【英米論2】財産と自由:運命の分かれ目となったジョン・ロックの自然権思想

政治・社会, 英語の話

なぜ現代がアングロサクソン(英米)の時代になったのかを探る2回目となります(初回記事はこちら)。今回テキストに使うのは入試問題や英文読解の練習に多く利用されてきた数学者・哲学者のバートランド・ラッセル(Bertrand Russell )のコラムです。このコラムの背景にあるのは17世紀イングランドの哲学者ジョン・ロック(John Locke)が提示した財産権(property rights)思想です。

ロックは人間は自然権「生命・自由・財産」を神から等しく分け与えられたと主張しました。「財産権」はその三本柱のひとつです。「生命」(生存権)は最も基本的な権利ですから脇に置くとして、近現代の歴史を振り返るとき、他のヨーロッパ諸国が「自由」にいかれてふらふら革命騒ぎに邁進し国力を消耗したのを尻目に、アングロサクソン(英米)は「財産権」を重視してちゃっかり資本主義システムを整備し、経済覇権を掌握しました。

この二大分岐こそ近現代がアングロサクソンの時代になった最大の理由だと思います。

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ロック思想の功罪

「john locke」の画像検索結果ロックはピューリタンの家に生まれ、ホイッグ党(当時の革新勢力)の領袖シャフツベリーに気に入られ御用哲学者になった人です。一時は親分を追ってオランダに亡命し、名誉革命(Glorious Revolution)後に帰国しました。

ロックは名誉革命後の「立憲君主政+再建国教会」のイギリス(イングランド+スコットランド+アイルランド)統治体制を正当化するイデオローグなのですが、その後の影響は大きく、左翼(あるいは革新リベラル)の総大将と呼んだ方が適当でしょう。

英米でのロック思想の展開

  • ロックと並ぶ近代イギリス思想のキーパーソンが、フランス革命を痛烈に批判して名を上げた保守リベラルの巨星エドムンド・バーク(Edmund Burke)です。イギリス近現代政治は両巨頭の思想の綱引きの上に成り立ってきました。
  • しかし若いアメリカはほとんどバークの影響を受けずロック系一本で発展しました。
  • アメリカでは、ロックにも影響を与えた水平派(Levelers)の影響も無視できません。極限まで政府を縮小させたいリバタリアニズム(libertalianism)の元祖だからです。
  • 20世紀パクスブリタニカがパクスアメリカーナに移行する過程で大恐慌が起きました。その復興策として大型公共事業を伴う財政出動(ニューディ-ル政策)を行ったのですが、これがロックのもう一系統である社会主義的発想に基づく「大きな政府」がアメリアカ根づくきっかけとなりました。アメリカの二大政党制は結局、ロック思想から二大分岐したリベラリスト(自由主義者)なのです(ヨーロッパ的な意味での「保守」は存在しません)。
    • 初期に財産権にフォーカスし民主制下での資本主義を推進した勢力が「コンサバティブ」と呼ばれる共和党(Republicans)、機会平等派。
    • 社会主義的に変容したロック思想を奉じる勢力が「リベラル」(揶揄的にはネオリベラル)と呼ばれる民主党(Democrats)、結果平等派。

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ロックの思想についてはすでに多くが語られていますので、ここではブログ主が特に重要だと思う3つのポイント「労働観」「財産権」「抵抗権」に絞りたいと思います。

ロックの労働観

ロックはそれまで当たり前だった「土地が富を産む」という考えを否定し、哲学史上はじめて「労働が富を産む」と唱えました。これは、国民(議会)を国王の上に置く名誉革命後の大転換に対応するものでした。これは働くことが自分を豊かにし、ひいては社会全体を豊かにするという考えにつながり、国民国家の意識を高めるとともに、資本主義の発展を大きく前進させる画期的な発想転換でした。

私有財産権の設定

「労働が富を産む」という考えを正当化するために、ロックは国王(パブリック)の財産とは別に、民間の(プライベートな)「私有財産」というカテゴリーを考案します。これを法律で守ることにより、国民が自由に経済活動できるようにしたのです

ピューリタンの労働観は禁欲的な神への奉仕でした。天職を全うすれば神の国へ入れるかもしれないという希望が、当時の商工業先進地域であったオランダやベルギーに広まりイングランドに流入したのです。彼らは神のためといいつつ、儲けたお金の扱いに何となくやましさを持っていました。そこへロックの「働くことは社会全体に役立つ」「所有権は守る」というお墨つきが現れたとき、ブルジョワたちはほっと胸をなでおろしたに違いありません。

抵抗権の設置

せっかくの国民の自由な経済活動に議会(政府)の邪魔が入ると困るので、ロックは抵抗権(Right of Resistance)というもので公権力を規制することを考えつきました。建前は「政府は国民の私有財産権を守るのが仕事」というロジックです。もし政府が国民の権利を侵害する場合、国民は抵抗(革命)して悪い政府を排除して構わないということにしたのです。

