悪魔の叫びを取り除け
我は巨人タイタンと奴の御用詩人らに挑む
しかして微笑みつつ
汝らをライの七つの海に連れ戻らん

 

解釈1:腐敗を嘆く王の歌?

この曲の話者はライ王国の妖精王自身と思われます。My Fairy Kingで「人間」に魔法の手を奪われた彼はそらくライを追われたのでしょう。彼の不在の間に、すっかりライは堕落してしまったようです。彼は嘆き、腐敗した政治家や聖職者を鼓舞します。彼は昔の楽園を取り戻しに来たのでしょうか?

Rhyeの意味

オンラインの俗語辞書からの情報です。

神の子と間違われる人?

A person often confused as being the son of god.

よく神の子と間違われる人のこと。

例文:
Seb: Hey is that gods son? (ねえ、あれって神の子なの?)
Jacob: No it’s not, it’s just Rhye…(いや、単なるライだよ)

再臨するイエスの名前?

The Name given by YAHWEH at the Commencement of the End Days to his Son for the Second Coming.

ヨハネ黙示録で、ヤハウェが終末のはじめに彼の子(イエス)の再臨に際して授けた名前。

以下の黙示録第19章12-16節にRHYEと書かれているというのです。これが本当なら、なかなかすごいことだと思うのですが・・・

12 His eyes were as a flame of fire, and on his head were many crowns; and he had a name written RHYE, that no man knew, but he himself.
13 And he was clothed with a vesture dipped in blood: and his name RHYE is called The Word of God.
14 And the armies which were in heaven followed him upon white horses, clothed in fine linen, white and clean.
15 And out of his mouth goeth a sharp sword, that with it he should smite the nations: and he shall rule them with a rod of iron: and he treadeth the winepress of the fierceness and wrath of Almighty God.
16 And he hath on his vesture and on his thigh a name RHYE written, KING OF KINGS, AND LORD OF LORDS.

しかし、ネットで調べたところ、上のように書かれている英訳聖書は見つかりませんでした。通常はRHYEの部分がごっそり抜けているか、別のことばに置き換えられています。2つほど例を示します。

King James Version:
His eyes were as a flame of fire, and on his head were many crowns; and he had a name written, that no man knew, but he himself.

New International Version:
His eyes are like blazing fire, and on his head are many crowns. He has a name written on him that no one knows but he himself.

もどかしいけれど真偽は闇の中・・・

ウェールズ語名Rhiannonの派生形

これは英語の名づけに使われる命名情報サイトから。Rhyeはウェールズ系のRhiannonという名前の愛称(短縮形)のようです。

Rhiannon’s language of origin is Welsh, and it is used largely in the English and Welsh languages. It is derived from rigantona meaning ‘great queen’ ; rigan ‘queen’. An original form of Rhiannon is Rigantona (Celtic). The Celtic rigantona was a royal title meaning ‘great queen’. The name was borne in the Mabinogion of Welsh mythology by the horse goddess; she was also the daughter of Hefeydd the Old. It was first used as a given name in the 20th century, and popularized among English speakers by the Fleetwood Mac hit song Rhiannon (1976).

Rhiannonはウェールズ語に由来し、英語とウェールズ語で使われる。語源は「偉大な女王」を意味するrigantona(riganは女王の意)。ケルト語の「偉大な女王」を意味する尊称。ウェールズ神話のマピノギオンに登場する馬の女神から派生した。RhiannonはHefeydd the Old(Hefeydd Hen)の娘。20世紀に初めて名前に使われ始めたが、英語話者の間で人気が出たのは1976年のフリートウッド・マックのヒット曲 “Rhiannon” 以降。

解釈2:望郷の歌?

