【音楽】 Queen “Bohemian Rhapsody” とボヘミアンの “他人事感”

今回はクイーンの超有名曲「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody、英語圏での略称は “Bo Rhap”)は、西洋詩の伝統と西洋音楽の伝統を6分間にぎゅっと圧縮したような曲である。ここに歌われている「ボヘミアン」とは何者なのかについて勝手に解釈してみたい。そこには極めて現代的なセンチメントが表出しているとともに、フレディ・マーキュリー個人が抱えていた故郷喪失者のセンチメントが織り合わされているように思う。

補助文献として萩原朔太郎『詩の原理』の助けを借りる。青空文庫にアクセスすれば無料で読めるが、優れた芸術・文明論になっていると思う。英語学習者に限らず英語好きには必ず響くところのある鋭い考察が詰まっているので、一読を薦めたい。

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芸術の二大様式:描写(客観)と情象(主観)

「ボヘミアン・ラプソディ」はいくつかのパートに分かれているが全体はひとつの叙事詩のようになっている。叙事詩の中に抒情詩やコーラスの声などが入れ子になって進むのである。

萩原朔太郎によれば、芸術には、表現形式こそ音楽、美術、舞踊、演劇、文学と様々あるが、表現様式ということになれば「描写」と「情象」の2つしかないという。「描写」と「情象」の違いは芸術家の態度(好み)の違いである。

  • 美術や小説は描写派に属し、物の「真実の像(すがた)」を写すことを目指す。観照によって「真実の像」に到達することは、知性の意味を明らかにする行為である。通常、客観主義と呼ばれ、イメージは男性的。
  • これに対して音楽、詩歌、舞踊などは情象派に属し、人間内部に発生する感情の意味を語ろうとする。情象派の最大関心は内部にうごめく感情の表出だ。通常、主観主義と呼ばれ、イメージは女性的。

こうして朔太郎の「詩とは情象する文学である」なるテーゼが導かれる。情象はこなれない言葉だが、ここでの感情はemotionではなくsentimentの意味だ。sentimentにかたちを与えることを情象といっている。以下、引用しよう。

詩とは主観に於ける意味を、言語の節や、アクセントや、語感や、語情やの中に融とかして、具体的に表象しようとする芸術である。故に詩を特色する決定の条件は、必ずしも形式韻律の有無でなく、又自由律の有無でもなく、実にその表現が、本質に於て「情象」であるか否かにかかっている。

詩の二大伝統:抒情詩と叙事詩

情象文学である詩は、西洋において(日本においてではない)大きく抒情詩(lyric)と叙事詩(epic)に分かれる。

西洋詩は古代ギリシャのホーマー(Homer、ホメロス)の叙事詩『オデッセイア』『イーリアス』に始まる。「ボヘミアン・ラプソディ」の「ラプソディ」とは、最初、ホメロスが遺した叙事詩の断章のことである。

叙事詩(エピック)とは神話や歴史の伝説を、韻律の形式で歌ったもので、つまり言えば一種の韻文物語であり、音律を以て語られた歴史である。だが真の学術的な歴史と叙事詩とは、様式の根本精神に於て異っている。歴史の書こうとする精神は、何よりも事実の正確な記述にある。即ち歴史家の認識は、事件について事件を見、現象について現象を見ようとするところの、真の客観的な態度である。これに反して叙事詩は、主観によって事実を見、感情の高翔した気分によって、歴史を詠歎しようとするのである。即ち一言で言えば、歴史は事実を「記述する」ので、叙事詩はこれを「情象する」のだ。

叙事詩と対照的な形式が、女詩人サッホオ(Sappho、サッポー)の創始した抒情詩である。引用が多くなるが大事な部分なのでふたたび『詩の原理』から引用する。

古典韻文としての抒情詩は、形式に於ても内容に於ても、大体ほぼ叙事詩に類している。しかしながらただ、或る一の相違で名称を異にしている。その根本的なる相違は、叙事詩が男性的であるに対し、抒情詩が女性的であるということである。

即ち詳説すれば、叙事詩エピックの詩題は主に英雄談、冒険談、戦争談であって、その情操は雄大、荘重、典雅、豪壮等の貴族的尊大性を高調している。

これに反して抒情詩は、主に恋愛や別離を歌い、その情操は哀傷的、情緒的で、優美にやさしく涙ぐましい。

故にリリカル(抒情詩的)という言葉は、常に哀傷的で涙ぐましい情緒を指してくる。反対にエピカル(叙事詩的)は、意志の強く、尊大で思いあがった、闘士的、英雄的な興奮を言語している。尚換言すれば、前者はメロディアスの気分であり、後者はリズミカルの気分である。

