【文明考】人類最初の文明は西アフリカのナイジェリアにあった?

2018-05-31Web紀行, 宗教, 文明文化の話, 歴史

2018.5.30 追記

今回は人類史の常識を覆すような仮説を紹介する。人類文明は西アフリカのナイジェリアで発祥し、その後、エジプトや中東・地中海世界へ伝播されたという主張である。

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出アフリカをしなかった人たち

にわかに信じがたい仮説と思うが、よく考えてみてほしい。現在、ゲノムの解読などを通じてアフリカから世界各地へ離散していった人類というストーリーは公然と受け入れらている。

アフリカのエチオピア近傍を起源とするので単一起源説に基づく現生人類の進出経路。上図がY染色体DNA(男性から男性への遺伝)の伝播ルート、下図がミトコンドリアDNA(女性から女性への遺伝)の伝播ルートを示す。(出典:Family Tree DNA)

ところが、そのアフリカを出ていった人たちがどんなことばを喋っていたのか、どんな文化を持っていたのかは問われない。出ていけば用なしみたいな扱いだ。

では、出アフリカ(Out of Africa)の旅に出た現生人類の祖先(男系はY染色体アダムたち、女系はミトコンドリアイブたち)は、ことばも喋れず、武器や道具ももたず、何の文化もなく、いわば丸腰のまま未知の土地へ進出したのだろうか?ことばも群れもない状態で集団行動をとるのはとても無理ではないか。

常識的に考えれば、”故郷” を出ていくのは弱い者、虐げられた者たちである。むしろアフリカに残った人々の方が文化的にも政治的にも強かった可能性が高い。

文明のナイジェリア起源説

出典:http://re-thinkingafrica.blogspot.com/2014/10/63rd-birthday-of-catherine-acholonu.html

人類はアフリカを出る前にすでに文明人と呼べる発達を遂げていたと主張したのが、2014年に亡くなったナイジェリア人学者キャサリン・オイアヌジュ・アチョロヌ(Catherine Oianuju Acholonu)だ。アチョロヌさんによれば、ナイジェリアのイボ語(Igbo language、イグボ語とも)が人類最初期の言語であり、イボ族やその同胞が西アフリカに文明を築いた。やがて北方のエチオピアやエジプトに進出、主に海に面したエジプトを起点として、シュメール文明や古代オリエント諸国家の創建に関わったのではないかと問題提起している。

アフリカ大陸では、エジプト文明が生まれる以前に、「大エチオピア文明」とも呼ぶべき文明が、現在のエチオピアからサハラ砂漠にかけての広大な土地に広がっており、その滅亡後に「アトランティス」と呼ばれるようになったという。

こうした主張はアチョロヌさんの単なる空想や願望の産物とは言い切れない。彼女は具体的な遺物からイボ語を駆使して文字情報を読み解いた結果を何冊もの本にしている。調査対象は多岐広範囲に及び、ナイジェリアやオリエント世界のみならず、遠くアイルランドやスコットランドの碑文(オガム文字)も視野に入れた壮大な規模である。

文明アフリカ起源説にキャサリン・オイアヌジュのシリーズ著作

オイアヌジュさんは十数冊の著作を刊行しているらしいが、彼女の声明を高めたのは、四半世紀に及ぶ実地調査をもとに書かれた以下のシリーズものである。とくに “They lived Before Adam” は評判になったらしい。残念ながらどれも日本語には翻訳されていない。

  • “The Gram Code of African Adam”
  • “They lived Before Adam”
  • “The Lost Testament of The Ancestors of Adam”
  • “Eden in Sumer on the Niger– Archeological, Linguistic and Genetic Evidence of 450,000 years of Atlantis, Eden and Sumer in West Africa”

人類の祖語としてのイボ(イグボ)語

アチョロヌさんの主張に強い説得力を与えているのは、異なる場所の点在する碑文やヒエログリフを一貫してイボ語を使って解読している点である。シュメールの楔形文字以前に書かれた碑文も、エジプトのヒエログリフも、アイルランドの先史時代の碑文も、イボ語なら意味が明瞭に通るという。それまでわからなかった神々の名前の意味さえ明瞭になる、と。

関連記事「オガム文字ペテログリフのイボ語訳が伝える哲学」。

文明を伝えた海の人々

それでは、彼女の驚くべき主張の一端を英日対照でお目にかけよう。

文明は西アフリカからエジプトを通じて地中海・中東へ伝播した

“My thesis is that Egypt was the main outpost from where West African Kwa (Kwush/Kush) culture was exported to the rest of the world. Igbo is the Mega-Kwa language – the Kushite mother-language. Kush is the major bearer of this civilization.

Ethiopia was not just an East Africa location, but lay West too. According to Homer, it was in Sunset Ethiopia that the Gods congregated, and the people were called “the Blameless Ethiopians in whose land the gods held banquets”.”