たまたまネットで以下のBBC記事を見つけて気になることが出てきました。

2006年、フレディの生誕地ザンジバル(Zanzibar)のストーンタウン(Stone Town)でフレディの生誕60年を祝うビーチパーティを開こうとしたところ、イスラム団体が抗議をしたという事件です。原因はフレディの同性愛です。イスラム教のコーランは(キリスト教の聖書もそうですが)同性愛を忌むべきものとして禁じているから、ザンジバルが同性愛を認めていると誤解されたくないというのです。

生まれ故郷とすれ違う人生

フレディ自身どこかのインタビューで答えていましたが、彼はマセガキ(彼自身、precociousと表現していました)だったので「8歳のとき、親にインドのムンバイに引っ越させられ、親戚の家から宗教に寛容なイギリス国教会系の学校に通ったんだ」。多感で、はしこいフレディ少年は絵やピアノに熱中しバンドも組むまでになります。そして1963年ザンジバルに戻って再び両親と暮らし始めます。

「zanzibar map」の画像検索結果

ところが翌年ザンジバル現地人が起こしたザンジバル革命で、支配階級のオマーン人や比較的恵まれた地位にあったインド人が多数殺されます。身の危険を感じたフレディ一家はイギリスへ亡命し、二度とザンジバルに戻ることはありませんでした。ザンジバルとフレディはすれ違う宿命だったようです。

ザンジバルの歴史

ザンジバルはいまタンザニア連合共和国に属する自治領です。簡単に歴史をおさらいすると、ヨーロッパ人で初めてこの島にやってきたのはインドを見つけたバスコ・ダ・ガマでした。この頃はイスラム系のキルワ王国(Kilwa Sultanate)の領地だったのですが、16世紀初頭キルワ王国がポルトガルに滅ぼされると、ポルトガルの支配を受けるようになります。17世紀終わりに今度はオマーン(Oman)に征服されて奴隷貿易、香辛料貿易、象牙貿易の拠点になりました(オマーンはポルトガルを駆逐しインド洋の覇者となりオマーン海上帝国を築いたのですが、詳しくは以下の記事をご覧ください)。

その後19世紀末にイギリスの保護領となり奴隷制が廃止されました。1963年12月にはオマーンのスルタンを戴きながらもイギリス連邦の一員として独立を果たします。しかし翌年1月、現地民主体の革命組織がクーデターを起こし、スルタンを放伐しました。ザンジバル革命です。その後、大陸対岸のタンガニーカと合併してタンザニア連合共和国に参加、革命政権が強い自治権を維持したまま現在に至ります。

「ザンジバル」の画像検索結果

インドとアラビア半島とアフリカ東河岸を結んだスワヒリ文化

イスラム化日本ではあまり知られていませんが、インド洋には古代から交易の歴史があり、インドとアラビア半島とアフリカ東海岸は物資の交易によって結ばれていました。アラビア半島でイスラム教が成立したのは6世紀ですが、7世紀終わりにはアフリカ東海岸にイスラム教が伝来していたと言います。

アフリカ現地のバントゥー語(Bantu)にイスラム文化が影響を与えた結果、スワヒリ語(Kiswahili)が成立し、スワヒリ文化の基盤となります。おそらく10世紀、イスラム征服後のイラン(シーラーズ)からスルタンがキルワ島に移住し、キルワ国を建設した頃だと推定されています。

キルワ王国はオマーンやイエメンと密接な関係を築きながら発展して14世紀に最盛期を迎えますが、スルタン同士の政争などで徐々に衰え、16世紀はじめにポルトガルの植民地となります。フレディの両親がザンジバルに移住したのはけっして珍しい行動ではなかったのです。

フレディの宗教モザイクな人生

フレディは外界にはイスラム教、家庭にはゾロアスター教があり、キリスト教系の教育を受けるという日本では想像つかないような宗教モザイクの中で育ち、インド、ザンジバル、イギリスを結ぶトライアングルの中で生きました。フレディがいつから自分のセクシャリティを自覚したかは知りませんが、フレディの身近にあった教えは、ゾロアスター教もイスラム教もキリスト教もどれひとつとして同性愛を許していません。

性の禁忌

象徴的なのはヴェンディダード(Vendidad、ゾロアスター教のアヴェスター経典に含まれる)という戒律書にある次のような禁則です。

The man lies with mankind as man lies with womankind, or woman with mankind, is a man that is a Daeva.

