【世界と宗教】戦後日本の無宗教化と昭和天皇詔書の本意

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戦後日本の無宗教・非宗教化

では、なぜ現代日本にはagnosticあるいはnon-religiousな人が多いのでしょうか?

日本宗教の特徴:第二の心の存在

明治以前の日本は宗教にうるさくない国ですから先祖帰りとも言えます。なぜうるさくないかと言えば、神・仏・儒がうまく役割分担し、根底にある神道と抵触しなかったからだろうと思います。魂のことは仏教が、政は儒教が主に担当し、神道は全体の受け皿となっていました。

神道のベースは先祖崇拝と自然崇拝ですが、それは次の岡潔(おかきよし)のことばにあるように、日本人に特有ともいえる心の第二層――情緒を与えました。情緒の世界こそ日本人がずっと住んできた心鎮まる聖なる時空間であり、神道の精髄だと思われます。「ことばにすればウソになる」世界です。

第2の心のあることを知らないのを西洋人と云い、ほのかにでも知っているのを東洋人と云っているのです。それが定義になる訳ですね。特に日本人は第2の心のあることが非常によくわかる。もし、西洋かぶれさえしてなかったら、心が第1の心だけしかない等と、そう云うはずがないと云うことが直ぐにわかる。と云うのは日本人は、大体第2の心の中に住んでて、時々第1の心が現れるだけです。(中略)

芭蕉は、秋風はもの云わぬ児も涙にて、と云ってますが、秋風が吹くともの悲しいですね。このもの悲しいと云うのは私がもの悲しいんじゃないでしょう。つまり喜怒哀楽じゃないでしょう。自からもの悲しいんでしょう。又、もの悲しいと意識しないでしょう。直下にもの悲しいんでしょう。だからもの悲しさも第2の心がわかるんですね。時雨が降れば懐しい。この懐しいも又第2の心が直下にわかるんですね。

出典:数学者岡潔思想研究会

情緒と感覚とどう違うかというと、今の印象でもわかるでしょう。もっと、はっきり言うと、例えば、フランスは緯度が高いですから夏が愉快である。それで夏は愉快だが、冬は陰惨だという。これは好き嫌いと同じで、夏は好きだが冬は嫌いだというのです。晴れた日は好きだが、雨の日は嫌いだ。こんなふうになる。

日本人はそうではない。日本人は情緒の世界に住んでいるから、四季それぞれ良い。晴れた日、曇った日、雨の日、風の日、みなとりどりに趣きがあって良い。こんなふうで全て良いとする。

もっと違っているのは、感覚ですと、はじめは素晴らしい景色だと思っても、二度目はそれ程だとも思わず、三度目は何とも思わない。こうなっていく。感覚は刺激であって、刺激は同じ効果を得るためには、だんだん強くしていかなければならなくなります。

出典:数学者岡潔思想研究会

とても大事なことが書かれていますので、引用が長くなりました。

世界の宗教の起源は、神から啓示を受けた預言者や、それを書き留めた聖典に求められることが多いのですが、情緒の世界が顧みられないのは実にもったいないことです。人間の驕りや傲慢の行き過ぎが懸念されている現代だからこそ必要な心に思えます。

戦後の無宗教化の原因

戦後の無宗教の大きな原因としては以下の4つほどが考えられます。

  • 非宗教層(無関心)の増加:戦後の無宗教教育。戦前の国民が明治政府の推進した「国家神道」(State Shinto)を信じていたかどうか疑問ですが、敗戦は「宗教デトックス」にうってつけの機会となりました。敗戦体験が国策宗教、ひいては宗教全般へのアレルギーを生んだのです。GHQと左派は表向き対立しつつ、日本人から宗教教育(記紀神話含む)を取り去り、国家否定、宗教(天皇)否定の「日本弱体化」戦略を推し進めました。日本が二度と宗教で団結して(そうアメリカには見えたのでしょう)刃向かわないように。
  • 組織宗教の拒絶:戦後雨後の竹の子のように現れた新興宗教や堕落した既成宗教に国民が辟易しているという面もありそうです。こういう人々は無関心層というより、組織宗教嫌いという面が強いと思います。
  • 世俗化の進展:科学主義(合理性信仰)やリベラルな個人主義が厭戦気分にフィットした面もあるでしょう。これは世界的な潮流でもあります。
  • もともとの脱宗教傾向:江戸の時点で日本人は十分に脱宗教になっていたと思いますが外圧がその発展を阻みました。ただ明治以降敗戦までの政府はその大きな流れに棹差しただけで、国民は自然な状態へ復帰したのだとも言えます。

