【音楽】Steely Danウォルター・ベッカー追悼

投稿:2017年9月下旬(改稿:2018年5月24日)

ウォルター・ベッカー(Walter Becker)追悼記事になる。ベッカーはアメリカのスティーリー・ダン(Steely Dan)というバンドのコアメンバーだったひと。まだ60代でホントに惜しい人を亡くした。

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ドナルド・フェイゲンの追悼コメント

ブログ主がスティーリー・ダンを知ったのは1970年代後半。当時、日本人モデルの山口小夜子をカバー写真に使ったアルバム “Aja” が話題になって、そこそこ売れた。

スティーリー・ダンは当初、ブルース、フォーク、ロックの混淆から始まり、次第にジャズ寄りのサウンドに落ち着いた。その都会的でひねりの利いたサウンドは唯一無二で類例がない。

もう何年も前から二人のコアメンバーだけのバンドになっていた。以下は、相方の早すぎる死にショックを受けつつ、師の翌日にドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)がFacebookに発表した追悼文を訳したものだ。

<原文>

Walter Becker was my friend, my writing partner and my bandmate since we met as students at Bard College in 1967. We started writing nutty little tunes on an upright piano in a small sitting room in the lobby of Ward Manor, a mouldering old mansion on the Hudson River that the college used as a dorm.

We liked a lot of the same things: jazz (from the twenties through the mid-sixties), W.C. Fields, the Marx Brothers, science fiction, Nabokov, Kurt Vonnegut, Thomas Berger, and Robert Altman films come to mind. Also soul music and Chicago blues.

Walter had a very rough childhood – I’ll spare you the details. Luckily, he was smart as a whip, an excellent guitarist and a great songwriter. He was cynical about human nature, including his own, and hysterically funny. Like a lot of kids from fractured families, he had the knack of creative mimicry, reading people’s hidden psychology and transforming what he saw into bubbly, incisive art. He used to write letters (never meant to be sent) in my wife Libby’s singular voice that made the three of us collapse with laughter.

His habits got the best of him by the end of the seventies, and we lost touch for a while. In the eighties, when I was putting together the NY Rock and Soul Review with Libby, we hooked up again, revived the Steely Dan concept and developed another terrific band.

I intend to keep the music we created together alive as long as I can, both with the Steely Dan band. We’ll miss him forever.

<日本語訳>

ウォルター・ベッカーとは、1967年、二人がバード・カレッジの学生だったとき出会った。長年の友達であり、作曲パートナーであり、バンド仲間だった。当時、ハドソン川沿いに、今にも倒れそうなウォード・メナーという建物があり、大学はそこを学生寮にしていた。狭い集会室にあったアップライトピアノを使って、イカれた短い曲を二人で書き始めた。

ウォルターとは相当趣味が合った。いま思い付くだけでもジャズ(20年代から60年中頃まで限定)、W・C・フールズ(※1)、マルクス兄弟、SF、ナボコフ、カート・ボネガット、トマス・バーガー(※2)、ロバート・アルトマンの映画。それにソウル全般とシカゴ・ブルースが二人とも好きだった。
ウォルターの幼少期は悲惨だった(詳細は割愛する)。でも運よく頭が切れた。ギターの腕前も作曲の才能もすごかった。自分のも含めて人間の本性について冷めた目を持っていて、ヒステリックなまでに面白い奴だった。崩壊家庭の多くの子がそうだが、ウォルターも人の真似がうまかった。他人が人に隠している心理を見抜くと、その観察を陽気で辛辣なアートに昇華させた。家内のリビーの独特な口調を真似て書いていた(出すつもりのない)手紙を読ませてもらったときは、三人で笑い転げた。

70年代の終わり、ウォルターは悪い習慣でイカれてしまった。そのせいでしばらく連絡が途絶えたけれど、80年代に入って、リビーとわたしが “New York Rock and Sou Revue ” という舞台の準備をしているとき、つきあいが再開した。もう一度スティーリー・ダンのコンセプトを蘇らせたら、また最高のバンドができた。

スティーリー・ダンで二人が作り出した音楽は死なせない。能う限り長く生かし続ける。ウォルターの穴は誰も埋めれないけれど。

※1:有名なコメディアン、俳優、※2:小説家、代表作に『小さな巨人』

簡潔に、故人の人となりがわかるように書かれている。あのどこか寂し気なたたずまいって、やはり生い立ちから来ていたのか、と今にして思う。才能豊かな変人でよかった!

スティーリー・ダンの初期曲

スティーリー・ダンで有名になったのは “Aja”(1977)以降だが、1972~75年あたりに発表された初期の曲も悪くない。

スターターに選んだ曲など後期に比べると牧歌的でのんびりしているが、時代の空気感を反映していてかえって新鮮だ。どの曲もいま聴いてもクオリティは高いと思う。

youtubeで作成した初期中心のセレクション

ウォルター・ベッカーのソロ作品

ウォルター・ベッカーが生涯に残したソロアルバムはたった2枚。いま聴いてもまったく色あせていない。派手さはないが、耳がなじむにつれ、じわじわ良くなっていく―、そういうタイプの音楽だ。この人はギターも弾くけど本質的にはベーシストだったように思う。

youtubeで作成したソングリスト

嗚呼、落ち着いた大人の音楽をつくれる人がドンドンいなくなっていく。