【サタンの語源学02】ザラスシュトラの善悪二元宗教とユダヤ教に与えた影響

2019-02-05宗教, 文明文化の話, 歴史, 語源学

※本記事は【サタンの語源学01】ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」と太宰治「誰」の続きです。

イケメンのいい人だけでドラマは作れない。ヒールか悪女がいて面白くなる。同様に、もしキリスト教やイスラム教に悪魔がいなかったら世界人口の6割近くも信者を獲得できたろうか?

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宗教に悪魔を持ち込んだ一大改革者

悪魔を発明したのはゾロアスター教の宗祖ザラスシュトラ(Zarathustra、英語ではZoroaster)だといっても過言でない。善と悪の意識は彼以前の人間にもあったろうが・・・

善と悪は完全に別個のもの。本来善であるこの世界に死や破滅をもたらしたのが悪魔。

という世界観は画期的だった。ユダヤ教に発想の転換を迫ったからだ。

ユダヤ人たちは、それまで民族の流転の運命に打ちのめされ、自分たち人間が一方的に悪い(=信仰が足りない)から神に約束の地を追い払われたと考えていた。ところが悪魔のせいだというのだから、太宰のいうように、さぞ面食らっただろう。

ザラスシュトラの出自

ザラスシュトラは考古学的知見からBC1400~1200年の時期に生きていたと言われるが定説はない。ただスピターマという名門司祭の家柄で、バクトリア近辺の出身ではないかと推測されている。

30~40歳頃に神の啓示を受けるまで、とくに聖職に就くわけでもなく放浪生活を送っていたらしい。彼自身のことばを記録したといわれるゾロアスター教の教典『ガーサー』(Gathas)によれば、当時の政治社会状況、とくに規範の喪失、モラルの低下、伝統的な宗教祭祀の形骸化などに憤慨していたようだ。

男性結社の暴走

ザラスシュトラの生まれたとされるバクトリアは下の地図で、BMAC(バクトリア・マルギアナ考古学複合)と書かれている辺りだ。古い文化を持つが、様々な異民族が行き交い、政治的には安定しない土地だったようだ。

彼は、遠い昔、コーカサス山地北側の草原地帯から気候変動のあおりで移動してきたインド・イラン系アーリア人の家系で、遊牧民の血筋だ。

ザラスシュトラの時代、バクトリアでは同じイラン系のスキタイ人とイラン人が緊張関係を持続させながら共存していたという。BMACには大河が流れ、近くの山河地帯で稀少鉱物を産出するため遠く地中海やメソポタミア方面との交易ルートができていた。農耕民なども定着し、都市も栄えていたらしいが、なぜかインドでインダス文明が消滅するのと前後するように雲散霧消してしまった。

気候変動と社会のカオス化

その最大の原因は世界規模の気泡変動にあった。BC1500年頃、急激な寒冷化と乾燥化が進んでインド・イラン系アーリア人は東のイラン高原やインド亜大陸方面へ移動したのである。彼らがどこでどうして別ルートを辿ることになったかははっきりわからない。

イラン・アーリア人は結局、砂漠地帯に定住することになった。『ガーサー』には司祭と農工民は登場するが戦士は出てこないというから、王様と平民はいても官僚や軍人はいなかったのだろう。社会は移動したてで未整備だったことになる。

そんな社会でエネルギーを持て余した男たち(とくに若年層)は憂さ晴らしをするしかない。彼らは男性結社を組んでハオマ(本来は宗教祭祀向けの神聖な酒だが麻薬的な陶酔感をもたらす)をあおり、神祀りの場でオージーと呼ばれるいかがわしい乱痴気騒ぎを繰り返していたという。

食うに困ればチャリオット(馬曳き戦車)を駆って農耕民を襲ったり、裕福な商人の領地を奪ったりする。戦士と呼ぶにはあまりにも粗暴で悪辣な連中である。

ザラスシュトラは生まれつき倫理的に潔癖な性格だったようで、もっと規律のある日常生活を重んじていたようだ。

 

忘却されたザラスシュトラ思想の “先取性”

善悪を鋭く対立させる啓示を受けたザラスシュトラは「この世界はあくまで善」という不動のスタンスで臨む。

彼の悪のイメージがどこから来たかはわからない。隣村の敵だったかもしれないし、遊牧民の大敵である雷のような避けがたい災厄だったかもしれない。あるいは人間を翻弄する大地への怒りだったのかもしれない。

