【現代の政治】米の保守=欧の旧リベラル、日米のリベラル=欧の社会民主勢力
政治の話はめんどくさい。めんどくさいのだが英語を学ぶ人には必須の知識でもある。とくに同じリベラルでもアメリカとヨーロッパは逆の意味になるので要注意。今回は、常識と押さえておくべき線を解説しようと思う。
現代政治の見取り図
政治を右と左で語り始めたのはフランス革命以降だ。左・右・中道の思想傾向に加え、どんあ統治体制を採用するかで、政治的なマトリックスが出来上がる。これを政治スペクトル(political spectrum)という。下図はその一例だ。
以下の記事で現代に至る左右の対立軸を簡単に押さえよう。なお、今回は必ずしも逐語訳になっていない。
二分法の便利さ
When voting, supporters of the absolute veto sat on the president’s right, the noble side. According to Christian tradition, it is an honour to be seated at the right side of God, or to the right of the head of the family at dinner. Those who wanted a highly restricted veto were seated on the left.
Thus, the layout of the room took on political significance: to the right, supporters of a monarchy that sought to preserve many of the king’s powers; to the left, those who wished to reduce them.
In the 19th century, this vocabulary was increasingly used to describe the political leanings of members of the French parliament. The great advantage of these labels is their simplicity: they reduce complex political ideas to a simple dichotomy. It also makes it easy for people to identify the “right” side, to which they belong, and the “wrong” side, which they condemn.
フランス革命後の国会で、国王に絶対的拒否権を持たせるか、拒否権を一時的に停止するかの議決が行われた。その際、議長席から見て右側の貴族席に絶対拒否権支持派(君主政存続派)が坐り、左側に拒否権停止派(君主政廃止派)が坐った。これが右翼(right wing)、左翼(left wing)の起こりである。
単なる席どりが19世紀に入っても議員の政治傾向を表わす標識として多用されるようになった背景には、複雑な政治問題をシロかクロか(二項対立)に単純化できるという利点があった。国民の多くは右の「正しい」側にシンパシーを覚えていたから、左の「間違った」側を非難しやすかったのである。
19世紀以降の展開
At the beginning of the 19th century, the left-right divide essentially distinguished supporters of an absolute monarchy from those of a constitutional monarchy.
It would later set monarchists against republicans, then conservative republicans against the modernists who implemented the major social reforms of the Third Republic that included the freedom of the press, freedom of association, the right to belong to a trade-union and divorce, among other things.
At the turn of the 20th century, the left-right debate essentially covered the divide between the defenders of Catholicism and advocates for the separation of church and state. This shift, which took place in 1905, would often be referred to as “the clash of two Frances” ― Catholic and anticlerical.
From the 1930s onward, the economic divide came to the fore, with the left advocating for socialism and the right calling for economic liberalisation.
By the 1970s, the liberalisation of social mores had become a key issue, with continuing debates on abortion, divorce, homosexuality, marriage equality and euthanasia. The same is true of immigration and openness to the world, which stood in opposition to cultural, social and economical protectionism.
19世紀初頭、絶対君主政支持者が右翼、立憲君主政支持者が左翼という区別が確立する。その後、君主制支持派と共和政支持派の対立に移行、右派の王政復古の願いが潰えると第三共和政に移行。以来、報道の自由、結社の自由、労働組合や離婚の合法化などの社会改革を実施した近代主義者(左翼)に、保守的共和主義者(右翼)が対立する図式となった。
20世紀に入ると争点は世俗化に移り、カトリック擁護派(教権派)と、ライシテ(公共空間の非宗教化)をベースに政教分離を推進する共和派が対立した(1905年に起こったこの動きを「2つのフランスの争い」と呼ぶ)。
1930年代以降、争点は経済体制へと移り、社会主義体制を望む左派と経済自由主義を求める右派が対立した。
1970年代に入ると左派から更なる社会改革が求められ、中絶、離婚、同性愛、同性婚、安楽死などが左右の争点になった。現在は移民や市場開放を推進する左派に対し、右派は保護主義(文化的、社会的、経済的)に傾く傾向が見られる。
状況の複雑化
While it is possible to identify broad schools of thought that can be classified as right, left or centre over the long term, policies vary greatly over time. We cannot ascribe unchanging, universal content to these categories.
These days, we cannot even say that the right is for the status quo or that the left wants change, as has sometimes been claimed. When it comes to the welfare state, people on the right clamour for reform, whereas those on the left want to defend social protections.
Still, in each era, centre, left and right have served as signposts, allowing us to classify political parties, politicians and the ideas they promote.