叙事詩といい、抒情詩といっても、題材が異なるだけで、詩の本質は「感情(センチメント)にかたちを与えること」、人間が経験するあらゆる事象・事物に対する感動や詠嘆の意味を探求することにある、ということを押さえてもらえばいい。

ラプソディ形式に託された「他人事感」

ではフレディ・マーキュリーが「ボヘミアン・ラプソディ」で描きたかったのはどんな「感情」なのだろうか?

おそらく主人公の気まぐれに移ろうセンチメントである。当事者なのにどこか他人事めいている感じ。殺人という強烈な出来事は、主人公のセンチメントを無理に揺さぶる仕掛けに過ぎない。本丸は、主人公の所在なさ、何かに全面的に没入できない「他人事感(ひとごとかん)」である。

曲の第一の層では、主人公は極めて現代的な「ボヘミアン気質」を抱えて自分勝手な感情を吐露している。

しかし、フレディ・マーキュリーの場合、「他人事感」の裏には重い歴史が堆積している。彼は遠い昔、異教徒に故郷を追われたペルシャ系インド人の子息である。その彼が生まれたザンジバルもまた安住の地ではなく、革命を起こして彼と彼の家族をイギリスへ追いやった。

だから「他人事感」の裏の層は、故郷喪失者の哀しみを湛えている。彼はどこに暮らしても、社会にどっぷりつかることができない。一生懸命イギリスに同化しようとすればするだけ「他人事感」が募るからだ。

そうやって、この曲は伝統的な叙事詩のヒロイックな世界観とは対蹠的な「感情の真実」を唄っている。このような複雑な「他人事感」を描くのに、アカペラに始まり、哀切なバラードを挟んで滑稽なほど大仰なオペラもどきやハードロックへメドレー展開する、いわば伝統のパロディのようなラプソディ形式ほど似つかわしい形式もあるまい。

ナラティブの変転と音楽メドレーの一体化

曲の構成はアカペラ→バラード→オペラ→ハードロック→エンディングである。このメドレー展開は、歌詞のナラティブ(narrative、話の進行)と見事に一体化して進んでいく。

導入部:アカペラ

Is this the real life?
Is this just fantasy?
Caught in a landslide
No escape from reality

Open your eyes
Look up to the skies and see
I’m just a poor boy, I need no sympathy
Because I’m easy come, easy go
A little high, little low
Anyway the wind blows, doesn’t really matter to me, to me

主人公のボヘミアンの感情は「最も素の状態」にある。それを表わすために、最も素朴な楽器である肉声のみで歌われているのだろう。

冒頭は主人公の内面の声である。

「これは現実なのか?それとも夢なのか?」

太古から続く人間の詠嘆だ。抒情詩である。人生の現実が土砂崩れ(landslide)に喩えられており、主人公の受動性をほのめかしている。主人公は、なんとなくボヘミアンな気分に覆われて動かない。

「目をあけて天の空を見上げてごらん」

どこからか声が聞こえてくる。でも主人公には届かない。

そしてふたたび内面の声。

「オレは貧乏人の息子、同情なんかいらない。それなりのものは手に入れたけど、なくしても惜しかない。多少の浮き沈みがあっただけ」。

そんな主人公とは関係なく(anywayという客観表現)風は吹く。

「明日の風向きなんて誰にもわからない。オレには大事なことじゃない」

こういう何となく世を拗ねた人間は、現代にもごまんといる。社会や周囲のことに無関心で、刹那刹那を気ままに生きるタイプ。これが、ボヘミアンのデフォルトの状態である。

easy come, easy go
「easy come easy go」の画像検索結果
慣用句。たやすく得られるものは、なくす(壊れる)のも早いということ。例文にもあるように、「なくしても惜しくない」という軽めのニュアンス。よく英和辞書に載っている「悪銭身に付かず」は誤訳。そんな教訓めいた意味はない。名詞にも形容詞にもなる。ここでは形容詞。
(It) doesn’t (really) matter to me
定型表現。「どうだっていい」、「さして重要じゃない」といったニュアンス。投げやり感、開き直り感、あるいは拒否感の表出だ。