男が女と寝るように、女が男と寝るように、男と寝る男はダエーワである。

ダエーワとはゾロアスター教の悪魔のことです。同性愛は罪であることを超えて悪魔の所業と最大限の戒めを与えているわけです。フレディが最後の最後までカミングアウトできなかったのも頷けます。

ヒライスの情

上の写真をご覧になればわかるようにザンジバルはホントにきれいなところですね。フレディはおそらく帰りたかったのはではないでしょうか。でも帰りたくても帰れなかった。Seven Seas of Rhyeの終わりの数小節に、以下の古い曲が流れます。夏の浜辺が恋しいと歌う20世紀初頭のダンスホールで流行った曲です。

ウェールズつながりで言えば、ウェールズ語に望郷の念を表すヒライス(hiraeth)ということばがあります。

「hiraeth meaning」の画像検索結果

一対一対応する英単語のないことばです。意味を調べていくとフレディのザンジバルに対する気持ちを表すのにピッタリのように思います。実際、フレディがライの国で思い浮かべていたのはザンジバルの情景なのかもしれません。だから妖精なのかも。彼の歌詞によく出てくる戦争や破壊はその反対物の表象、例えばザンジバル革命の凄惨な現実だったのかもしれないとも感じます。

“I Do Like To Be Beside the Seaside” Mark Sheridan(1909)

夏休みに海へバカンスに出かけるというライフスタイルがイギリスのワーキングクラスの間で一般化し始めた頃の曲のようです。何もせずビーチでゆっくりするなんて貴族の特権だったのですから、それだけ庶民が豊かになったとも言えるのですが、フレディの場合はこの歌に帰るに帰れない故郷への思いを重ねたのでしょう。切なくなります。

Rhyeはlie?ゾロアスター教との関係

最後になりましたが、Rhye解釈の本命になるかもしれない話です。Seven Seas of Rhye、実はゾロアスター教の悪の王国Kingdom of the Lieのもじりなのではないか。

以下のwikiページの「善悪二元論とゾロアスター教の神々」をご覧になるとわかりますが、戦い合う善神軍団(アムシャ・スプンタ)と悪神軍団はちょうど7神ずつに分かれています。7という数字も歌のタイトルとゾロアスター教を結んでいるのです。自分のセクシャリティを隠して(嘘をついて)生きざるをえなかったフレディは、己を戯画化してKingdom of the Lieの住人もしくは王様になぞらえたのかもしれません。

善と悪の根はひとつという思想

そのように想像するのは、ゾロアスター教の開祖ザラシュストラ(Zarathustra)の考え方がフレディの奥深くに浸透していたかもしれないからです。

ゾロアスター教は世界初の一神教と言われます。しかしアブラハム宗教のように「最高神が悪魔と対立する」とは言っていません。善神も悪神も同じ最高神アフラ・マズダー(Ahura Mazda)の被造物なのです。どうしてザラシュストラはそのように考えたのか、以下のブリタニカの記事を読むとわかってきます。

This ethical dualism is rooted in the Zoroastrian cosmology. He(※Zarathustra)taught that in the beginning there was a meeting between Spenta Mainyu and Ahriman, who were free to choose—in the words of the Gāthās—“life or not life.” This original choice gave birth to a good and an evil principle. Corresponding to the former is a kingdom of justice and truth and to the latter the kingdom of the Lie (Druj), populated by the daevas, the evil spirits (originally prominent old Indo-Iranian gods).

However, the cosmogonic and ethical dualism is not a strict one, because Ahura Mazdā is the father of both spirits, who were divided into the two opposed principles only through their choice and decision.

The Wise Lord, together with the amesha spentas, will at last vanquish the spirit of evil. This message, implying the end of the cosmic and ethical dualism, seems to constitute Zarathustra’s main religious reform. His faith in Ahura Mazdā resolves the old strict dualism.