ロック思想の絶大な影響

以上3つの影響がいかにすさまじいものだったかはその後の歴史が証明していると思います。

  • 労働観の変化はピューリタンの神への気兼ねを取り払い、本格的な資本主義の躍進につながりました。その結果ピューリタンはアメリカという新天地を開き、イギリスでは産業革命を興していきました。
  • 財産権の思想はイギリスのみならず各国の商工業活動を活性化し、資源需要を増やしました。植民地開発の必要に迫られたヨーロッパ各国は、財産権を通じて侵略を合法化していきました。例えば、アメリカに進出したイギリス人はネイティブの土地を誰のものでもない「無主の土地」などと称して奪い取り、法的に自分のものにしていったのです。ネイティブが反乱を起こせば、法を盾に暴力(武力)で屈服させました。
  • 労働と私有財産に重きを置くロックの思想は大陸のマルクスら社会主義者に甚大な影響を及ぼして革命理論を誘発しました。そして20世紀の共産(ロシア)革命につながっていきました。
  • 抵抗権の思想はルソーら大陸の啓蒙思想家のこころに火をつけ、フランス革命の理論的下支えになりました。

「人間」とは誰のことか?

ところで、ロックの自然権(natural rights)の思想(生命・自由・財産)、それを取り込んだアメリカの独立宣言やフランス革命の人権宣言に含まれる「人間」とは誰のことでしょうか?

結果を見れば火を見るより明らかですが、ロックの言う「人間」とはピューリタン、またはプロテスタントのことです。もう少し枠を広げても、せいぜいキリスト教徒か白人が入るくらいで、その他の異教徒(アメリカ大陸、アフリカ大陸、中近東、アジアなどの人々)は含まれていません。

もちろん現代では表向きそれは否定され「人権が全人類に拡大されていった」ことになっています。いまではロックの自然権に思想は、性的マイノリティの権利拡大やら、専業主婦の「無賃労働」の告発やらの領域にまで拡大解釈されている始末です。

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ラッセルのコラム:”Right and Might”(権利と暴力)

それではラッセルの文章を読んでいきましょう。

「bertrand russell」の画像検索結果以下の著作は短いコラムを集めたものですが、濃密な内容が圧縮されている文章なので英語の勉強には最適なテキストではないかと思います。

出典は Bertrand Russell “Mortal and OthersーAmerican Essays 1931-1935” となります(訳文はブログ主が自主的に訳出し直したものです)。

‘Universal sovereignty does not belong to any individual to the exclusion of all the rest, and no one ever saw a dynasty which could count a hundred generations of emperors. Possession – and possession only – gives a right to govern.’

If you have friends interested in history and political theory, you may safely ask them to guess who said this. Was it Cromwell? Was it Robespierre? Was it some extreme follower of Jefferson? Was it Lenin, or perhaps Hitler? These are some of the guesses likely to be made, but they are all completely wide of the mark.

The author of this weighty observation on right and might was Tien Te, the leader of the Taiping rebellion in China, and the date is 1850. He was trying to dispossess the Manchu emperors, who were foreign conquerors, and in the meantime he was not above a little brigandage. ‘How’, he exclaimed, ‘have the Manchus, who are foreigners, a right to collect the revenues of eighteen provinces, while we, who are Chinese, are forbidden to take a little money from the public stock ?’

「普遍的な主権とは何ぞや?他者をすべて排除して特定個人にそれが帰属するわけがない。皇帝百代を数える王朝など誰も見たことがない。所有が、ただ所有だけが統治を正当化するのだ」

みなさんの友人に歴史や政治理論に詳しい人がいれば、これが誰の言葉か尋ねてみるといい。クロムウェル?ロベスピユール?ジェファーソンの過激な支持者?それともレーニン?ひょっとしてヒトラー?どれもありそうな答えだが完全に的外れだ。

権利と武力に関するこの重い省察は、1850年、清国で太平天国の乱を率いた天徳王(洪大全)が書いたものである。外来征服者の満州族皇帝の放逐を目指す天徳は、この当時まだちっぽけな山賊に過ぎなかった。「なぜ」と彼は叫ぶ、「異民族の満州族に中国十八省から税を取る権利があって、我々中国人には国庫からわずかの金も引き出すことが禁じられているのか?」。

私的所有権の源

This is an awkward argument, not only in China, but in most of the countries of the world. Everywhere, ownership of land is derived from military force. The great landowners of England owe their title sometimes to William the Conqueror’s spoliation of the Saxons, sometimes to Henry VIII’s seizure of Church property, and in either case to naked force. In America, the land had to be acquired by force from the Indians. The gold and diamond mines of South Africa, which are the basis of many princely fortunes, were similarly taken from the Negroes. Everywhere, the title to land rests, in the last resort, upon the power of the sword.

