【サタンの語源学02】悪魔の発明者ザラスシュトラとユダヤ教の概念操作

※本記事は【サタンの語源学01】ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」と太宰治「誰」の続きです。

イケメンのいい人だけでドラマは作れない。ヒールか悪女がいて面白くなる。同様に、もしキリスト教やイスラム教に悪魔がいなかったら世界人口の6割近くも信者を獲得できたろうか?

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宗教に悪魔を持ち込んだ一大改革者

悪魔を発明したのはゾロアスター教の宗祖ザラスシュトラ(Zarathustra、英語ではZoroaster)だといっても過言でない。善と悪の意識は彼以前の人間にもあったろうが・・・

善と悪は完全に別個のもの。本来善であるこの世界に死や破滅をもたらした犯人が悪魔。

という世界観は空前絶後だった。それまで人間が悪い(=信仰が足りない)から神に罰せられると考えていたヘブライ人(ユダヤ人)は、太宰のいうように、さぞかし目からウロコが落ちたことだろう。

ザラスシュトラとマズダ―派

Zoroaster 1ザラスシュトラはいつどこで生まれたかはっきりしていない。ただ、スピターマという名門司祭の家の子で、バクトリアあたりの人間ではないか、BC1000年前後に生きていたのではないかといわれている。

30~40歳頃に神の啓示を受けるまで、ずっと放浪生活を送っていたらしい。彼自身のことばを記録したといわれるゾロアスター教の教典『ガーサー』(Gathas)によれば、彼が当時の政治社会状況、とくに規範の喪失、モラルの低下、伝統的な宗教祭祀の形骸化などに憤慨していたようだ。

男性結社の暴走と民族分裂

彼の生まれたとされるバクトリアは下の地図の、BMAC(バクトリア・マルギアナ考古学複合)と書かれている辺りだ。古い文化をもつものの、様々な異民族が行き交う複雑な土地柄で政治的には安定しない土地だったようで、ザラスシュトラの時代もスキタイ人とイラン人が緊張関係を持続させながら共存していたという。

この地域は大河が流れ、近くの山河地帯で稀少鉱物を産出するというので地中海やメソポタミア方面との交易ルートができ、農耕民なども定着し、栄えていたらしいが、なぜかインドのインダス文明が消滅するのと前後するように雲散霧消してしまった。

社会のカオス化

その最大の原因は遊牧民、農耕民、鉱物商人などが混在する地域を束ねる勢力の不在ではないかといわれる。

『ガーサー』には司祭階級と農工階級は出てくるが戦士階級が出てこないというから、王様と民がいて官僚・軍人がいなかったのだろう。

そんな社会でエネルギーを持て余した男たち(とくに若年層)は憂さ晴らしをするしかない。彼らは男性結社を組んでハオマ(本来は宗教祭祀向けの神聖な酒だが麻薬的作用がある)をあおり、神祀りの場でオージーと呼ばれるいかがわしい乱痴気騒ぎを繰り返していたという。

食うに困ればチャリオット(馬曳き戦車)を駆って農耕民を襲ったり、裕福な商人の領地を奪ったりする。戦士と呼ぶにはあまりにも粗野な連中である。

ザラスシュトラは生まれつき倫理的に潔癖な性格だったようで、もっと規律のある日常生活を重んじていたようだ。

アフラ族とダエーワ族の分裂

そもそもこの地域へイラン系民族が流れ込んできたのは、神話によれば、インドへ向かった連中と仲違いしたからである。もともとインド・イラン人は同じ民族で、中央アジアの山岳地帯に国を建て、同じ神々(ミトラ=ヴァルナ神など)を信仰していたらしいが、宗教対立がもとで決裂してしまった。

インドへ流れたダエーワ派(インドではデーヴァ派)は偶像崇拝好きで、抽象的な神々を拝むアフラ派(インドではアスラ派)と仲良くする王家をねたんでいた。そこでアフラ派のアーリマンを抱き込み、王家の転覆を図る。

一度は王家の転覆に成功するものの、アフラ派と王家の残党がすかさず反撃してダエーワ派を王国から追放する。

追放後もダエーワ派の干渉は続き、長い間、両者は和平と戦闘の歴史を繰り返したが、最終的に分裂してお互いが故国を去る破目に陥った。

ザラスシュトラにはこの神話時代の記憶があって、「裏切ったアーリマンは悪魔だ。悪魔が善なる国土に破滅をもたらしたのだ」という風に連想したのかもしれない。

忘却されたザラスシュトラ思想の “先取性”

「世界はあくまで善」というのがザラスシュトラの不動のスタンスである。この世の乱れは、悪の闖入によってもたらされる。害虫のように駆除すれば世界は善の姿を取り戻す。

アフラの神々を敬っていたザラスシュトラにとって、アーリマンが元アフラという事態はあってはならないことだった。そのため、彼は徹底してアーリマンを異物視することにした。売られた喧嘩だから買っているだけで、本当は戦いなど望んでいない。彼は戦士のいない社会に育ち、戦士のいない社会が善だと考えているのである。

矛を収める

では戦士がいないまま社会(善なる世界)を治めるにはどうするのか?

