【英魂羅才】worthとvalueの違い:実体と抽象、使用価値と交換価値

2019-08-14英語の話, 英魂羅才, 語源学

当サイトで長期に人気を集めている記事は、英語が「思ったよりラテンな」ゲルマン語族に属する言語なことを解説した以下のエントリーです。

せっかくなので応用編として英語版の和魂洋才シリーズを始めてみようと思います。名づけて「英魂羅才」(こころはゲルマン魂、その知的鎧としてのラテン語利用)。英語ネイティブは半ば無意識的に、ときには意図的に、ゲルマン系語彙とラテン系語彙を使い分けています。

11世紀末のノルマン・コンクエストをきっかけに、大陸から侵略してきた支配層を通じて、大量のラテン系語彙(主なソースは征服貴族が話していたロマンス語系のノルマン・フレンチ)を受け入れた英語には、同じ意味を表す「ゲ語とラ語のペア」がたくさん存在しています。両者のニュアンスの違いを知ると、英語に対する理解が深まることうけあいです。

初回は「価値」「値打ち」などを意味するゲルマン系語彙worthとラテン系語彙valueの違いについて少し深掘りしてみたいと思います。「価値」は現代人にとって重要な概念です。経済的価値、市場価値、付加価値、精神的価値、価値観などといった表現を挙げるだけでも、現代人の人生は多くの面で「価値」に左右されるからです。

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語源の違い

valueの語源

valueの語源は古フランス語value。この古フランス語はラテン語valere(”be strong, be well; be of value”)に由来します。valereは印欧祖語の語根wal-(”to be strong”)から形成された単語です。※印欧祖語の語根はPIE root。

同じ語根wal-から派生した英単語の代表例

ambivalence、equivalent、evaluation、invalid、prevalent、prevail、valiant、valid、wield

worthの語源

worthの語源は古英語のweorþ(”significant, valuable, of value; valued, appreciated, highly thought-of, deserving, meriting; honorable, noble, of high rank; suitable for, proper, fit, capable”)。この古英語はゲルマン祖語のwertha-(”toward, opposite”)より形成された単語です。

意味の違い

以下のサイトの説明が簡潔でわかりやすいので紹介します(※訳文は逐語訳ではなく意訳になっています)。

What Are the Differences Between Value & Worth?

worthの意味

Worth is a term used to denote how much something will cost or how much an item will sell for. For example, your house might be worth $100,000 on the real estate market, or your flat screen TV might sell for $500 at auction. The monetary value attached to any particular item is an item’s worth.

worthは、あるものを得るのにいくらかかるか、あるいは、あるものがいくらで売れるかを意味する。たとえば、”Your house is worth $100,000.”といえば、あなたの家が10万ドルで売れる(買い手から見れば、あなたの家を買うのに10万ドルかかる)という意味である。中古のフラットスクリーンTVが500ドルでオークションに出品されていれば、”Your flat screen TV is worth $500 at auction.”(オークションの入札価格が500ドルである、500ドルの値打ちがある)と書ける。つまり、個々のものに付いた値段(金銭的価値)がworthの基本的な語義だ。

valueの意味

Value is a broad term that encompasses emotion as well as cost. For example, while that old, chipped vase handed down to you by your aunt might only be worth $10, to you it might be invaluable and therefore has low worth but high value.

Value can also be used to describe items that don’t necessarily have a dollar value attached to them, like the value of your time.

valueは金銭面だけでなく心情面もカバーする、より広い概念である。たとえば、おばさんから譲ってもらった欠けのある古い花瓶は市場で売れば10ドルの値打ち(worth)しかないかもしれないが、あなたにとってはかけがえのない宝だ。この場合、この花瓶のworthは低いがvalueは高い。

またvalueには金銭には換算できない値打ちも意味することができます。たとえば、人生という時間に値段はないが貴重な価値を持っている。

Intrinsic Value(本源的価値)

Some items may be practically worthless–in other words have no value–but have a high intrinsic value. Examples of items that have an intrinsic value but are actually worthless include a queen in a chess game, family or unconditional love and the value of a college education.

Intrinsic value is a term often used in finance to describe the actual value of a stock based on future potential and not just the current market price or worth.

ものの中には、実際上はworthless(無価値)で価値(value)がないのに、本源的価値は高いものが存在する。たとえば、チェスゲームのクイーン(将棋の王将)、家族、無条件の愛(無償の愛)には値札がないがその本源的価値は高い。大学教育の価値といえば、学費だけで測れないだろう。この場合の価値も、大学で学ぶことに内在する本源的価値は高いと見なされる。

この本源的価値ということばは金融の世界でも多用される。たとえば、株式の本源的価値とはその株の現在の価格のみならず将来のポテンシャルを含めた価値のことをいう。

違いのポイント

同じ価値でも、worthがもっぱらものの物理的な値打ち(コスト)を意味するのに対して、valueはより広い意味を有します。valueはworthと同じ物理的な値段も意味できますが、それを超えて、人に価値がある(有用である、意義深い)と感じられる非物理的な値打ちを意味できるからです。

つまり、ゲルマン系語彙のworthは具体的・即物的であるのに対して、ラテン系語彙のvalueは抽象性が高いと言えるでしょう。このパターンは他の「ゲ語とラ語のペア」にも広く当てはまりますので知っておくと役に立つと思います。

マルクスの文例

実はカール・マルクスは有名な『資本論』の冒頭近くで次のように両者の違いを書いています(以下は英語訳からの抜粋です。太字はブログ主によります。対訳はブログ主の独自訳)。

‘The natural worth of anything consists in its fitness to supply the necessities, or serve the conveniences of human life’ (John Locke, ‘Some Considerations on the Consequences of the Lowering of Interest’ (1691), in Works, London, 1777, Vol. 2, p. 28). In English writers of the seventeenth century we still often find the word ‘worth’ used for use-value and ‘value’ for exchange value. This is quite in accordance with the spirit of a language that likes to use a Teutonic word for the actual thing, and a Romance word for its reflection.