主部:パワーバラード調

Mama, just killed a man
Put a gun against his head
Pulled my trigger, now he’s dead
Mama, life had just begun
But now I’ve gone and thrown it all away
Mama, ooo
Didn’t mean to make you cry
If I’m not back again this time tomorrow
Carry on, carry on, as if nothing really matters

Too late, my time has come
Sends shivers down my spine
Body’s aching all the time
Goodbye everybody I’ve got to go
Gotta leave you all behind and face the truth
Mama, ooo (anyway the wind blows)
I don’t want to die
I sometimes wish I’d never been born at all

導入部の投げやりな、どうでもいい感じが一転、切羽つまった抒情詩となる。素の状態で動かなかった主人公の運命が回転し始めた瞬間である。

「かあさん、銃で人を殺しちゃったよ。せっかく始まった人生だけど、みんなうっちゃってしまった」

「かあさん、あなたを泣かせたくてしたんじゃない。もし明日この時間までに戻らなくても、自分の生活を続けてくれ。どうってことないって感じで」

まるで遺言である。

「時間になった。もう手遅れだ。震えが止まらない。からだじゅうが痛い」

「みんな、さよなら。行かなきゃ。みんなを残して真実に向き合わなきゃいけない。かあさん(オレに関係なく風は吹く)、死にたかないよ。ときどき生まれこなけりゃよかったと思うよ」。

すでに裁判が行われ、判決が出たようだ。なんとなくボヘミアンだった主人公の感情は、はじめて動く。「死にたくない」とはっきり告白している。ここで注意したいのは、それでも母親に “nothing really matters” の態度を取るよう勧めている点。彼の感情には罪の意識がない。冒頭と変わらず「人生に大したことなんかない」という感情が残存しているのである。

展開部:ライトオペラ調

I see a little silhouetto of a man
Scaramouch, scaramouch, will you do the fandango?
Thunderbolt and lightning very very frightening me
Gallileo, Gallileo,
Gallileo, Gallileo,
Gallileo Figaro – magnifico

第一のクライマックスを終え、曲調転換。おそらく裁判の回想。ボーカルも抒情詩から、おどけた感じの叙事詩もどきへ移行する。

scaramouchはイタリアの即興喜劇(コメディア・デラルテ)に登場する道化役。ストックキャラクター(stock character)と呼ばれる、お約束の言動を演じるキャラのこと。落語でいえば、さしずめ「長屋のご隠居」。
fandangoはスペイン起源のダンス。
Gallileoはあのガリレオのことだろう。
Figaroはモーツァルト『フィガロの結婚』の主人公。ロッセリーニ『セビリアの理髪師』の続編。
mgnificoはイタリア語(発音はマニフィコ)。英語でいうなら称賛の形容詞 “magnificent!”、”great!” に相当。名詞としては貴族、高貴な人の意味。

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「男の小さなシルエットが見える」

シルエット?おそらく裁判官の姿なのだろう。

「スカルムーシュ、ファンダンゴをやってくれるか?雷鳴と稲光がこわくて仕方ない」

主人公は死の恐怖で錯乱しているのか?スカラムーシュは右のような黒ずくめの出で立ちで舞台に立ったという。

「ガリレオよ

ガリレオよ

ガリレオよ、フィガロよ、ああ、偉大なる人たち」

主人公はガリレオとフィガロを崇めている風だ。神に祈る代わりに彼らにすがっているのだから。となれば、先ほどの雷鳴と稲光とは運命の決定的転換(死の宣告)の比喩表現だったのかもしれない。

以下、しばらく歌詞から離れる、大事なポイントなのでお許しいただきたい。

歴史上のボヘミアン

一般に、ボヘミアンといえば、社会に背を向け、自由気ままに生きるロマ(ジプシー)、もしくはロマに類する気質をもった人を指すことばだ。本来は、単にチェコのボヘミア地方の人という意味だったが、とくにロマを指すようになったのには、以下のような歴史背景がある。

ロマは北西インドを故地とする移動生活型民族。民族的にはロマニ人というインド・ヨーロッパ語族である。1000年以上前、中東へ出稼ぎに出てインドに戻る際、仲間割れが生じ、一部が西方へ向かった。その流れがバルカン半島(とくにルーマニア)や中欧などに定住した、いわゆるジプシーである。ヨーロッパ人からすれば、どこの馬の骨ともしれない部外者が居つき、社会の秩序を乱す存在に見えた。いまに続く差別が始まる。