私の仮説では、エジプトは西アフリカのクワ(クワシュ・クシュ)文化を外部世界へ輸出する前哨基地だった。イボ語(イグボ語)はメガ・クワ語、すなわちクア人の母語である。クア人こそエジプト文明の生みの親である。

(かつての)エチオピアは現存の東アフリカの地域のみならず西にも広がっていた。ホメロスによれば、日没のエチオピアは神々の集う地であり、その住民は「その地にて神々が饗宴を為す、非のうちどころのないエチオピアの人々」であった。

エチオピア
ホメロスの『イリアス』にアイティオペスとして登場し、神々もそこでの供応を楽しみにしていた別天地として描かれている。作物に恵まれ、高地という隔絶した場所にあるせいも手伝って、どこか浮世離れした風情が漂う。

シュメールはクア人の文明

“My analyses of the early archaeology of Sumer and of the Akkadian/Sumerian/Canaanite (Semitic) languages shows that all of them without exception were children of the Igbo language and that the earliest inhabitants of Sumer had Igbo lifestyles in religion, architecture, clothing, etc., even in the recipe for soap-making (wood-ash/potash boiled in oil).”

初期のシュメール考古学調査の結果から私が分析したところ、シュメール語、アッカド語、カナーン(ヘブライ)語は例外なくイボ語から派生しており、最初期のシュメール定住民はイボ族のライフスタイル、建築、服装、スープの作り方(油で木炭・カリを煮沸)などを持っていた。

イボ語こそあらゆる言語の祖語

“Igbo is in the family of Niger-Congo languages called Kwa by European linguists, which includes many Nigerian and West African languages like Ashanti, Akan, Yoruba and Benin (Edo). Igbo, I find to be closest to the original mother of that language family. In fact my finding is that in order to not let the Igbo know that it was their language that birthed the others, the linguists invented the word Kwa, which was originated from Akwa Nshi (Igbo for ‘First People’, also the local name of the Nigerian monoliths that represent First People on the planet).

イボ語は、欧州の言語学者がニジェール・コンゴ語族と名づけたクア語グループに属する。同じ語族には、ナイジェリアや西アフリカで話されるアシャンティ語、アカン語、ヨルバ語、ベニン(エド)語などが含まれるが、私見では、最も原初のかたちに近いのがイボ語である。事実、私が他の言語を生んだのがイボ語なのだと教えたから、言語学者がクアということばを見つけてきたのである。クアの原形はアクア・ンシであり、イボ語で「最初の人々」を意味する。地球最初の人間を表すナイジェリアのモノリスが現地の人にアクア・ンシと呼ばれているのだ。

海人クア族とアダマ

This word was used also by the ancient Egyptians to describe the West African, in fact Igbo-speaking, Sea People (Kwush, see Martin Bernal – Black Athena ) who brought civilization to the Aegean and the Levant during the Hyksos (which means ‘Kwush’) Exodus.

Kwush, also pronounced Kush means in Semitic and in Igbo ‘People of the Esh/Eshi’. Eshi are the so-called ‘Blameless Ethiopians’ of Homer. In Sumer and in Igbo, the word meant ‘Righteous/Sons of God/Descendants of the Adama.

Adam was Adama before the Fall. After he fell he became Adam, a word, which in Igbo means ‘I have Fallen’. Today in Igbo land we still have the descendants of the Immortal First People. They have never ceased to go by Adam’s original name – ‘Adama’. They are the Land Chiefs in Igbo land.”

このクアという単語はエイジプ人が西アフリカ人を指すとき使っていた。このクア人こそイボ語を話す海人(クアシュ、詳細はマーティン・バーナル著『黒いアテナ』参照)であり、ヒクソスの脱出(ヒクソスとはクアシュのこと)の際、エーゲ海とレバント地方(地中海東岸のトルコ、シリア、レバノン、イスラエルなど)に文明をもたらした人々である。

クアシュ(クシュ)はセム語でもイボ語でも「エシュ(エシ)の人」という意味をもつ。エシはホメロスのいわゆる「非の打ちどころのないエチオピアの人々」のことである。シュメール語でもイボ語でも、このエシは「アダマの正しき末裔、神の息子たち」を意味する。

エデンの園を追われる前、アダムはアダマだった。アダムはイボ語で「私は墜ちた」を意味する。イボ族の地にはいまも「不滅の最初の人々」が暮らし、アダマを名乗っている。アダマはイボの地の首長である。

ヒクソスの脱出(Hyksos Exodus)
ヒクソスとは突如エジプトに現れ、高度な軍事技術を駆使して帝国を征服した謎の異民族。ヒクソスの拠点がカナン(イスラエル)にあったという説もあり、ヘブライ人と同一視する学者も少なくないが、いまだ確定的な説はない。
ここに言われているヒクソスの脱出が、旧約聖書「出エジプト記」のモーセらヘブライ人によるエジプト脱出を指しているのかどうか不明。わざわざ「ヒクソスの」エクソダスといっているところを見ると、脱出劇の中心はヘブライ人(後のユダヤ人)ではなくヒクソス人(クアシュ人)だと言いたいのか。

ハムの息子クシュ

“Biblical Kush was named after the Ikwu Eshi/Kwush. Ikwu Eshi literally means in Igbo – ‘Descendant/Lineage of the Eshi’.”

