【語源学の旅】”money” の来歴03:地母神とお金の起源

2018-11-11お金の話, 宗教, 歴史, 語源学, 貨幣論・歴史

三相一体の女神たち

Uni=Juno胸像(紀元前380年頃、エトルリア出土)

ユーノー(Juno)は古代ローマにおいて国母といえるような特別の扱いを受ける女神だった。カピトリヌスの神殿にはユーピテル(Jupitar)、ミネルヴァ(Minerva)ととも祀られているが、これはローマ帝政下で父権支配が強まった影響で女神ユーウェンタース(Juventas)が追放され、ユーピテルに置き換えられた結果である。

ローマ以前のラティウム(Latium)という連合部族の時代には、母なる神ユーノーを中心に、処女ユーウェンタース、賢い老婆ミネルヴァという三相一体の神(triad、triplet)として尊崇されていた。この三柱の女神は独立した神格としてではなく、三柱で一つの神として崇めらたという。ユーノー という呼称(ラテン表記ではiuno)が、”一にしてすべて” を含意するエトルリアのウニ(uni) から来るのはそのためだ。
Astarte像(紀元前10世紀以前):ウガリット出土(現在のシリア)

三相一体の祭祀形式はローマに限らず、古代以前の地球で普遍的に見られたようだ。信仰の中心が女神であったことも共通している。

エトルリアのウニもまた、さらに古いオリエント世界の女神を起源としている。
直接のルーツは地中海世界で広く尊崇されたフェニキア(シリア)起源の、多産豊穣の女神アスタルテ(Astarte)であると言われている。
アスタルテはギリシャに入ると有名なアフロディーテ(Aphrodite)となる。
オリエント世界におけるユーノー女神の来歴:
アスタルテ(フェニキア)→ウニ(エルトリア)→ユーノー(ローマ)

地母神の時代

ところが、アスタルテにもさらに起源が存在するようなのである。
人類共通の祖先がアフリカ大陸にいたのと同じように、ローマのユーノーに至る女神の祖型も気の遠くなるような太古の時代に始原を求めるしかないそうだ。それを総称的に大地母神、地母神(Mother Goddess)などと呼んでいる。
面白いことにローマ神話にはマグナ・マーテル(Magna Mater)という、ユーノーとは別系統の地母神が登場する。この神はギリシャではキュベレー(Cybele)と呼ばれるが、ローマには第二次ポエニ戦争(対カルタゴ戦争)のどさくさにまぎれて持ち込まれたのだという。
キュベレーの起源は青銅器時代のアナトリア半島(トルコ)プリギュア(フリギア)にあるとされる。ユーノーやウニとは起源が異なる神の系統なのだと思う。
Ankara_Muzeum_B19-36.jpg画像はトルコ・コンヤ市郊外のチャタル・ヒュユク遺跡から出土した母なる神像で、キュベレーかどうかはわからないが紀元前6000年頃に制作されたもの。チャタル・ヒュユクは現在から9000年以上遡ることができる世界最古の都市遺跡だ。
有名なフレイザー『金枝篇』(”Golden Bough” James Fraser)によって類型化されたように、ローマがキリスト教を国教化するまでの長い期間、女神が圧倒的に崇拝されていたのは人類社会が農耕を基礎とする母権制の世界だったからだろう。
女神は豊穣の象徴である反面、破壊の貌をもつ。それは自然災害や天変地異が農作に深刻なダメージを与えた現実を投影していると考えられる。
しかし一神教を発生させた遊牧民は、それとは反対に過酷な自然条件を克服するために父性原理を重視する。フレイザーは、ユダヤ教に発したキリスト教やイスラム教が、在来の地母神信仰やそれに影響された多神教風土を席巻し、世界宗教化していく過程が人類の歴史であると見たのだった。実際、聖書では地母神や多神教の神格が悪魔化され弾圧され、信仰の世界から排除されていく。
これはこれで重要な事実なのだが、ユーノーから地母神までを追ってきてトコシエがもっとすごいと感じたのは、お金という媒体そのものの由来が女性と結びついているということなのだ。

お金の根源は女性と結びついている

英語の money という語はユーノー・モネータに起源を持つが、貨幣そのものはそれよりずっと以前からあった。人類学や考古学の知見によれば、貨幣の起源は少なくとも古代メソポタミアまで遡れるという。では、お金はどのようにして生まれたのだろう?
参考:経済人類学者平山朝治の「貨幣の起源について」 を参考に簡単に考えてみよう。