データで見る世界の無宗教度

戦後の非宗教化の「成果」は日本人の無宗教度に現れています。国際比較でも中国、エストニア、チェコ、ヴェトナムなどに次いで高い無宗教率を見せています。

出典:社会実情データ図録

しかし、これは必ずしも左派の戦後教育が日本人を単なる無宗教にしたとは言い切れません。先祖帰りの面も否定できないからです。日本人にはどこか「超」宗教的なところがあるので、国際比較は日本人自身にはあまり意味を持たないかもしれません。

 

人間宣言について

戦後の非宗教化の流れを決定づけたのが、昭和天皇のいわゆる「人間宣言」(”Imperial Declaration of Humanity”、マスコミの命名)です。正式名称は新日本建設に関する詔書(The Imperial Edict on the Construction of New Japan、単にImperial Rescriptとも)なのですが、左派はさかんに「天皇は非を認めて神の座を降りた」「だったら戦争の責任も取れ」と天皇の退位(願わくば、そのまま皇室の断絶)を求める道具に使いました。

でも国民は同調しませんでした。義憤に駆られてというよりも自己都合が勝ったのではないかと思います。太平洋戦争は総力戦(total war)でしたから、もし天皇に責任があるなら自分たちにもあることになります。ところが軍人にすべて罪をかぶせれば、天皇も国民も同時に救われます。やがて極東軍事裁判でA級戦犯が処刑されたので、国民の中では戦争責任の問題は片付いたことになりました(この「戦争責任」という概念自体、いい加減なものです。英語でもwar crimeやwar criminalということばはあっても、war responsibilityということばはありません。あるのは戦後日本関連の話題のときにほぼ限られています)。

デマに基づく反天皇工作

「人間宣言」は悔悟と懺悔の詔書ではありません。

The Emperor announced the declaration as a human, and inside that, so called ‘Ningensengen’ (declaration as human), which states that ‘the Emperor is human and is not Arahitogami,’ was declared.

この英文を読むと、天皇は自身が現人神であることを否定し、自分は人間だと宣明したとのことですが、原文に当たってみたところウソでした。以下をご覧ください。これが、天皇の人間宣言とされている問題の個所です。

天皇ヲ以テ現御神あきつみかみトシ、かつ日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、ひいテ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
◆現御神: この世に生きている神
They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine, and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.

ここで昭和天皇は「天皇を生きた神とする」ような考えを諫(いさ)めています。自らを天皇と呼んで客体化しており、神話や伝説を根拠に、自国優越思想に基づいく世界支配を企てたことの過ちを質しているだけです。どこが「人間宣言」でしょうか?

そして「現人神」とも言っていません。「現御神(あきつかみ」は同様の意味ですが、明らかな改竄です。そもそも「人間」とも「宣言」とも出てきません。すべてがデマを流した者の「こう言ってほしい」という願望に過ぎないのです。こういうデマを裏も取らずに(あるいは素知らぬ顔をして)まことしやかに国民の天皇離れ、非(無)宗教化の道具にしているわけです。

昭和天皇の意図

では、昭和天皇の意図はどこにあったのでしょうか?

苦難にあえぐ国民への叱咤激励です。戦後も伝統の切断はないのだという決意を示そうとして、五箇条の御誓文の引用で詔書を始めています。滅多に目にする機会もないと思いますので御誓文を引用しましょう。

一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
1. Deliberative assemblies shall be established and all measures of government decided in accordance with public opinion.

一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
2. All classes, high and low, shall unite in vigorously carrying out the affairs of State.

一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
3. All common people, no less than the civil and military officials, shall be allowed to fulfill their just desires, so that there may not be any discontent among them.

一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
4. All the absurd usages of old shall be broken through, and equity and justice to be found in the workings of nature shall serve as the basis of action.

一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
5. Wisdom and knowledge shall be sought throughout the world for the purpose of promoting the welfare of the Empire.

叡旨えいし公明正大、又何ヲカ加ヘン。
◆叡旨: 天子のお考え
The proclamation is evident in significance and high in its ideals.