「gypsy migration map」の画像検索結果

ロマの移動経路

Gypsy camp in Paris

現代パリのジプシー・キャンプ (出典:https://dymontiger.livejournal.com/5130742.html )

19世紀に入ると、チェコのボヘミア地方にいたロマがパリにやってきて芸事(音楽、絵画、小説、演芸など)で生計を立てるようになった。彼らの独特の生き方、服装などは多くのネイティブの若者を魅了し感化していった。こうして都会のロマや、彼らの影響を受けた人間、その服装やライフスタイルをボヘミアンというようになったのだ。

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“Gypsy Wagon and Tent”(1962)by Laura Knight

宗教権威に対峙したガリレオ、ガリレオ的合理精神を呼吸したフィガロ

ボヘミアンは今風にいえば自由人。その先駆け的存在だ。

実はボヘミアン的な自由人の流れはガリレオの頃に起点がある。その頃から既成の権威、封建的な価値観に従わない人々が生まれ始めていた。それが18世紀のフランス革命以降、一気にメジャー化していく。

  • 16世紀のガリレオ・ガレリイは地動説(正しい理論)を唱えたが「神の名の下に」裁かれた。二回の裁判の後、亡くなるまで生涯軟禁状態に置かれた。彼は事実上、カトリック教会に代表される守旧派の非科学的精神を「殺した」人間であり、近代合理(科学)精神の先駆である。
  • 18世紀のフィガロは貴族のお抱えの床屋である。ガリレオが推進した合理精神を呼吸して育ち、身分差別に批判的だった。彼はもはや時代遅れの特権にしがみつく伯爵から、花嫁を守る。権威に屈しない自由人の象徴として、いまも有名な雑誌のタイトル(Le Figaro)になっている。

闇から光への時代

オペラ『フィガロの結婚』が作られたのは18世紀後半、フランス革命前夜。原作者ボーマルシエはマルチタレントの持ち主だった。劇作家、発明家、音楽教師、国王秘書、裁判官、事業家、スパイ、武器商人、著作権プロモーター、出版業者、投資家・・・と肩書を並べるだけでクラクラする。

この時代のフランスはイギリスから伝染病のように啓蒙思想(英語でEnlightenment、フランス語でLumières)を取り込み、一気に一大中心地となる。時をおかずしてフランス革命で王政を打ち倒す。ボーマルシエのように何でもできる人間が「流行った」のは当然といえば当然。自由に動き回るエネルギーが渦巻いていたのだ。

啓蒙というとわかりにくいが、EnlightenmentやLumièresからわかるように、それは「光」である。光は人間の内部からやってくる。それまで内部に閉ざされていた理性(英語でreason、フランス語でraison)の光を闇から解き放つことが啓蒙運動なのである。

この場合、闇はアンシャンレジーム(王室、貴族、カトリック教会)のこと。同じ伝で、アンシャンレジームが支配した中世を暗黒の時代(Dark Age)と呼ぶ(現在は不当なレッテルだという認識が広がっている)。

ヒューマニズムもこの時代に定着した思想だ。人道主義と訳すのは適切でない。ヒューマニズムは、神への絶対的服従をやめて人間自身の理性を指針にする態度であり、モラルとは直接関係しない。むしろ人間中心主義、人治主義とでも訳すべき思想である。

フィガロは啓蒙時代の申し子

フィガロのキャラにはボーマルシエ自身の自由闊達な精神、とくに貴族制度への憤りがこめられている。そのため当時は危険書物であり、オペラ用の台本はウィーンの宮廷詩人によって毒消しされた、しかしいくら台詞を削っても、「初夜権」阻止というモチーフは残る。そのモチーフそのものが封建的身分制度への批判である。

中世、封建領主の権限は絶大で、領民の生殺与奪の権の一切を握っていた。初夜権もそのひとつで、領民の結婚があると領主は花婿より先に花嫁と初夜をともにし、処女を奪ってよい、という理不尽な特権である。フィガロは、これに盾突いて主人のエロ爺から花嫁の貞操を守るのだ(モーツァルトの時代、初夜権はすでに廃れていたといわれるが、ポイントはボーマルシエがそのような古くさい道具立てを劇の中心に置いた意図にある)。