倫理性を重視する二元論はゾロアスター教の宇宙観に由来する。ザラスシュトラの教えによれば、スプンタ・マンユとアーリマンが初めて遭遇したとき、彼らには選択の自由、『ガーサー』(※ザラスシュトラ自筆の啓典)の表現に従えば「生か非生か」を選ぶ自由があった。彼らの最初の選択の結果、善の原理と悪の原理が生じた。前者に対応するのが「正義と真実(アシャ)の王国」、後者に対応するのが「虚偽(ドルジ)の王国」である。ドルジの王国の住人はダエーワと呼ばれる悪霊だ(インド・イラン共通時代の有力な神族で、ダエーワに対応するインドのデーヴァは善神の扱い)。

とはいえ、ともにアフラ・マズダ―を創造主とする以上、この宇宙または倫理の二元論は厳密な意味での分裂ではない。選択と意思決定の結果、原理的に二項対立しているだけである。

賢き主(アフラ・マズダー)はアムシャ・スプンタと協力して最終的に悪霊を打ち負かす。これは宇宙の倫理的相剋が終わることを示唆しており、ザラスシュトラの宗教改革の力点はこの相剋の終結という点にあったと思われる。彼のアフラ・マズダー信仰が厳格な二元論の因習を打ち破るのである。

嘘を嫌う文化のプレッシャー

おそらく山岳と砂漠の広がる大地を生きた遊牧系の古代イラン民族には、伝統的に「厳格な二元論の因習」があったのは事実でしょう。自然環境は厳しく「白は白、黒は黒」でなければ共同体を維持できなかったのではないでしょうか。例えば、イランの創世神話のひとつに以下のようなものがあります。

In another Iranian variant of this myth, Yama appears as the first mortal and the first ruler. The period of his rule, described as a golden age when there was neither death nor old age, neither hot nor cold, and so on, comes to an end when falsehood enters Yama’s speech. The royal Glory (Khvarnah) flees from Yama and takes refuge in the cosmic sea. Yama is then overthrown by a serpentine tyrant named Azhi Dahāka (“Dahāka the Snake”), whose rule ushers in a period of drought, ruin, and chaos. In turn, Azhi Dahāka is defeated by the hero Thraitauna, who establishes the legendary line of kings called kavis.

ある神話ではヤマが初の人間の支配者として登場する。ヤマの統治時代は死も老いもない、暑さ寒さもない黄金時代と呼ばれたが、ヤマの話すことばに「嘘」が混じったとき終わりを迎える。高貴な栄光を失ったヤマは宇宙の海に非難するが、蛇の暴君アジ・ダハーカに倒される。アジ・ダハーカの支配がはじまると世界は干ばつ、荒廃、混沌の時代となった。英雄トライタウナが生まれアジ・ダハーカを滅ぼすと、トライダウナの子孫からカヴィ(※讃歌を詠む詩人の意)と呼ばれる伝説的な王統譜が築かれことになる。

ポイントはイランの虚偽(嘘)を忌み嫌う文化の「伝統化」です。善なるヤマの「嘘」が世界を二つに引き裂くと、アジ・ダハーカの悪が栄え、トライタウナの善が栄えるというように、延々と闘争が繰り返されます。そうなると、人間は真実(善)と虚偽(悪)のdichotomy(二項対立)があたかも最初からあったかのように認識するようになります。ザラスシュトラは、この原因と結果の取り違えをこそ虚偽として批判したのではないでしょうか。

dichotomyとdualismの違い

その証拠に、ザラシュストラはヤマに対立する悪を「双子」(twin)と呼んでいます。彼の考えでは、悪も善と同じ本質から生まれ、別々の道を歩んだだけなのですから。そして、これが二元論(dualism)の本来の意味です。

しかし人はいつしか二項対立(dichotomy)の罠に落ち、始めから道が2つあると考えてしまうのです。これは認識の罠ともいうべき重要な違いですので英語の定義を並べておきます。

Dualism means two aspects for a subject.
Dichotomy is splitting up of a subject.

ザラシュストラの重い問い

ザラスシュトラの考え方は自由意思を重視する非常に現代的なものですが、それだけにフレディに重い問いを突きつけました。ザラスシュトラにとって同性愛を選択した自由は「悪」(虚偽)ですが、フレディにとっては自然の働きでした。善悪以前の、もしくは善悪を超越したものでした。この認識の齟齬をどうするか、フレディは一生悩んだのではないでしょうか?

Kingdom of the lieが単なる自嘲でないことは明白です。ザラシュストラの教えも現代社会の掟も、お前の自然な欲求に逆らい「嘘」をつけとフレディに強いてくるのですから。だからフレディは最後の最後まで黙っているしかなかったのだと思います。

「zanzibar spice trade」の画像検索結果

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