【歴史・時事】民主主義の内部崩壊

政治・社会, 文明文化の話, 時事ネタ

現役総理が分配なくして成長なしと言って大衆に媚びている現在、非常にタイムリーな考察にぶつかりました。たまたま読んだダイレクトメールにあった文章です。この中に引用されている18世紀の賢人の洞察は、ポストコロナの日本社会を考える上で多くの示唆に富むと思います。

民主主義の危機

原典は以下のサイトにある “A Question of Timing”(著者Jeff Thomas)です。

ここでは、とくに重要と思われる部分をかいつまみ、その意訳をお目にかけます。

For millennia, the playbook has been the same. Countries that had been wonderful to live in, began to deteriorate from within, and the great majority of residents had failed to read the tea leaves – the warning signs that, in the future, conditions were not going to get better; they were going to get worse.

(数々の政治革命に見られるように)人類は何千年ものあいだ同じ台本を演じてきた。かつてまほろばだった国が内部から衰退を始める。今後状況はよくならない、いや悪くなるという危機のシグナルは出ているが、国民の大半はその警告を読み落とす。

アレクサンダー・タイトラーの洞察

なぜ国民は来たるべき危機を見過ごす(fail to read the tea leaves)のでしょうか?

筆者はアレキサンダー・フレーザー・タイトラー(Alexander Fraser Tytler)の一文を引用します。文章全体の要所に当たる文章だと思います。

※タイトラーは18世紀後半に活躍したスコットランド啓蒙期の歴史家で、アダム・スミスの同時代人です。

A democracy is always temporary in nature; it simply cannot exist as a permanent form of government. A democracy will continue to exist up until the time that voters discover they can vote themselves generous gifts from the public treasury. From that moment on, the majority always votes for the candidates who promise the most benefits from the public treasury, with the result that every democracy will finally collapse due to loose fiscal policy, which is always followed by a dictatorship.

民主主義は本質的に儚い性質のもので、永久不変の統治形態としては存在しえない。それは、有権者が国庫から給付金を支給する政策を拒む限りにおいて存続する。有権者の過半数が、国庫から最大の給付を行うと約束する候補者を選んだ瞬間、いかなる民主主義も放漫財政に屈して最終的には瓦解していく。民主主義亡き後にやってくるのはつねに独裁政治である。

民主主義は内部から腐敗する

He further noted that the latter stages of any such decline are marked, first, by complacency, then by apathy. The final stage is invariably one of bondage.

タイトラーは崩壊期の民主主義の特徴として、こう付け加えている。はじめ国民は慢心する、やがて無気力になり、最後は必ず隷属に至る、と。

In some cases of collapse, the country is taken over by an outside force, but invariably, as stated above, the rot always starts from within. It’s simply human nature for the majority of any population, when passing through challenging times, to fall prey to promises that, somehow, a change in the form of government can and will result in the elimination of problematic conditions.

民主主義国家が崩壊する場合、外部勢力に乗っ取られるケースもある。しかし上述のごとく、腐敗の発端はつねに内部にある。これは人間性というしかないが、辛い時代を経験すると国民の大多数はとにかく政治体制を変えよう、そうずれば問題は解決する。その手の空約束の餌食になるのだ。

But how do those who make such claims sell their ideas? Do they suggest that everyone should work harder and practice a greater level of abnegation?

だが、変革主唱者はどうやって己の主張を納得させるのか?もっと一生懸命働き、より一層つましい生活を心がけろとでも言うのか?

Well, no. Although such people may exist and may even become outspoken, they are, historically, never the individuals whom the majority of the population follow. Invariably, the majority (having become complacent and pathetic), choose those who promise to take from one group and share the spoils amongst those who are less productive.

もちろんそうではない。あけすけにそう主張する人間も中にはいるだろうが、歴史を振り返ると国民の多数が従うのはそういう候補者ではない。慢心の時と悲観の時をともに味わった彼らが従うのは、万古一律、富める者から奪って生産手段を持たぬ国民に分け与えそうと公約する候補者なのだ。

As illogical as this promise is, most people, even if they doubt the reality of the claim, tend to think, “Well, it couldn’t be any worse. I might get something, so let’s give it a try.”

そんな公約は筋が通らない。でも同程度に国民の選択も筋が通らない。ほとんどの国民は、政策の実現性に疑問に思う人でさえ、こう考えてしまうのだ。「まあいい。これ以上悪くはなるまい。何がしかもらえるなら、あいつにやらせてみよう」。

危機の兆候

どうでしょうか?現在の世界に通じるものを感じませんか?

もし民主主義が放漫財政から独裁へ至ることで崩壊するなら、バブル後の日本も、リーマンショック後(あるいはポストコロナ)のアメリカも独裁への道を歩んでいるように見えます。打ち出の小槌よろしく繰り出されている金融緩和や財政出動は本質的にすべてbenefits from the public treasury(国庫からの給付)だからです。

たとえば、バブル期に「慢心」を体験した日本人はバブル崩壊以降の失政続き(長期デフレ)で次第に「無気力」に陥り、40年もの歳月をやり過ごしてきました。その間、リーマンショックに発する金融危機があり、大きな地震があり、台風の被害にあい、2o2o年追討ちのようにコロナパンデミックに襲われました。自暴自棄になってもおかしくありません。多くの国民は公的援助(国庫からの給付)を求め、自粛要請・休業要請という名の国家的強制に大人しく従い、隷属の度合いを高めています。

記事の筆者はこのような悲劇は降って湧いてくるものではない。事前に警告は発せられていたのだと言っています。

In hindsight, the warning signs have always been there: an increasingly autocratic government, increasingly volatile and irrational political struggles, mounting debt, increased taxation, a declining economy and the removal of basic freedoms “for the greater good.”

結果論になるが、危機の兆候はつねに発せられていた。独裁色を強める政府、振れ幅が大きく非合理な政治闘争の増加、債務の拡大、増税、経済の衰退、「国民みんなのため」と称する基本的自由の剥奪・・・。

コロナショック後の日本では思い当たるフシが多すぎて暗澹たる気分になります。五輪が終われば、終わらないパンデミックが突きつける過酷な現実に向き合わざるをえなくなります。

民主主義そのものへの絶望感、知らぬうちにちょっとずつ民主主義を手放している感覚、救国のヒーローを待望する気分、・・・あやういところへ来ています。