ちんここニ誓ヲあらたニシテ国運ヲ開カント欲ス。
We wish to make this oath anew and restore the country to stand on its own feet again.

ここで昭和天皇は日本の統治の伝統を再確認しているのです。日本の伝統は先般の現御神による世界支配(専制支配)ではなく、天皇と国民の信頼に基づく一致協力(君民共治)であることを改めて国民に言い聞かせています。「叡旨えいし公明正大」で過不足ない明治天皇のお考えに何も付け加えることはない、ここへ戻ろうと言っているのです。

そして問題の個所の流れは次のようになっています。

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ちゅうたいハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニあらズ。
◆紐帯: 二つのものを結びつける大切なもの。きずな
The ties between Us and Our people have always stood upon mutual trust and affection. They do not depend upon mere legends and myths.

天皇ヲ以テ現御神あきつみかみトシ、かつ日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、ひいテ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
◆現御神: この世に生きている神
They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine, and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.

御誓文にあった上下の分けへだてなく力を合わせて国を興す精神、それは天皇と国民の「信頼と敬愛」に基づくのだから、国家神道のように神話や伝説を持ちだすのはおかしい。神話を根拠に、神官の総代である天皇を神格化し、日本人の優越性の根拠や世界支配の正当化に使ったのは誤りであると明白に否定しています。

繰り返しますが、天皇は自分を人間であると認識しているのですから「人間宣言」などしようがないでしょう。

朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲいつニシテ、自ラ奮ヒ、自ラ励マシ、もっテ此ノ大業たいぎょうヲ成就センコトヲ庶幾こいねごフ。
◆大業: 大きな事業
We expect Our people to join Us in all exertions looking to accomplishment of this great undertaking with an indomitable spirit.

そして最後に、自分が信頼する国民が自分と心を一つにして「人類の福祉と向上」のために働くことを希望すると言って結んでいるのです。戦後憲法の精神をも踏まえた実に冷静なメッセージになっています。どこにも神がかっていた人間の懺悔や悔悟の声など聞こえてこないのです。

 

非宗教・無宗教は本当に自然な流れなのか?

戦後の天皇の扱いがいかに常軌を逸し失礼なものか、おわかりいただけたでしょう。いくら左派の悪意でしたこととは言え、国民の方でももう少し真剣に左派と戦うべきだったのではないでしょうか。

ブログ主が強調したいのは、戦後日本に限っては、このような国民のアパシー(感性麻痺、apathy)が非宗教(無宗教)化の大きな要因だという点です。別に特定の宗教に入信した方がいい、天皇を熱心に拝むべきだとか言いたいのではなく、宗教離れ(世俗化)が左派の思うつぼだということに自覚的であってほしいと思うのです。

左派が目指すのは伝統破壊と独裁政治

最後に、ここまでする左派の狙いについて簡単に触れておきましょう。今度は日本限定ではなく世界全体に関わる話です。

左派の狙いは簡単です。

国体(伝統的価値)の破壊⇒国家の分断⇒弱体化後の国家乗っ取り⇒共産化

左派は宗教を敵対視しますが、自分たちだけは「国家は例外なく悪だ」と信じていて、それを信仰と呼ばず科学と呼びます(笑)。国家を乗っ取った先には、

資本制の自壊⇒共産政府独裁⇒人民の自主的組合による政府なき幸福な共産社会

という彼らのパラダイスが待っています。

だから左派は早く資本制を滅ぼしたくて仕方がないのです。そのためには無宗教化だろうとジェンダーフリーだろうと手段を選びません。伝統や規範に抵触する進歩なら何でもいいのです。こうした思想テロは自由や解放と呼ばれますが、ネオリベと呼ばれる人々の実体はこれです。

左派は主戦場はもはや工場や企業ではなくメディアや大学にシフトしています。欧米や日本は基本的にどこも同じです。

左派の洗脳工作は想像以上に浸透し成功を収めつつあります。いまやアメリカ人の4割は両親のない家庭で生まれ育つと言います。リベラルな親たちが子どもの成長に寄り添うことより自分の生活を優先するからです。世俗化(無宗教化)の果てが左派の牛耳る世界だと言うなら、共産主義こそ史上最悪の宗教ではないでしょうか?

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