お金の起源にまつわる主流派経済学のウソ

経済の教科書でよく行われる説明は次のようなものだ。
  • まだ貨幣のない未開社会では、物々交換(barter)しか経済は行えなかった。しかし物々交換は <こちらの欲しいものを相手が手放したくて、相手の手放したいものをこちらが欲しい> という欲望の二重一致(Double Coincidences of Wants)が起きないと成立しないためとても不便だ。
  • そこで取引を仲介する手段として、誰もが欲しがる稀少な財を使い、その財を通じてこちらが手に入れたい相手のものを買うという行為が成立した。
  • この財が貨幣の起源であり、貨幣は最初交換手段としてあったということになる。
この交換手段起源説はアダム・スミス以来、マルクス経済学でも、現在主流の新古典派経済学でもまことしやかに受け入れられているのだが、カール・ポランニーという学者によって厳しく批判された。
ポランニーによれば、「未開社会や古代社会の貨幣は、互酬や再分配といった非市場経済において、専らある種の支払(債務弁済)手段のみに使われたり、価値尺度としてのみ使われるものもある」(平山資料 p2)のだから、貨幣の起源や本質を交換手段に限定するのはおかしい。新古典派的な貨幣起源説は、市場経済が成立した時点の観察から原因を演繹した誤り(はじめに結論ありきの間違い)だというのだ。

女性と貨幣は共同体間を結ぶ媒介だった

では互酬や再分配といった非市場経済において、どのように貨幣は生まれたのか?
詳しい説明は省くが、未開社会では物々交換のような相対取引を行おうとすれば、未知の共同体同士は敵対はしなくても緊張関係を解くことができない。お互いを信用できないからだ。

では信用できるようにするにはどうするか?

嫁を出したのである

  • 女性が外婚することで嫁ぎ先に子どもが生まれる。共同体間に親戚関係が生まれる。血のつながりは共同体間の関係を安定させる。このとき女性は嫁ぎ先に実家の大事にしていた財なり特産物なりを持参する。この嫁が持ち込む余剰物が貨幣に発展していくのである。
  • これは二つの共同体間に限定した話ではない。例えば、未知の共同体AとBがあるとする。Aの娘がBに嫁いで子どもを生む。AとBは親戚関係となる。このとき嫁いだ女性はAとBにとって交換手段だが、子宝を授けることを通じて余剰(それまで存在しなかった価値あるもの)を生み出す。そういう意味では価値の保存手段でもある。
  • そこへさらに未知の共同体Cが登場し、Aとしてはここと渡りをつけたい。別の娘をCに嫁がせる。AとCは親戚関係となる。このとき同時にBとCも遠縁関係になる。
こうして外婚を繰り返せば異なる共同体間に血縁的絆が形成され、ひとつの社会を形成していく。余剰も蓄積していくだろう。社会がある程度の規模に育てば、余剰を通じて経済的な発展が志向されていく。それが新たな別の社会との交易関係へ発展していった結果、市場社会が生まれた。そこでは富や財を専門に仲介する人間が現れる余地ができ、彼らが商人や貿易商になっていく。こうして資本の蓄積が起こったことになる。

交換手段起源説は危険

なぜ資本を蓄積し増殖させていったかといえば、市場の発達で向上していった生活水準を維持するには、何より人口を増やす必要があったからだろう。マルクス経済学が言うように、資本家が欲にかられて必要のない剰余を溜め込んで資本が蓄積したというのはフィクションに近いのではないか。
このように見てくると、人間の経済を豊かにしてくれる契機は外婚、すなわち媒介役をしてくれる女性である。敬われて当然ではないだろうか。とりわけ生殖力に秀でた女性が重んじられ、地母神として崇められていったのも頷ける気がする。
ではフレイザーの言うように地母神を重んじた農耕社会が、遊牧民社会との争いに敗れ、次第に一神教に取って代わられたというのは本当なのだろうか?半分は正しいように思う。しかし経済活動が高度化していくと、子育てに追われる女性を中心にした農耕社会では生産力に限界がある。
そのために、次第に経済の中心が交易や工業に移っていったと見るのが自然だ。体力に勝り、契約や会計など抽象的思考に秀でた男性を中心に経済を回す方が効率的になったのだ。その結果、男神(唯一神)中心の父権制社会へ移行していったのではないかと思う。
語源学から離れてしまったが、money というひとつの手がかりから、古代ローマや古代の宗教まで探求することができた。宗教と経済は深く結びついているのだ。
これは奥が深いトピックなので、後日、再論したい。同じく平山朝治説を参照しつつ、日本の古代社会に目を転じることになる。