【英語で日本を説明する】文例集・表現のヒント:自分や日本人の宗教観
自分個人や日本人の宗教観を英語で外人に説明する場合、どういう風に表現するか迷うことがある。そんなときの手助けとなるヒントとなる記事をシリーズでお届けしようと思う。
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宗教は世界共通の基本情報
マンガやアニメ、寿司や日本刀に惹かれる外人は、日本人の宗教に関心がある人が多い。そうでなくても宗教に無関心な外国人は稀。
世界人口の半分は一神教徒(montheist)だ。
世界人口は約73億人。メジャーな一神教はキリスト教(約22億人)とイスラム教(約16億人)。これらと、その母胎となったユダヤ教を合わせてアブラハム宗教(Abrahamic religion)という。ぜんぶ預言者アブラハムを始祖とするからだ。
一方、非一神教の代表は仏教(約4億人)とヒンドゥー教(約10億人)。
キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、ヒンドゥー教徒、この4つを足せば世界人口の7割を超える。ヒンドゥー教はインド亜大陸やスリランカに密集していて世界宗教とは呼べないので、これを除いても6割弱だ。
だから日本人が非一神教徒であるというだけで、彼らの関心を呼び起こす。「クリスチャンじゃないのに、なぜ短期間で近代国家になれたのか?」とか、「無宗教国家のはずなのに、なぜ天皇は存続しているのか?」とか。
一神教徒にとって宗教は人となりの基本チェック項目のひとつ。筋の通った(あるいは相手がなるほどと思うような)説明ができれば、それだけで絶対お得だ。コミュニケーションの質はぐっと深まるはず。
「無宗教」に関する留意点
最初に気をつけたいことがある。「無宗教」という表現の内実だ。欧米と日本は文化の基本が異なるから、同じ「無宗教」でも中身が異なる。
- 欧米は一神教だ。これは「何が正しいかをひとつに決める」姿勢をいう。
- 他方、日本は「何が正しいかをひとつに決める」ことに抵抗を感じる文化だ。
- この違いは、絶対を信じるか信じないかに還元される。
神へのあいまいな態度は基本NG、人間として尊敬されない
欧米の文明は神を絶対視する伝統に育まれ、世界を席巻する成功をおさめた。しかし19世紀末から20世紀にかけて科学的知識の台頭により「科学の方が正しんじゃね?」という懐疑によって大きな打撃を受けた。簡単に神を信じることができなくなったのだ。だから、現代は、神と科学の関係を踏まえて、それでも神を信じるか、そうでないか決めなければならない。
もちろん欧米人の中には本音では一神教崇拝に疑問を抱いている人々は少なくない(新大陸のアメリカやカナダは神を信じている人の割合が高いが)。ただ、彼らは依然として “絶対思想” の社会伝統の中に育ち生活しているから、神に対する態度を(少なくても社会的には)決めなければいけない(履歴書に宗教を書かせない企業もあるとは聞くが、例外だろう)。
欧米人が本音をズバリというのは真っ赤な嘘、神話である。表現の仕方が日本語に比べ直截的に響くことを大げさに表現したに過ぎない。どこの社会でも、基本的価値観についてはお互い譲れないのだから、それなりに隠したり、認め合ったりしているのである。
信仰の類型
欧米人の信仰態度は大きく4つに分かれる。
- 原理主義的に神を否定する人・・・atheist、もしくはnon-believer。
- 科学、もしくはそれに類する理性的な価値観(リベラリズムなど)を信奉する人・・・free thinker。
- その中間の人・・・agnostic。
- 神を信じる人・・・believer。
一方、日本はどうか。日本は神仏儒というように3つの教えを原則、相互排除することなく混在させてきた。儒教(Confucianism)は宗教ではなく哲学だが、神仏との相互影響があるので無視できない。
明治の開国で近代国家化の必要に迫られた日本は、このような宗教的混淆状態を脱する必要に迫られ(それが “絶対思想” の欧米が作った近代国家の前提)、一部の指導層が天皇を疑似的な一神教の神の座につけようと画策した(国家神道、state Shinto)。
しかし大衆には浸透せず、戦争のプロパガンダや統治手段として利用された。1945年の敗戦でこの方針は全否定され、天皇は国家元首の座を追われ、国民統合の象徴に格下げされて今日に至る。戦後憲法は事実上、日本の「無宗教」国家宣言となっている。
日本人の神に対する態度も欧米と同じく、atheist、free tinker、agnostic、believerの4つになる。ただ、絶対神の信仰がないか稀薄な日本では、信仰の対象が何を指すかは自明でない。そのため原理主義的にatheistを名乗る必要がない。中にはほんとに即物的な価値観で生きている人もあるだろうが、そういう場合はnon-believerかirreligiousと呼んだ方が適切。
だから、日本の「無宗教」の実体はfree thinkerかagnosticのどちらかになると思う。
日本人の無神論者は原則的にagnostic
多くの日本人は3番目のagnosticに属するのではないか。agnosticは哲学用語として「不可知論者」と訳されることが多いが、基本の意味は「神がいるかいないか確信がない人」である。この神は欧米の文脈では唯一神のことだが、日本の場合、八百万の神々のことになる。日本人が「無宗教」といった場合、すべての神々をひっくるめて「いるともいないとも態度を決めていない」ことになるかと思う。
宗教に関する回答文例
特定宗教に入っている場合
これはほとんど苦労が要らない。気を付けたいのは大宗教の場合、仏教とかキリスト教とか単純に答えず、具体的な教派で答えた方がスムースに理解されること(以下、宗派名の部分は代表例。他意はない)。
- I’m a Buddhist. / I’m a member of Jodo Shinshu Sect. / I’m a Jodo Shinshu monto. 「仏教徒です。」「浄土真宗の門徒です。」
- I’m a (Roman) Catholic. / I’m a member of Japan Orthodox Church. 「カトリックです。」「日本正教会に属しています。」
- I’m a Protestant. / I’m Lutheran. / I’m Presbyterian. / I’m Evangelical. / I’m Anglican. 「プロテスタントです。」「ルーテル派です。」「長老派です。」「福音派です。」「英国国教会です。」
