【語源学】 深淵について02 ― シュメールの女神ティアマットと母権社会の記憶

2018-05-29宗教, 文明文化の話, 歴史, 語源学

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テホム(tehom)

wikipediaの説明を見てみよう。

Tehom, literally the Deep or Abyss (Greek Septuagint: abyssos), refers to the Great Deep of the primordial waters of creation in the Bible. Tehom is a cognate of the Akkadian word tamtu and Ugaritic t-h-m which have similar meaning. As such it was equated with the earlier Sumerian Tiamat.

テホム(tehom)は旧約聖書の創世記1.2に出てくる深淵(ふかみ)、天地創造の前にあった混沌、始原の水(あるいは海)を指しているという。

アッカド語のtamtu、ウガリト語のt-h-mなどとの類似性から、メソポタミア神話(シュメール、アッシリア、アッカド、バビロニアの各神話)の創世神話に登場する太古の海の女神ティアマット(Tiamat)に起源がある、というのが定説になっている。

(出典:http://manmythmagic.blogspot.jp/)

とくにシュメール版創世記である叙事詩『エヌマ・エリシュ』(Enuma-Elis)が参照元として最有力視されている。

エヌマ・エリシュ創世神話のあらすじ

“Enuma-Elis”とは神名などの固有名詞ではなくインキピット(incupit)である。インキピットとは、詩や文章のタイトルをつけるときに使われる、その詩や文章の冒頭数語のこと。この場合、冒頭のエヌマとエリシュが叙事詩全体の題名となった。

インキピットは現代でも見られる。たとえば、Microsoft Wordなどで文書を作ったとき、とくにファイル名を付けずに文書を保存すると、その文書の最初の文章(の一部)が自動的にファイル名に使われる、あれと同じ道理である。

エヌマ・エリシュ叙事詩は以下のように始まる。英日対照で示そう。

When in the height heaven was not named,
And the earth beneath did not yet bear a name,
And the primeval Apsu, who begat them,
And chaos, Tiamut, the mother of them both
Their waters were mingled together,
And no field was formed, no marsh was to be seen;
When of the gods none had been called into being,

上にある天は名づけられておらず、
下にある地もまた名を持たなかった時のこと。
これらを生んだ始原のアプスーがあり、
これらの母なる混沌のティアマトがあった。
水はたがいに混ざり合い、
野は形なく、湿った場所も見られなかった。
神々の中で、生まれているものは誰もなかった。

以下、あらすじをwikipediaから引用する。

ティアマトはアプスーを夫として多くの神々を誕生させたが、新しい世代の神々の騒々しさに耐えられず、ついに神々の殺害を企てる。ところが、深淵を司る知恵の神エアの計略によって逆にアプスーが殺されてしまった。

アプスーの上に住居を設けたエアがダムキナと結婚し授かった息子マルドゥクが、アヌによって贈られた4つの風で遊び騒ぎ立てたため、ティアマトは配下の神々からの批判もあり、夫を殺された復讐を果たすべくついに戦いを決意する。

ティアマトは「血ではなく毒」で満たした11の怪物たちを率い、その指揮官に息子であるキングーを指名し、「天命の書版」なる神威の象徴を託す。

着々と戦いの準備を進めていると、神々により選ばれティアマト討伐に来たマルドゥクと対峙。しかし、マルドゥクの圧倒的な威容にキングーは戦意喪失してしまう。ティアマトは一人でマルドゥクに挑み彼を飲み込もうと襲い掛かったが、飲み込もうと口を開けた瞬間にマルドゥクが送り込んだ暴風によって口を閉じられなくなり、その隙を突いたマルドゥクはティアマトの心臓を弓で射抜いて倒した。