いずれにしろ「この世界」というのは現世のことである。「そこは本来、善だ」というのが彼の直観なのである。ではなぜ世は乱れるのか?外部から悪が闖入してくるからだ。害虫のように駆除すれば世界はすぐさま善の姿を取り戻すはず・・・。

アフラの神々を敬っていたザラスシュトラにとって、アーリマン(悪神の総大将)が元アフラという事態はあってはならないことだった。そのため、彼は徹底してアーリマンを遠ざけることにした。売られた喧嘩だから買っているだけで、本当は戦いなど望んでいない。彼は戦士のいない社会に育ち、戦士のいない社会が善だと考えているのである。

矛を収める

では戦士不在の社会を本来の「善なる世界」のまま治めるにはどうするのか?

力任せに善を強制しても無駄である。力が緩めば悪がぶり返す。善はみずから自覚して行うしかない。人間は善に生まれついているのだから、各自が進んで「善を主流化させる」以外、戦いの連鎖は断ち切れないと考えたのだろう。

現代の国連をはるかに先駆ける非戦思想である。しかしザラスシュトラの生きていた3000年前の時代は、部族国家が王権国家化し、強大化した王権国家が帝国へ向かう動きが加速していた。当時のペルシャはまだ新興国で、隣接するメソポタミア世界(アッシリア、バビロニア、メディアなど)の強い影響下にあった。そこはアッカド語をリンガ・フランカとする「国際社会」でもあったので、商業のみならず文化や宗教の混淆も進んだ。

そんな宗教的シンクレティズムに進むなか、ザラスシュトラの思想は異様だ。「武を以て武を制する」ペルシャ社会の片隅に、はるかにその先を行く「矛を収める」思想的地平が切り開かれていたのだから。

マズダ―派によるザラスシュトラ思想の改変

ザラスシュトラの非戦という先駆的モチーフは彼のシンパであるマズダ―派には理解されなかった。マズダ―派は部族主義、純血主義、排外主義を掲げ、ザラスシュトラの善悪二元対立の外形部分のみを政治利用しは。ザラスシュトラが固有名詞として考えていなかったアフラ・マズダ―(Ahura Mazda)なる神を最高神に祭り上げた。

ザラスシュトラ本人の著作と目される『ガーサー』でのアフラ・マズダーは一語のアフラマズダー(ahuramazda)であり、それはmazda ahuraとしてもよかった。アフラは「輝かしき(光の)智慧」、マズダ―は「主」という意味だから、ahuramazdaなる神名は固有名というよりは「光輝ある智慧の主」くらいの一般的尊称だったのである。

さらにマズダ―派はアフラ・マズダーの分霊をアムシャ・スプンタと定義し、善の正規軍とした。一方、悪魔のアンラ・マンユ(アーリマン)には眷属を用意し、そこにダエーワを配属した。ダエーワは砂漠の民にとっておぞましい雷の神インドラとしばしば行動をともにしていたから、マズダ―派が悪神に降格させたのだろう。いずれにしてもザラスシュトラが創案したものではない。

戦闘性を高め、ナショナリズムを鼓舞したマズダ―教(Mazdayasni、マズダヤスニ。狭義のゾロアスター教)は、後にアケメネス朝ペルシャで国教となり(これは国教という習わしの始まり)、狙い通りの政治的成功を収めた。

 

サタンとデビルとデーモンの関係

マズダ―教化されて戦闘モードになったゾロアスター思想はヘブライ人と接触して、ユダヤ教の中に取り込まれる。アムシャ・スプンタは天使に、アンラ・マンユは悪魔となる。アムシャ・スプンタの最上位にいたスプンタ・マンユは大天使(archangel)に、アンラ・マンユの眷属はデーモン(demon)となった。

サタンとデビルの語源

ヘブライ語のsatanは “assuser”(告発者)、”adversary”(敵対)を意味する不定名詞だ。バビロン捕囚期以前の旧約聖書では、人間の敵対者(たええばソロモン王の政敵)も、超自然的な敵対者も区別なくsatanと呼んでいたが、ペルシャ宗教との接触で変化が生まれる。