オペラでは削られた原作の台詞に、こうある。

「伯爵閣下、彼女(あいつ)ばかりは渡せません・・・渡してなるものか。貴方は豪勢な殿様というところから、御自分では偉い人物だと思っていらっしゃる!貴族、財産、勲章、位階、それやこれやで鼻高々と!だが、それほどの宝を獲られるにつけて、貴方はそもそも何をなされた?生まれるだけの手間をかけた、ただそれだけじゃありませんか。おまけに、人間としてもねっから平々凡々」(辰野隆訳)

貴族に生まれたことが何だ!という正面切っての批判。時の王ルイ16世は『フィガロの結婚』の上演に反対だったのだが、なぜか上演にこぎつける。観劇したフランス貴族らは数年後彼らに降りかかる悲劇を覚るでもなく、一種のブラックジョークとして余裕かましていたようだ。

西洋的ボヘミアン気質の由来

以上、長々と説明してきたのは、「ボヘミアン」というマイノリティ部外者の感情(センチメント)が、18世紀後半以降、一気に西洋社会内部へ取り込まれ、メジャー化していった、という流れを確認したいためだ。

もちろん、そんな流れはロマの知ったことではない。ロマ自身は被差別者であり「理性の光」など「どうでもいい」と言いそうだ。しかし彼らの服装やライフスタイルに現われた精神は、体制外で培われた確かなもので、歴史の重みがある。

理性の光を信じ始めた(裏を返せば、神を捨て始めた)都市住民にとって「かっこいい」に決まっているではないか。にわか理性人には彼らの生き方がまぶしく映っていたことだろう。本当は体制外へ出ていきたいが、そうもいかず体制内で新たな価値観を模索する。そんな時代のセンチメントがロマの精神性に憧れ共感し、彼らをモデルとして動き始めたのである(これはロマへの社会的差別云々とは別の次元の話だ)。

「ボヘミアンスタイル」の画像検索結果

そもそも近代と訳されるmodernということばは、modelと語根を共有する。ライフスタイルを含め、モデル(規範)をつくり、カタログ化するのがクセである。よくいわれる多様性とはカタログ内の選択肢が豊富だという意味である。近代のカタログに未登録の諸々は入っていないのだ。「ボヘミアン」はモデルカタログの「かっこいい」カテゴリーに登録された。

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「ボヘミアン・ラプソディ」の主人公は、そのようなプロセスを経て醸成された自由の空気を当たり前に吸って育ち、「なんとなくボヘミアン」な人間なのである。

人を殺めても生きる欲求のみで罪の意識が生まれないのは、このにわかボヘミアンが無宗教者(non-believer)だからだろう。西洋の伝統において、罪は、誰よりも先にまず神に対して感じる(べき)ものだからだ。

展開部:本格オペラ調

But I’m just a poor boy and nobody loves me
He’s just a poor boy from a poor family
Spare him his life from this monstrosity
Easy come easy go, will you let me go
Bismillah! No we will not let you go – let him go
Bismillah! We will not let you go – let him go
Bismillah! We will not let you go – let me go
Will not let you go – let me go (never)
Never let you go – let me go
Never let me go ooo
No, no, no, no, no, no, no
Oh mama mia, mama mia, mama mia let me go
Beelzebub has a devil put aside for me
For me
For me

内面の科白とコーラスが交互に入り乱れる。

主人公「貧しいオレなど誰も愛してくれない」

第三の声(弁護側)「この男は貧しい家に生まれただけです。貧しさがこの者を怪物にしてしまいました。どうか命だけはお助けを」

monstrosityは怪物性、奇異、奇怪の意味。秩序の側から見れば、殺人もボヘミアン気質も怪物である。

裁判官「神に誓ってまかりならん」

第三の声(弁護側)「お助けを」

Bismillah! は “in the name of Allah”、イスラム教の「神に誓って」「天地神明に誓って」に相当する表現。

主人公「ベルゼブブがオレに悪魔を差し向ける、このオレに」

オペラ調のクライマックスは、”Beelzebub has a devil put aside for me” という謎めいた科白とともにやってくる。

主人公のボヘミアンの中にそれまで意識されなかった「宗教」が入り込んできたのである。裁きの場で運命に向き合ったが、主人公にはとうとう罪の意識が芽生えない。だから悪魔に責任を転嫁しようとしているのである。そういう意味でこれはアンチクライマックスである。