ティアマトを破ったマルドゥクは「天命の書版」をキングーから奪い、キングーの血を神々の労働を肩代わりさせるための「人間創造」に当て、ティアマトの死体は「天地創造」の材料として使うべくその亡骸を解体。二つに引き裂かれてそれぞれが天と地に、乳房は山に(そのそばに泉が作られ)、その眼からはチグリス川とユーフラテス川の二大河川が生じたとされる。こうして母なる神ティアマトは、世界の基となった。

母系社会の記憶

自然界から人間までをカバーする壮大な創造神話である。ティアマトは敗れはしたが創造された世界の “素” となった巨大な存在だ。人類社会が母系社会だった頃の遠い記憶が反映しているのだろう。

そう思う理由のひとつは「天命の書版」がティアマットからキングーに渡されたという記述にある。「天命の書版」とは世界の設計プログラム、運用指示書のようなものだろう。それを持っているのは王家(最高神)以外ありえない。

しかし男神マルドゥクは母なるティアマットを屠り、世界を創造した。母系社会を滅ぼし、そこから引き継いだ設計図を男社会が実装(実行)したことになる。

入り婿の家督簒奪?

女系から男系への移行が現代へ至る文明の原動力として働いたのは明らかだが、どうやって移行が進んだのだろう。血統の視点で考えれば、おそらく最初、男は強力な女王の家に入り婿のかたちで入り込んだ。肩身の狭い思いを重ねながら息子をつくり、孫をつくり、徐々に男の子に家督を継がせるよう仕向け、やがて王家そのものを乗っ取っていった、という感じか。

ティアマットが混沌の深淵(ふかみ)のイメージを担わされているのは、シュメールの時点ですでに母系社会がおぼろげな過去の世界になっていたせいと思われる。それでも叙事詩は律儀に、ティママットが世界の基になったと記述しているから、最低限の事実は書きとどめたのだろう。

一神教時代の父性原理

シュメールから数千年を経た旧約聖書の時代になると、もはや男性社会は所与の現実だったようだ。その証拠に旧約聖書は完全に男の世界になっている。中世以降のアラブ社会を見てもわかると思うが、アブラハム宗教は女性(女神)を隠し、狭い領域へ押し込めたがるのである。

とりわけ、この時代のヘブライ人の男たちはせっぱつまっていた。異教の神々への信仰に傾いて神に罰せられた苦い経験から、唯一神に背くことは今度こそアウトである。女神を拝むなんてありえない。その過程で大量の女神たちは(女神たちだけではないが)異教の神(pagan gods)か悪魔(demons)として葬られていったのである。

tehomによる抽象化と翻訳版でのニュートラル化

聖書学者によれば、創世記のtehomには冠詞が付いておらず固有名詞のように扱われているそうである。にもかかわらずtehomには個性がない。ティアマットのような性別も、擬人化も存在せず、ただ混沌、深淵の海という抽象イメージが投げ出されているだけだ。

ただでさえ曖昧模糊としたtehomがギリシャ語のabyssosへ翻訳された段階で、別系統のことばの連なりへジャンプしていくから、tiamut→tehomとリレーされた女神の痕跡は消えてしまう。さらに時を経て英語訳聖書になると “the deep”、”bottomless pit” といった完全にニュートラルな語感に移行し、ティアマットの跡形はもうどこにもない。

ティアマットに残された記憶の痕跡

にもかかわらず、シュメール叙事詩→旧約創世記のなかに手がかりは残された。ティアマットは一方で混沌(無秩序、非理性)、他方で豊穣(生みの母、母なる海)という両極性を与えられているからだ。この両極性こそ太古の人間が気づいていた “女性性” の、最も古い “神” の本質なのではないか。

現代文明は理性一番、科学万能、自由万歳の社会だから、太古の女性神のような生々しいものを嫌う。死が病院へ押しやられ、子どもは死を知らない。そういう「不都合な真実」は見ないように見ないように仕向ける。しかし真実はいまも確かに存在しているのである。

太古の人間は女性神をどう表現していたのか、次回はその辺に触れてみたい。

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