- I’m a Muslim. / I’m a Shiite Muslim. / I’m a Sunni Muslim. 「イスラム教徒です。」「イスラム教シーア派です。」「イスラム教スンニ派です。」
自覚的な無神論者とそうでもない人
欧米でatheistということばは重く響く。ある種の覚悟なしに発せられない単語だ。
- I’m an atheist. / I’m a non-believer. / I don’t believe in gods of any kind. 「わたしは無神論者です。」「特定の神は信じていません。」
「別にそこまでじゃないし」という人には便利な表現がある。神様より、合理性(科学、ロジック、哲学の類)や個人の経験を信じるという、現代人風のニュアンスを伝えるには「自由に考える人」と言い直そう。これに自分が好む思想や政治スタンスを添えれば、もっとよい。
- I consider myself a free thinker. / I’m in the free thinker camp. 「自由に考える派です。」「自由思想派に属すると思います。」(campは対比的に「~派」といいたいときの表現)
特定宗教に属していない人
おそらく大多数の日本人は「とくに神の存在は否定していないが、特定の宗教には入っていない」という意味で無宗教なのではないか。
宗教というと、日本人には洗礼を受けるとか、毎週礼拝に行くとか、毎年聖地に巡礼するとか、組織宗教(organized religion)の姿が思い浮かぶ。それが苦手で「無宗教」と答える。本音は「無組織宗教」なのである。
そこを踏まえて回答例をいくつか示してみよう。
無難な回答
- I don’t think I’m very religious. 「あまり信心深くありません。」
- I can’t say I’m a religious (pious) person. 「あまり宗教的な人間ではありません。」
- I don’t have a specific religion. / I don’t belong to any particular organized religion. 「特定の宗教には入っていません。」
- I consider myself a spiritual person. / I’m rather a spiritual person. 「宗教より精神的なものに惹かれます。」
- 宗教に属さずとも精神性を重んじていると伝えることは大事だ。欧米ではspiritualにとくに新興宗教系の意味合いは含まれないから大丈夫だ。
補足説明を加えるケース
なぜ組織宗教に入らないのか?その理由を添える。
- I’m not (particularly) a religious person, but I practice (aspects of) Shintoism and Buddhism. / I loosely follow the traditions of both Shinto and Buddhism, but I can’t say I’m religiously devout. 「とくに宗教はありませんが、神道や仏教の行事には参加します。」「 熱心な信者とはいえませんが宗教行事に参加することはあります。」
- 初詣、神前結婚式、七五三、七夕、お盆、除夜の鐘、神輿担ぎ、葬式・・・それらは外国人から見れば立派な宗教行事である。
- I don’t belong to any particular religion, but I follow the Japanese traditions of ancestor worship. 「特定の宗教の信徒ではありませんが、先祖崇拝はしています。」
- I’m not into organized religion; I kind of worship the spirituality of Japan that has been developed in history. 「組織宗教は好きじゃないんです。歴史に培われた日本の精神性を信じている感じです。」
- たとえば夏が来るとお盆を意識する。そのこと自体、先祖崇拝(祖霊崇拝)の伝統に従っている。お墓に参るのも同じだ。本当に無宗教ならお盆は単なる夏休みで、墓参りなど行かないはず。
神の存在に触れるケース
- I’m agnostic about the existence of gods (I don’t know if gods exist or not), but I feel immortal spirits of my ancestors reside in me. To me, that I follow them is religion. 「神の存在についてはよくわかりませんが、自分が先祖から不滅の霊を受け継いでいるのを感じています。それに従うことがわたしにとっての宗教です。」
もう少し踏み込んで言いたいケース
- I don’t need a specific organized religion. I try to think, speak, and act morally because, in my view, Japan’s generally good codes of conduct are closely intertwined with our religious traditions. 「特定の宗教に入る必要を感じません。でも正しく考え、話し、行動するよう心がけています。個人的な意見ですが、日本人の概して高い行動規範は、この国の宗教伝統に深く根差すものだと思います。」
- I’m not a believer, but interested in neopaganism and mystic tradition. 「別に信じてるわけじゃないですけど、神異教主義や神秘思想に興味があります。」
- これはメインストリーム以外の宗教伝統に興味をもっているという意味。欧米の価値観は多様化しているので別に問題ない。
- 異教を意味する形容詞は、pagan、heathen、esotericなどいくつかある。paganはキリスト教などメジャー宗教の普及している場所でのマイナー宗教のこと。heathenは未開な土地での土俗信仰のようなものを指す。esotericは秘教的で得体が知れないというニュアンス。
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