ベルゼブブ(Beelzebub)はイスラム教の先祖であるユダヤ教の悪霊(デーモン)。
ユダヤ教が一神教化する以前、パレスチナ近辺ではバール神(Baal)信仰が盛んだった。本来のかたちはバールゼブル(Baal Zebul)、”lord of the (heavenly) dwelling”(高きところにおわす主)なのだが、ヘブライ人はヤハウェ神を唯一神とすべく、バール神を貶め排除する必要を感じた。そこでBaalにZebub(蠅)をつけて蔑称とした(”lord of the flies”)。蠅は汚物にたかり、病原菌を運ぶ。おぞましき存在の象徴だ。そうしてバールゼブルの本来の姿は忘れられ、デーモン化していった。
後のキリスト教の時代に入ると、ベルゼブブはサタンと並ぶ有力な悪魔と見なされるようになった。
この文脈のput asideは “prepare/keep” の意味。「ベルゼブブがオレに悪魔を用意している」→「ベルゼブブがオレに悪魔を差し向ける」という意味になる。

フレディ・マーキュリーはこのオペラ調の終結部で、イスラム教徒を裁く側に、ユダヤ・キリスト教徒を裁かれる側に置いてクライマックスを築いたことになる。裏の層のセンチメントがさらりと表白されているのかもしれない。

終結部:ハードロック調

So you think you can stone me and spit in my eye
So you think you can love me and leave me to die
Oh baby, can’t do this to me baby
Just gotta get out just gotta get right outta here

悪魔が憑依したのかそうでないのか、場面は一気に20世紀へ。主人公はいまやハードロッカーである。歌詞は心情を吐露する抒情詩。たぶん主人公は監獄の中にいるのだろう。

「お前らは石を投げて、オレを侮辱するのか。愛してると言いながら、死ぬのはオレの勝手といってほったらかすのか。やめてくれ、ベイビー。ここから出なきゃ。いますぐ出なきゃ」

spit in someone’s eye
「わざと(悪意をもって)侮辱する(こけにする)」

この曲全体を通じて一貫しているのは、主人公の自己批判の欠如である。なんとなくのボヘミアンは、殺人という契機を経ても結局変わらなかったようだ。幾度か天の声が放たれ、弁護の声も轟いたが、耳を傾けなかった。

エンディング

Ooh yeah, ooh yeah
Nothing really matters
Anyone can see
Nothing really matters nothing really matters to me
Anyway the wind blows

すべての懊悩と葛藤の末に、しじまが訪れてくる。おそらく絞首刑台の上か。

「大したことない。ホントどうでもいい。誰でもわかるはず、本当に大したことなんでどこにもない。どのみち風は吹く」

成長(運命)を拒否したまま、主人公は死を受け入れたようだ。

「ボヘミアン」の深層

これは「神」をもたない現代的ボヘミアン批判の唄なのだろうか?いまも大量に生息する自由人予備軍への警告の唄なのか?

優れた芸術作品はいかようにも解釈が可能だから、ブログ主の考えを述べるしかないが、表面に現れたナラティブを読む限り、そのような現代批判と考えることが可能だろう。

ふとしたはずみで人を殺めてしまい、裁きを受け、監獄へ入れられ、最後には自らの死を受け入れる、という筋立てはカミュの小説『異邦人』に似ている。だが、フレディ・マーキュリーの主人公は無宗教者(agnostic)ではあっても、『異邦人』の主人公のような無神論者(atheist)ではないように思われる。

無神論者はアンチとしての教会がどっかり社会に腰を下ろしているところにしか発生しえない。すでに時代は進み、『異邦人』におけるように、主人公の懺悔や赦しを請う悔悟のことばを求めてくる(いわば司法取引で恩赦を取り付けようとする)司祭は現れない。現代人の置かれた社会は、もっと世俗が徹底された非宗教的な場所である。

たとえば、「ボヘミアン・ラプソディ」において、主人公のセンチメントを表象するキーフレーズが、”Anyway the wind blows, doesn’t really matter to me.” だ。風は自然、覆しようがない運命のメタファーである。後半はそんな世界に投げ出された主人公のしらけた感情の象徴である。

しかし注意深く見ると、導入部の “Anyway the wind blows, doesn’t really matter to me” は、エンディングでは、”Nothing really matters to me. Anyway the wind blows.” と倒置されてリフレインされている。自然現象→内面の表出というボヘミアンのセンチメントの流れは、死の受け入れを経て、内面→自然現象というセンチメントの流れに変容している。そして、この変容にこそ、フレディ・マーキュリーの非西洋性が顕れているように思う。この点を少し掘り下げてみよう。