これは中国だけの話ではない。世界の他の国もたいていこのの厄介な問題を抱えている。あらゆる国で誰かの土地は武力で奪ったものである。イングランドではウィリアム征服王がサクソン族から土地を奪って大地主が生まれた。ヘンリー八世が教会財産を没収したときにも生まれた。どちらもむき出しの暴力のおかげだ。アメリカでは力づくでネイティブから土地を獲得するしかなかったし、王室の財布を膨らました南アフリカの金鉱やダイヤモンド鉱も暴力で黒人から奪ったものだ。土地の所有権を確定する最終手段は剣の力なのである。

Why, then, do we all object to brigandage? We cannot object on the ground that the brigand has no right to the rich man’s property, since the rich man is merely the descendant or legal heir of some earlier brigand. We object because law and order are desirable, and when men have acquired property by force it is usually desirable to confirm their possession by legal enactment. Within a state, it has been found a good plan to forbid all force except that of the government, in order that people may not lose their time, their money, and even their lives, in fighting each other. The ‘right’ of a man to his property, in short, is merely a matter of social convenience.

それなのに、なぜ人はみな山賊行為に反対するのだろうか?山賊は金持ちの財産に対し、いかなる権利も持たないというのは反対理由にならない。なぜなら金持ちも元をただせば山賊の子孫か、その正当な相続者に過ぎないからだ。そうでなくて、みなが山賊行為に反対するのは法と秩序を望むからだろう。財産を暴力で得たなら、法で所有権を確定するのがあるべき筋道だからだ。だから国内法の枠内では、他人の時間やお金や命を奪う権利を国民に与えず政府だけに与えるというのが妙案とされてきた。要するに個人の財産権は社会的な方便に過ぎないのである。

国際的な「野蛮」の放置

As between different nations, however, the maxims of the worthy Tien Te are universally admitted. A victorious nation has, in practice as well as in theory, the right to extort just as much as it possibly can from its vanquished enemy. This right was exercised by Napoleon, by the Germans in 1871, and by the Allies in 1919. In the relations between different states, we still have the condition of universal brigandage that existed between individuals in the days before there were orderly governments. And we still have all the evils that attended that state: the anarchy is international, not national, but is none the better for that.

ところが国家間では天徳の告発した公理が万国に許される。戦勝国は理論上も実際上も取れるだけの財産を敗戦国から取って構わない。この権利はすでにナポレオンが、1871年のドイツが、1919年の連合国が行使した。人類は秩序ある政府をつくる以前、個人間で奪い合いをしていた。ところが国と国の間はいまだに昔と同じ野蛮状態に放置され、野蛮に乗ずるあらゆる悪がはびこっている。国内のアナーキーはなくなったかもしれない。だが誰の得にもならないことに地球規模のアナーキーは健在なのだ。

It is useless to hope for lasting peace in the world until the relations between different national governments are regulated by law, that is to say, by a force stronger than any of the national governments, and able to enforce its decisions, however unpopular they may be with a section of the human race. You may say, if you please, that you prefer war, with all its horrors, to the surrender of one iota of national sovereignty. This is an intelligible position, though, to my mind, a mistaken one.

一部の人類には不人気かもしれないが、国家間も法で、主権国家の国内法を超越し強制力のある国際法で裁かない限り、永久平和など望むだけ無駄だ。国家主権の一部たりとも譲りたくないから、どんなに恐ろしいことがあっても戦争に訴えるという国もあろう。そういう立場があるのは理解できる、個人的には間違っていると思うが。

But you cannot say, with any semblance of logic, that you are against war but in favour of the present system, according to which, in a dispute, every government is the ultimate judge in its own case. If war is ever abolished, it will have to be by the establishment of an international government possessed of irresistible armed forces. And if war is not abolished, civilization cannot survive. This is a painful dilemma for those whose patriotic feelings are stronger than their reasoning powers, but if it is not apprehended intellectually it will be disastrously proved by the march of events.

しかし現行の国際法秩序の下で、ある国の関わる紛争を最終的に裁く権利はその国にある。だから、どんな理屈をこねても「戦争に反対する」とは言えないことになる。もし戦争を永久に廃絶したいなら、絶対的な武力を備えた国際政府を作るほかない。しかも戦争の廃絶なくして文明は存続しえないのである。愛国的な感情が理性の力より強い人々には苦々しいジレンマかもしれない。だがここは論理に従う場面だ。さもなければ破滅的な事象の行進によって文明のジレンマが現実化することになる。

<記事引用終わり>

超国家組織のジレンマと英米覇権の継続

このコラムが書かれたのは1930年代です。不幸なことに「野蛮」が放置された結果、ラッセルの危惧したように「破滅的な事象の行進」が現実化し第二次世界大戦の惨禍を招きました。その膨大な破壊と犠牲の上に、ようやくNATOや国連軍などの超国家軍隊が「野蛮」を取り締まるようになりました。

しかし表向きの理屈はともかく実効性に疑問が残ります。そもそも超国家組織には紛争当事者が含まれる可能性があります。もし紛争当事者がアメリカのようなスーパーパワーであればどうでしょう?アメリカを成敗するNATOや国連軍は考えられるでしょうか?しかも国連は旧連合国の寄り合い所帯で、日本はドイツはいまだに敵国認定を解除されていない非常に偏った組織です。

アングロサクソンの時代は民主主義なり国際協調主義なりの進展のおかげで延命しているのですが、実は英米両国こそ最大のトラブルメーカーなのでした。

 

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