力任せに善を強制しても無駄である。力が緩めば善でないものがぶり返す。善は強制するものでなく、みずから自覚して行うしかない。人間は善に生まれついているのだから、各自が善を行い、社会に「善を主流化させる」以外、戦いの連鎖は断ち切れないと考えたのである。

これは時代先駆けた思想である。非暴力主義を掲げたガンジーを思わせる。しかしザラスシュトラは3000年も前の時代に生きていたのである。彼の同時代は部族国家が王権国家化し、そろそろ帝国化へと進もうかというときだ。帝国が「武を以て武を制する」論理で動くとすれば、ザラスシュトラはすでにその先の「矛を収める」地平に立って考えている。

ザラスシュトラ思想の改変

このようなザラスシュトラの先駆的モチーフは同時代のシンパであるマズダ―派には理解されなかった。彼らは部族主義、純血主義、排外主義を掲げ、ザラスシュトラ思想の善と悪の闘争という外形部分を政治利用するために、ザラスシュトラが考えてもいなかったアフラ・マズダ―(Ahura Mazda)なる新たな創造神を創作した。

さらにアフラ・マズダーの分霊をアムシャ・スプンタと定義し、善の正規軍とした。一方、悪魔のアンラ・マンユ(アーリマン)には眷属を用意し、そこには憎きダエーワ神族のイメージを投影させた。いずれもザラスシュトラが創案したものではない。

戦闘性を高め、ナショナリズムを鼓舞したマズダ―教(Mazdayasni、狭義のゾロアスター教)は、後にアケメネス朝ペルシャの国教として受容され、狙い通り政治的成功を収めた。

サタンとデビルとデーモンの関係

マズダ―教化されて戦闘モードになったゾロアスター思想はヘブライ人と接触して、ユダヤ教の中に取り込まれる。アムシャ・スプンタは天使に、アンラ・マンユは悪魔となる。

アムシャ・スプンタの最上位にいたスプンタ・マンユは大天使(archangel)に、アンラ・マンユの眷属はデーモン(demon)となった。

サタンとデビルの語源

ヘブライ語のsatanは “assuser”(告発者)、”adversary”(敵対)を意味する不定名詞だ。バビロン捕囚期以前の旧約聖書では、人間の敵対者(たええばソロモン王の政敵)も、超自然的な敵対者も区別なくsatanと呼んでいたが、ペルシャ宗教との接触で変化が生まれる。

  • バビロンにいたヘブライ人がペルシャ王キュロスによって解放され、エルサレムに帰還した後、satanに、英語のtheに相当する定冠詞が付いてha-satanということばが生まれる。これはキャピタライズし、”神への” 敵対者の意味に限定されていく(Satan)。
  • 時代が進み、旧約聖書がギリシャ語七十人訳聖書に翻訳されたとき、satan(人間含む敵対者)はそのままsatanが借用されたが、ha-satan(サタン)に対してはギリシャ語のdiabolos(”slanderer”、中傷者の意)が当てはめられた。
  • diabolosはヴルガータ(ラテン語訳聖書)ではdiabolusと訳され、そこから英語のdevilが生まれる。
  • しかしローマ人は神への敵対者に対してはdiabolusではなくキャピタライズしたSatanを使うようになった。
  • つまり、デビルはサタンのギリシャ語訳から生まれた。意味的にはサタンとほとんど同じである。

The Late Latin word is from Ecclesiastical Greek diabolos, in Jewish and Christian use, “Devil, Satan” (scriptural loan-translation of Hebrew satan), in general use “accuser, slanderer,” from diaballein “to slander, attack,” literally “throw across,” from dia– “across, through” + ballein “to throw” (from PIE root *gwele– “to throw, reach”). Jerome re-introduced Satan in Latin bibles, and English translators have used both in different measures.

In Vulgate, as in Greek, diabolus and dæmon were distinct, but they have merged in English and other Germanic languages.

こうして小文字のsatanが本来、人間をも含む敵を意味していたことは忘れられ、以下のwikipediaの解説のような状況が生まれたのである。

Satan is an entity in the Abrahamic religions that seduces humans into sin. In Christianity and Islam, he is usually seen as a fallen angel, or a jinni, who used to possess great piety and beauty, but rebelled against God, who nevertheless allows him temporary power over the fallen world and a host of demons.