「ものが自然にもつ価値は、必要必需品になりうるかどうか、人間生活の便宜にかなうかどうか、その利便性のうちに存する」(ジョン・ロック『利子貨幣論』)。17世紀の英国著述家たちは、使用価値にはworthということばを使い、交換価値を意味するvalueと使い分けていた。この使い分けは、実体的なものごとにはチュートン(ゲルマン) 語を使い、実体的なものごとの現れ(非実体的概念)にはロマンス語を使いたがる、という英語の精神に合致している。

使用価値と交換価値

ここでマルクスは、ジョン・ロックのいうworthはもっぱら「使用価値」に関わるものであると言っています。「使用価値」は経済学では有用性あるいは効用(utility)とも言われる概念です。経済学は価値論の争いと言えるほど、この効用にこだわります。

あるものの使用価値は他のものの使用価値と関係することで「交換価値」を持ちます。あるものと他のものが関係する場合、売り買い、貸し借りされるのが常です。「交換価値」における「交換」は、この売り買い、または貸し借りのことを指しています。

「使用価値」は人とものとの関係に焦点を当てているのに対し、「交換価値」はあるものと他のもの、あるいはそれを持っている人と人の関係に焦点を当てており、「交換価値」は経済や市場というコミュニケーションの場が作用して初めて成立する概念です。

使用価値の交換

いま海辺で塩をつくる人が、狩人が山で仕留めた鹿肉を食べたいとします。塩は人間が生きていく上で重要な物資ですので塩には塩の「使用価値」があります。鹿肉は食糧ですので鹿肉にも鹿肉の「使用価値」があります。使用価値は自己完結型で、別に交換しなくてもかまいません。

でも、鹿肉を食べたいという欲求が「使用価値」の閉じた世界を外部へ押し拡げることになります。いまの霊の場合、塩をつくる人は狩人と交換を行いたいわけですが、その際、塩の「使用価値」と鹿肉の「使用価値」を刷り合わせないと取引は成立しないでしょう。物々交換を想定すると、取引は非常にむずかしく煩雑であることが想像されます。塩と鹿肉の交換比率を決めるのが難しい上に、お互いに交換相手を見つけるのが面倒です。

汎用商品の登場

しかし、ここに塩をつくる人も狩人も共通して有用だと感じる特別なものがあれば、交換はぐっとはかどります。たとえば、麻織物が誰しもが欲しがる貴重品であったとすれば、麻織物を媒介に塩と鹿肉の交換レートが決まります。麻織物1枚が塩10kg、鹿肉3kgに相当するという相場があった場合、塩と鹿肉は麻織物を介して10:3の交換レートで交換できるようになります。こうして塩の「使用価値」と鹿肉の「使用価値」は麻織物という媒介を通じて、それぞれの「交換価値」を持つことになるわけです。

お金の登場

さらに時代が進んで、麻織物がもっと抽象的な、万能の価値媒体に進化したのが貨幣(お金)です。いまでもお金は汎用商品の中の汎用商品、「商品の王様」だと考える経済学者は少なくありません。

お金そのものには「使用価値」がありません。金貨や銀貨の場合も、本質的にはそうです(金銀には「使用価値」がありますが、そのことが金銀がお金の媒体に選ばれた理由ではなく、「使用価値」に関係なく、誰もが値打ちを認め、受け取ってくれることを期待できるから金銀が選ばれたのです。

お金に「使用価値」がないことは現代の紙幣を思い浮かべればすぐわかるでしょう。お札は上質な紙に精緻な印刷が施されているとは言え、お札そのものを欲しがる人はほとんどいません。単なる紙切れと言えば紙切れだからです。その反面、お金の「交換価値」は無限大に広がっており、グローバル化の影響で貨幣経済を営まない部族はほんの少ししかいません。

また、お金は麻織物と違ってほとんど劣化しません。10年後も立派に輝きを放ち交換価値を有するでしょう。人類がその創生から、お金を生み出すには気の遠くなるような年月を要したと思いますが、ひとたびお金が人間の脳裏に定着すると、以後の人間の交換(取引)行為はすべてお金を介して行われるようになります。その結果、いわゆる経済(とりわけ市場経済)が成立します。

経済の世界に入ったものはみなそれぞれ、お金という指標を介して固有の数値、すなわち値段(price)を与えられます。市場におけるものの交換価値を示しています。職業人がもらう給料も、本質的にはその人の市場におけるpriceです。priceに直接関わる価値がworthであり、直接関わることも関わらないこともあるのがvalueなのです。

たとえば、安価な価格帯のウイスキーとドストエフスキー『白痴』の文庫本には同じ1,500円というタグ(price)がついています。値段(worth)という意味で両者は等価です。しかし、金銭的価値以外の面では必ずしも等価ではありません。お酒好きの人にとって『白痴』は無意味なので何の値打ちもない(worthless)かもしれませんが、下戸のロシア文学愛好者にとってウイスキー1本を買うくらいなら『未成年』上巻を買う方がましでしょう。

主観性

つまり、price(worth)は、彼らの感じるウイスキーの価値(value)、もしくはドストエフスキー文庫本の価値(value)とは本質的に無関係なのです。そういう意味で、worthは客観的価値、valueは主観的価値と言えるかもしれません。

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