旧約聖書に出てくるハムの息子(ノアの孫)クシュは、イクウ・エシ/クウシュから名づけられた。イボ語で直訳すれば「エシの直系子孫・家系」を意味する。

海人は地中海・小アジア諸民族の祖

“The Sea People were related to the Hebrews. They all spoke Semitic languages. They were the founders of Greece, Crete, Troy, and Rome. They were the Carians, Danaans, Acheans, and Myceneans, not excluding the Hittites. The writing systems they gave to Crete and early Middle East have been mostly found on the Igbo Ukwu excavated artifacts (see The Lost Testament), while the surviving words from their period had many Igbo cognates.

Their exodus began in Egypt, remember? And Egypt, according to our findings was an outpost of an originally West African civilization in the time of Osiris (10,000 B.C.), whose Nigerian equivalent bore the Ogam scarifications on his face as his personal signature. We have found many hieroglyphs and pyramid symbols of Egypt on body adornments of ancient Nigerian gods and monuments.”

海人はヘブライ語と深いつながりをもつ。彼らはみんなセム語を話し、ギリシャ、クレタ、トロイ、ローマを創建した。彼らが後にカリア人、アルゴス人、アカイア人、ミケーネ人、そして(地域は離れるが)ヒッタイト人も、みな海の人クアシュの末裔である。また海人は(ナイジェリアの)イボ・ウクウ遺跡の出土品に刻まれている文字システムをクレタ人や初期の中東人に伝えた。だから、クレタや初期中東時代から存続している単語には、イボ語と同じ起源から生まれた語が数多くある。

先にもいったがに海人はエジプトから脱出した。そしてエジプトはBC1万年のオシリスの時代、西アフリカ文明の輸出基地だった。オシリスに対応するナイジェリアの神は、個人を識別する刻印として、顔にオガム文字の瘢痕文身(はんこんぶんしん、スカリフィケーション)を施した。エジプトのヒエログリフやピラミッドのシンボルには、上古ナイジェリアの神々や記念碑から採った身体装飾が描かれている。

エクソダス再説
アチョロヌさんは、エクソダスを迫害や弾圧の結果というより、自発的な文明展開の契機と捉えているようだ。西アフリカ由来のエジプト文明を対岸のギリシャ、小アジア、レバントなどへ伝えるためである。その際、海を渡る海人クアシュ(ヒクソス)とヘブライ人が重要な役割を果たした、とも考えているのか。

オガムという書記システムの発明

“Ogam was a writing system, not a language. Ancient Africans had other writing forms, too. Egyptian hieroglyphics was not a language; it was a writing system that could only be read correctly and meaningfully if you know the language. In this case, Igbo, the original Kwa.”

オガムは言語ではなく文字システムである。古代アフリカ人には別の文字システムもあった。同様にエジプトのヒエログリフも言語ではなく文字システムであって、元にある言語がわからないと正しい意味を解読できない。つまり、クア語の原形であるイボ語がわからないと解読できないのである。

<記事引用終わり>

オガム(ogahmとも書く)
オガム文字はアイルランド、マン島、ウェールズなどで見つかっている碑文に記された文字(ヒエログリフ、ペテログリフ)。ケルト在来信仰の聖職者ドルイドたちが神聖視していたことから、ゲール語(Gaelic、ケルト系)との関連で理解されているが、ここでは通説に反してオガム文字が西アフリカ由来だと言っているのである。

オガム文字について(2018.5.30追記)

オガム文字についてアイルランドには専門のサイトがあるので、簡単に解説を紹介しておこう。

Ogham is an Early Medieval alphabet used to write the early Irish language, Primitive Irish. Evidence shows that Ogham was in use since at least the 4th century, long before the arrival of the Latin alphabet to Ireland.

There are around 400 surviving inscriptions on stone monuments throughout Ireland and also several in western Britain left by Irish settlers. Most of the inscriptions consist of personal names, probably of the person commemorated by the monument.

オガム文字は原アイルランド語 の書記に使われた中世初期のアルファベット。ラテン文字がアイランドに入る前、遅くともAD4世紀から使用されていた。

アイルランド定住者が書いたと思われるオガム文字の石碑は、アイルランドとブリテン島西部で約400件見つかっている。その多くには人名、おそらく石碑を捧げた人物の名前が刻まれている。

<記事引用終わり>

オガム文字の解釈をめぐっては別記事「イボ語訳オガム文字が伝える哲学」も参照してほしい。

今後の検証が待たれる

目が点になりそうな記述の連続である。もしこの仮説が正しければ、古代オリエントの歴史は根底から見直しが必要になる。興味は尽きないが、当事国の学者の言説だけでは一般に受け入れられることはないだろう。

ましてや、西洋人の意識は、青い眼を持ち、黒い肌をした先住者(チェダーマンと呼ばれる)がイギリスにいたという事実だけでニュースになる段階である。本文にちらっと言及されているバーナルの『黒いアテナ』だってトンデモ本扱いで済まされている。

誰かイボ語を読める他国の学者がこの説を検証してくれるといいのだが、絶滅が危惧されているイボ語なので、いまさら取り組み殊勝な学者はいないか。

 

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