「サタンはアブラハム宗教において人間を罪に誘う存在。キリスト教とイスラム教では通常、堕天使(イスラム教のジン)と見なされる。サタン(ジン)はかつて大いなる敬虔さと美を有したが、神に反逆して悪魔の身分に落とされた。神は、(人間への試練としてアダム失墜後の)堕落した人間界と無数のデーモンに対して、悪魔がかりそめのパワーを及ぼすことを許した。」

サタンは神の被造物だったのである。それが何が気に入らないのか(本来の天使の職務に嫌気がさしたのか)、神に反逆し、神の座に坐ろうとした。ルシファーと呼ばれる堕天使も基本は同じだ。

デーモンはサタン(悪魔)の眷属

さて、上記の英文にはサタンとともにデーモンが登場している。デーモンは悪魔の一味。でもサタンの臣下・家来であり、格落ちの存在である。

デーモン(demon)
語源はラテン語daemonで、daemonはギリシャ語のdaimonから来ている。daimonの語義は “divine power”(聖なる力)、”guiding spirit”(指導霊)、”tutelary deity”(守護神)などでネガティブな意味はない。
daimonの語根はda-で “divide” を意味する。本来は神から分かれた聖なる存在と考えられていたようだ。ラテン語のgenius(生まれ持っている聖なる力、守護霊)やnumen(聖なる意思)に近い概念だ。
この意味の変化は、インドのヴェーダ文献で、元々立派な神だったアスラが悪神や悪魔に貶められていった経緯に似ている。つまり、政治状況を反映している。

神のチームとサタンのチーム

以上を整理すれば、次のような対応図式が出来上がる。

神→天使(善のチーム)

vs

サタン→デーモン(悪のチーム)

この構図はまるごとゾロアスター教の次の対応図式に相当している。

アフラ・マズダー→アムシャ・スプンタ(善の軍団)

vs

アンラ・マンユ(アーリマン)→ダエーワ神群(悪の軍団)

違うのは階層的な区分けである。ゾロアスター教では善のチームと悪のチームは同じ次元で戦うが、ユダヤ教の闘争はもっと抽象化され、ヤハウェが直接バトルフィールドに降りてくることはない。一神教の神はあくまで単独で頂点に君臨する必要があるからだ。

悪魔一覧

まあ、よくもこれだけ作ったものだ。ゾロアスター教の影響力恐るべし。お互いがお互いを悪魔とののしる。内部対立や近親憎悪でも悪魔は生まれる。

ユダヤ教の悪魔ベルゼブブ(Courtesy: Valery Petelin at https://ravael.artstation.com/)

ユダヤ教の巧妙な概念操作

悪魔と天使の導入

ユダヤ教は完全な一神教化を目指していたから、ゾロアスター教のように創造主と同じレベルに悪魔がいるのはまずい。そのためヘブライ人は天使を使って巧妙な概念操作を行った。

ゾロアスター教の場合、悪神アーリマンは本来、ミトラやアフラ・マズダーと同じアフラ神族の神だが、ダエーワ派に寝返った裏切り者であり、敵対者の象徴である。マズダ―派は、あえてアーリマンをアンラ・マンユと同一視することでアーリマンを貶めたのである。

  • ここにユダヤ教の概念操作のヒントがあったと思われる。アフラ全体をヤハウェに、アフラ離脱者のアーリマンを悪魔に置き換えれば、裏切り者の反逆者を創造できる。サタンの創作原理である(大天使→堕天使への転落)。
  • 一神教の創造主は、自分自身が起源である非創造神(uncreated deity)でなければならない。ヤハウェと同じ次元には別の神やサタンの存在は許されない。サタン=ヤハウェの被造物→堕天使→悪魔化の構図はこの原理にかなっている。
  • このような概念操作は並みいるライバル(異民族の神々、自民族の異端派)をまとめて排除するために好都合。不都合なものはすべて悪魔か堕天使にしてしまえば片が付くのだから。

ペルシャの一神教対抗策

このようなユダヤ教の概念操作は、後にペルシャへ逆輸入された可能性がある。ササン朝ペルシャの時代、ペルシャには激しくキリスト教が浸透し始めていた。ゾロアスター教がその圧迫に抗するためには、強力な創造神と壮大な宇宙論が必要だった。

そこでゾロアスター教徒は創造神ズルワーンを担ぎ出す(ズルワーンは無限時間の神であり、原インド・イラン人の神話に起源を持つ)。ズルワーンがアフラ・マズダーとアンラ・マンユを生み、善悪闘争をしている設定に改変したことにしたのである。明らかに一神教を意識したパンテオンの再整備だ。ズルワーン教では善なるアフラ・マズダーと悪なるアンラ・マンユがズルワーンの “代理戦争” を戦うのである。

善悪を乗り越える契機

ザラスシュトラの先駆的な「矛を収める」思想は、ペルシャの帝国化というバックグラウンドの中で急速に忘れられ、マズダ―派の介入したゾロアスター教はすっかり戦う宗教と化してしまった。

それはザラスシュトラの育ちの良さに起因するのかもしれない。彼には王や貴族や官僚を相手に教えを説いている風があるからだ。下々の気持ちを汲み取っていなかったのだ。

一方、天使や悪魔を採り入れた側のヘブライ人は王族や司祭階級を含めて被支配民だ。スタンスが全然違う。そのため、ザラスシュトラの楽観性、享楽性、「矛を収める」思想などは捨象され、善悪二元論、救済論、終末論、転生論などがセットで借用されたのだろう。

このことはアブラハム宗教の発展、ひいては世界史の先行きにとって不幸な出発点となった。「武を以て武を制する」善悪闘争史観の中で生きる限り、どちらかが倒れるまで戦い続けるしかない。実際、アブラハム宗教はいまも「矛を収める」気配がない。一神教の宿命なのかもしれない。