フレディの出自

フレディ・マーキュリーは、おそらくロック界初の東洋系(非西洋人)スーパースターである。国籍はインドだが血統的ルーツはペルシャ(イラン)にある。

彼は父親の赴任先だったアフリカのザンジバル(当時は英国の保護領)で生まれた。本名はファロック・ブルサラ(Farrokh Bulsara)。両親はパールシー(Parsi/Parsee)と呼ばれるインドのゾロアスター教徒である。

Parsi born in Zanzibar and grew up there and in India until his mid-teens

幼少時代のフレディ(出典: https://viola.bz/ )

幼いとき一家は郷里のムンバイへ戻り、フレディは少年期の大半をインドで過ごした。その後、一家はふたたびザンジバルへ移住したが、折しも1964年にザンジバル革命(内政を牛耳り、現地の黒人と対立していたアラブ人スルタンに対する黒人武装組織のクーデター)が勃発、革命後に多くのアラブ人とインド人の死傷事件が起こり、命の危険を感じた一家はイギリスへ亡命する。以後、亡くなるまでフレディはインドにもザンジバルにも戻らず、ずっとイギリスに留まった。

もしフレディが自分をボヘミアンになぞらえたのだとしたら、おそらくその気質やライフスタイルではなく、民族的出自に起因している。彼には強いエスニシティの自覚があったのだ。彼の日本好きは有名だが、東洋の血がそうさせたとしか思えない。

先ほどもいったように、ボヘミアンはそもそもインド出身の放浪民(ジプシー)のことである。フレディの境遇はそれに近い。彼が生まれたパールシーというマイノリティ民族は、イスラム征服後に宗教迫害を逃れ、ペルシャからインドへ亡命した人々の末裔だからだ。

パールシーは、イスラム教徒がササン朝ペルシャ(イラン)を征服した後、インド西岸のクジャラート地方に亡命したゾロアスター教徒。現地のことばで「ペルシャ人」を意味する。
パールシーは必死にインド社会に溶け込む努力をし、イギリスがインドを支配して以降、現地人とのつなぎ役を仰せつかって中央政治に関わりを持つようになった。イギリスの助力の下、圧倒的マイノリティながら主に貿易業を通じてインド経済界に確固たる地歩を築いた。インド最大のタタ財閥もパールシー出身である。
Karani Building in Dadar Parsi Colony, one of the posts on the Instagram account @dadarparsicolony_dpc

ムンバイのパールシー・ダダール・コロニー(出典:インスタグラム公式アカウント@dadarparsicolony_dpc)

Maneckji Seth Agiary, Mumbai.jpg

同地区にあるゾロアスター教寺院 Maneckji Seth Agiary(出典: Wikipedia)

ペルシャのルーツを暗示する「マーキュリー」

ロックスターを目指したフレディはイメージに合わないといって、自分のインド出自(本当はペルシャ系)を隠したがっていたというが、むろん差別を受けるからだ。そこでムンバイ時代の学友にもらったあだ名フレディに、マーキュリーという名字をつけて通り名とした。

マーキュリーは水星。ゾロアスター教に由来するミトラス教において、信徒には7つの位階があり、それぞれ対応する天体(守護星)をもつ。父(土星)、太陽の使者(太陽)に次いで第三位に位置するのがペルシャ人という位階である、その守護性が水星なのだ。

フレディがこのことを知らなかったとは思えない。彼は自分のルーツに関する自意識と誇りを「ボヘミアン」という逆説的なイメージで表明していたともいえる。オペラ部の裁く側がイスラム教のカーディーと呼ばれる裁判官なのだとしたら、裁かれる主人公は実はキリスト教徒ではなくペルシャ人である。

ペルシャ発祥のゾロアスター教はユダヤ・イスラム教のルーツのひとつと呼べる古い教えであり、「最後の審判」(神による裁き)や天使の概念はじめ、アブラハム宗教に与えた影響は計り知れない。ペルシャがバビロンで軟禁状態にあったユダヤ人知識層を解放しなければ、今日のユダヤ教は存在していなかったはずだ。

日常生活

フレディ・マーキュリーは敬虔なゾロアスター教信者だったという。ロックスターだから大いに遊び、パーティやクラブで羽目を外すこともあったが、ドラッグには手を付けなかった。彼の生活ぶりについて以下の記事に詳しい。一部を引用しよう。

He spent a lot of his time working in the studio (writing music + lyrics), and discussing work-related matters with colleagues, producers etc. Additionally, Freddie Mercury followed a daily yoga regimen that required time and dedication.