  • バビロンにいたヘブライ人がペルシャ王キュロスによって解放され、エルサレムに帰還した後、satanに、英語のtheに相当する定冠詞が付いてha-satanということばが生まれる。これはキャピタライズし、”神への” 敵対者の意味に限定されていく(Satan)。
  • 時代が進み、旧約聖書がギリシャ語七十人訳聖書に翻訳されたとき、satan(人間含む敵対者)はそのままsatanが借用されたが、ha-satan(サタン)に対してはギリシャ語のdiabolos(”slanderer”、中傷者の意)が当てはめられた。
  • diabolosはヴルガータ(ラテン語訳聖書)ではdiabolusと訳され、そこから英語のdevilが生まれる。
  • しかしローマ人は神への敵対者に対してはdiabolusではなくキャピタライズしたSatanを使うようになった。
  • つまり、デビルはサタンのギリシャ語訳から生まれた。意味的にはサタンとほとんど同じである。

The Late Latin word is from Ecclesiastical Greek diabolos, in Jewish and Christian use, “Devil, Satan” (scriptural loan-translation of Hebrew satan), in general use “accuser, slanderer,” from diaballein “to slander, attack,” literally “throw across,” from dia– “across, through” + ballein “to throw” (from PIE root *gwele– “to throw, reach”). Jerome re-introduced Satan in Latin bibles, and English translators have used both in different measures.

In Vulgate, as in Greek, diabolus and dæmon were distinct, but they have merged in English and other Germanic languages.

こうして小文字のsatanが本来、人間をも含む敵を意味していたことは忘れられ、以下のwikipediaの解説のような状況が生まれたのである。

Satan is an entity in the Abrahamic religions that seduces humans into sin. In Christianity and Islam, he is usually seen as a fallen angel, or a jinni, who used to possess great piety and beauty, but rebelled against God, who nevertheless allows him temporary power over the fallen world and a host of demons.

「サタンはアブラハム宗教において人間を罪に誘う存在。キリスト教とイスラム教では通常、堕天使(イスラム教のジン)と見なされる。サタン(ジン)はかつて大いなる敬虔さと美を有したが、神に反逆して悪魔の身分に落とされた。神は、(人間への試練としてアダム失墜後の)堕落した人間界と無数のデーモンに対して、悪魔がかりそめのパワーを及ぼすことを許した。」

サタンは神の被造物だったのである。それが何が気に入らないのか(本来の天使の職務に嫌気がさしたのか)、神に反逆し、神の座に坐ろうとした。ルシファーと呼ばれる堕天使も基本は同じだ。

デーモンはサタン(悪魔)の眷属

さて、上記の英文にはサタンとともにデーモンが登場している。デーモンは悪魔の一味。でもサタンの臣下・家来であり、格落ちの存在である。

デーモン(demon)
語源はラテン語daemonで、daemonはギリシャ語のdaimonから来ている。daimonの語義は “divine power”(聖なる力)、”guiding spirit”(指導霊)、”tutelary deity”(守護神)などでネガティブな意味はない。
daimonの語根はda-で “divide” を意味する。本来は神から分かれた聖なる存在と考えられていたようだ。ラテン語のgenius(生まれ持っている聖なる力、守護霊)やnumen(聖なる意思)に近い概念だ。
この意味の変化は、インドのヴェーダ文献で、元々立派な神だったアスラが悪神や悪魔に貶められていった経緯に似ている。つまり、政治状況を反映している。

神のチームとサタンのチーム

以上を整理すれば、次のような対応図式が出来上がる。

神→天使(善のチーム)

vs

サタン→デーモン(悪のチーム)

この構図はまるごとゾロアスター教の次の対応図式に相当している。

アフラ・マズダー→アムシャ・スプンタ(善の軍団)

vs

アンラ・マンユ(アーリマン)→ダエーワ神(悪の軍団)

違うのは階層的な区分けである。ゾロアスター教では善のチームと悪のチームは同じ次元で戦うが、ユダヤ教の闘争はもっと抽象化され、ヤハウェが直接バトルフィールドに降りてくることはない。一神教の神はあくまで単独で頂点に君臨する必要があるからだ。

悪魔一覧

まあ、よくもこれだけ作ったものだ。ゾロアスター教の影響力恐るべし。お互いがお互いを悪魔とののしる。内部対立や近親憎悪でも悪魔は生まれる。

ユダヤ教の悪魔ベルゼブブ(Courtesy: Valery Petelin at https://ravael.artstation.com/)

ユダヤ教の巧妙な概念操作

悪魔と天使の導入

ユダヤ教は完全な一神教化を目指していたから、ゾロアスター教のように創造主と同じレベルに悪魔がいるのはまずい。そのためヘブライ人は天使を使って巧妙な概念操作を行った。