When his public commitments allowed, he followed a particular relaxation program every night. This often involved one of his passions: classical music.

Additionally, he spent much time reading classical Persian literature – an inspiration that also made it into some of his songs.

Both in London and on tour, he could only have had time for these activities in the evening. Freddie Mercury also followed Zoroastrian prayer rituals every day – including the reading of the sacred text Avesta. Of course, he did this on his own and not when he had company. The same goes for his yoga routine. Back in Freddie Mercury’s day, Zoroastrians were not as open as they are today and usually practiced their faith in private.

  • スタジオでの曲づくりや仕事の打ち合わせ
  • 毎日のヨガ・レジメン(食事療法)
  • 毎晩のリラクゼーション・プログラム(ヨガ)
  • クラシック音楽の鑑賞
  • ペルシャ文学の読書
  • 礼拝(誰もない場所で行った、聖典『アヴェスター』の精読含む)

いわゆる業界人の暮らしぶりではないし、一般的な西洋人の生活とも違う。こういう人が自分をボヘミアンというとき、それは一般的な意味での「世間に背を向けた自由気ままな人間」ではないだろう。むしろ故国ペルシャを追われた民族の記憶が、彼自身のボヘミアン性の自覚として託されているようにも思う。

曲の深層における運命の告発と諦観

そう考えてくると、オペラ部で、なぜ主人公を裁くのがイスラム教の裁判官なのかがわかる。それはペルシャ民族の背負わされた運命の寓喩であり、実は「他人事感」の根本原因なのである。大仰なパロディ音楽の中で、征服者への静かな告発が行われているのだ。

“Anyway the wind blows, doesn’t really matter to me.” というキーフレーズもまた深層においては、しらけた感じとは違う意味を帯びる。ゾロアスター教は風葬という特異な弔い方で有名だ。エンディングで “Nothing really matters to me. Anyway the wind blows.” と歌われるとき、そこには東洋的な無常感が響いてくる。運命を呪うでもなく、天地の運行に身をゆだねる心境である。

そういえば、主人公は冒頭で現実を土砂崩れに喩えていたではないか。逃げ道がないとも。ボヘミアンはそうして運命を受け入れることによって、この現世で抱えた「他人事感」からようやく解放されるのである。

このような諦観は同じ故郷喪失者でもユダヤ人にはない気質である。パールシーはインド社会に必死に同化して今日の豊かな地位を築いたが、あくまで同化を拒んだインドのユダヤ人コミュニティはいまでもマイナー存在に留まっている。

ペルシャ側でもフレディを意識?

余談になるが、フレディの故国イランは、明らかに「ボヘミアン・ラプソディ」を特別視し、解禁した。

The first rock album to become available in Iran was Queen’s Greatest Hits, in 2004. Concerned about the messages hidden in the song, Iranian authorities insisted that each copy of the cassette be issued with a leaflet that explained that while the singer of the song had indeed “killed a man,” it was by accident, that he then goes on to call on God for forgiveness (“Bismillah!”) in order to prevent Beelzebub from getting his soul. Presumably “Fat Bottomed Girls” required much less explanation.

イスラム教シーア派のイラン政府は、ようやく2004年になってロック音楽の一部解禁に踏み切ったのだが、宗教の性格上、建前と規制がきつい。そのとき最初に選んだのがクイーンのベストアルバムだった。当局はリーフレットをカセットケースに封入し、「ボヘミアン・ラプソディ」について以下の「但し書き」を添えたそうだ。

ボヘミアン・ラプソディの歌い手は、拳銃暴発事故で人を殺してしまった。それ以来、ベルゼブブ(Beelzebub )に魂を奪われないように神に許しを乞うている(Bismillah!)、と。

こうした建前をイラン政府が本気で信じているとは思えない。イラン人は生粋のイスラム教徒などではないからだ。シーア派はペルシャ成分のたっぷり入った習合宗派であり、ゾロアスター教から派生した神秘思想ともいえる側面をもつ。ペルシャ人全体もまた「他人事感」の中で生きているのかもしれない。