ゾロアスター教の場合、悪神アーリマンは本来、ミトラやアフラ・マズダーと同じアフラ神だが、ダエーワ側に寝返った裏切り者なので敵対者の象徴である。マズダ―派は、あえてアーリマンをアンラ・マンユと同一視することでアーリマンを貶めたのである。

  • ここにユダヤ教の概念操作のヒントがあったと思われる。アフラ全体をヤハウェに、アフラ離脱者のアーリマンを悪魔に置き換えれば、裏切り者の反逆者を創造できる。サタンの創作原理である(大天使→堕天使への転落)。
  • 一神教の創造主は、自分自身が起源である非創造神でなければならない。ヤハウェと同じ次元には別の神やサタンの存在は許されない。サタンはヤハウェの被造物だから堕天使→悪魔化という降下は原理にかなっている。
  • 以上のような概念操作は並みいるライバル(異民族の神々、自民族内の異端派)をまとめて排除するために好都合だ。不都合なものはすべて悪魔か堕天使にすれば片付くのだから。

ペルシャの一神教対抗策

このようなユダヤ教の概念操作は、後にペルシャへ逆輸入された可能性がある。ササン朝ペルシャの時代、ペルシャには激しくキリスト教が浸透し始めていた。ゾロアスター教がその圧迫に抗するためには、強力な創造神と壮大な宇宙論が必要だった。

そこでゾロアスター教徒は創造神ズルワーンを担ぎ出す(ズルワーンは無限時間の神であり、原インド・イラン人の神話に起源を持つ)。ズルワーンがアフラ・マズダーとアンラ・マンユを生み、善悪闘争をしている設定に改変した。ズルワーン教では善なるアフラ・マズダーと悪なるアンラ・マンユがズルワーンの “代理戦争” を戦うのである。これはユダヤ教やキリスト教を意識したパンテオンの再整備といえるだろう。

 

宗教史のターニングポイント

ザラスシュトラの先駆的な「矛を収める」思想は、ペルシャの帝国化というバックグラウンドの中で急速に忘れられ、マズダ―派の介入したゾロアスター教はすっかり戦う宗教と化してしまった。おそらく育ちの良さに起因するのだろうが、ザラスシュトラは王や貴族や官僚を教え諭すのに忙しく平民を顧みる余裕を持たなかった。

後世のキリスト教は、熱心な使途や布教者の活動を通じて急速に信徒を増やした。信仰熱はローマを中心に燎原の火のごとくローマ帝国全域へ燃え広がった。対照的にズルワーン教化したゾロアスターは「王室の宗教」のままだった。いったんは民族神のミトラやアナーヒターを排除したが民間での信仰が衰えないため、ふたたびパンテオンに迎え入れざるをえなかった。マギ神官は布教活動より、新たな宗教の整備に忙しかったのだろう。

帝国が一神教を生んだ

世界の頂点に立ったペルシャ帝国は、アッシリア帝国のように他教を弾圧して反発を食らう愚を犯さなかった。彼らは「名を残し実を取る」方針に徹し、他教の神の崇拝を許した。しかしこれは宗教的寛容というよりは、各宗教の「隠れアフラ・マズダ―化」(一神崇拝)だったのではないか。もし刃向かえば容赦なく他教の神を粉砕しただろう。

ユダヤ人の場合は立場が特殊で、ペルシャの攻撃を受け征服されたのではない。逆にキュロス2世にバビロンから助け出され、イスラエルへの帰還を許されたのである。ユダヤ人は神殿の再建さえ許されたのだが、何だか親切すぎる。おそらくだが、ユダヤ教の復興を許す代わりに、ペルシャ人の意を受けた関係者(預言者、司祭、律法学者)の手でユダヤ教をペルシャ風に「再整備」するよう求められた可能性が高い。

その際、ユダヤ教の再整備者たちはザラスシュトラの楽観性、享楽性、「矛を収める」思想などを捨象した。善悪二元論(悪魔と天使の導入)、最後の審判論、終末論=救済論、転生論などを重視し、新たなヤハウェ像に投影したと思われる。

もしこれが真相に近いなら、ペルシャによるユダヤ教の「強制一神教化」は、アブラハム宗教を準備し、後世に大きな影響を及ぼしたターニングポイントだったと言える。

「武を以て武を制する」

アブラハム宗教が宿命的に背負ってしまった善悪闘争史観、その加害性、攻撃性、排他性は人類史最大の動因となってきた。実際、少なくてもイスラム教徒は「矛を収める」気配がない。原理的に他と共存しえない一神崇拝の宿命である。

 

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