長期的視点に立てば、様々な思想傾向を右、左、中道と分類することができるが、その時々で政策は様変わりすることも事実だ。右はこう、左はこうという具合に永久不変の政策など存在しない。
近年では、現状維持なら右派とは言えないし、左派が必ずしも変革を望んでいるわけでもない。たとえば、福祉国家の問題では右派が改革を望み、左派が現状の社会保障を擁護する立場にある。
とはいえ、それぞれの時代において各政党、政治家、政策を分類する指標として右、左、中道の区分けは依然として有効である。
現代の右派・中道・左派
ファシズムによる恐怖政治の悲劇(ナチによるホロコースト)、共産主義の失敗(ベルリンの壁崩壊)などの影響で、現代の先進各国では全体主義的イデオロギー(共産主義や社会主義)はマイナー化しており、どこの国の左派もたいていソフトに、社会民主主義(アメリカではリベラリズム)の旗印を掲げている。
また、イギリス(思想的にはスコットランド主導)発祥のリベラリズムが現代の右派の中心勢力だが、彼らは主に経済政策において新自由主義(ネオリベラリズム)やリバタリアニズム(政府介入を極力抑え規制を撤廃もしくは緩和する「小さな政府」)を支持する。同じ右派でも、ケインズ主義に代表される大規模な政府介入を容認する中道路線(中道右派、「大きな政府」)も見られる。
日本ではケインズ主義的介入路線は下火になり、とくに小泉政権移行、経済的新自由主義を標榜するリベラリズムが主流だ。しかし国家主義、民族主義、国粋主義などを掲げる少数勢力も右派には存在し、彼らは新自由主義に必ずしも賛成していない(国際標準で見れば、こうした勢力は極右に分類されると思うが・・・)。また日本では先進国には珍しく、堂々と共産党を名乗る左派勢力が温存されている。それに近い旧民主党系の左派勢力も一定数生き残っているが、政策的には社会主義的色彩を抑え気味だ。日本の左右の争点は経済政策というより、国防政策(憲法改正含む)である。
近代日本は特殊な歴史事情を抱える。明治維新の王政復古を経て西洋化の波に現れた日本社会はヨーロッパ流の政治思想を学び、早くから民主主義体制への準備を進めた。この時代、イギリスを中心とするリベラリズムが保守本流だった。
それが敗戦後、アメリカ的価値観を浴びるように受け入れた関係で、リベラリズムはニューディール的な中道路線(日本では親方日の丸、護送船団方式などと呼ばれた)を意味するようになり、本来のリベラリズムと混同される事態に至り、いまだにリベラリズムの概念が混乱をきたしている。今日では、イデオロギー的に社会主義的傾向の濃い野党でさえリベラルを名乗っている。
現代の右派:古典的自由主義(classical liberalism)の流れ
- 政治スタンス:保守的(conservative、中絶×、同性婚×、銃規制×)、個人の自由と小さな政府(極力政治介入しない、なるべく規制は取り除く)
- 別表現:保守主義・コンサーバティズム(conservatism、アメリカのみ)、リバタリアニズム(libertarianism)
- 代表的政党:アメリカ共和党(なお、リベラルから転向したネオコンサーバティブはいわゆるグローバリストであり、思想的に保守本流とは相容れない部分も多い。保守本流の基本はアイソレーションニズムとリバタリアニズムである)、イギリス保守党、日本の自民党
- 思想系譜:イギリス経験論、唯物論
- 政治的分類:右派(right wing(er)、political right)、保守派(conservative)
- 重要思想家:
- アダム・スミス(Adam Smith)
- オーストリア学派:
- ミーゼス(Ludwig von Mises)
ハイエクの師。反福祉国家論、ドイツ型社会主義=ファシズムの左翼認定 - ハイエク(Friedrich August von Hayek)
反集産主義、反計画主義、イギリス的経験論=反大陸合理主義(全体主義、社会主義、共産主義、ファシズム、マルクス主義など)、貨幣的景気循環理論、中央銀行不要論、通貨の脱国営化論、リバタリアニズム
- ミーゼス(Ludwig von Mises)
- シカゴ学派:
- フリードマン(Milton Friedman)
ハイエク信奉者、ケインズ批判、新自由主義、市場原理主義、マネタリズム、金融資本主義
- フリードマン(Milton Friedman)
- アイン・ランド(Ayn Rnad、リバタリアニズム)
- 対応する経済思想:ミクロ経済学(micro economics)、新古典派経済学(neoclassical economics)、新自由主義(neoliberalism)、市場原理主義(market fundamentalism)
中道:社会自由主義(social liberalism)系
- 政治スタンス:進歩的(progressive、中絶〇、同性婚〇、銃規制〇)、中くらいの政府(貧困、教育、社会保障・医療)
- 別表現:リベラリズム(liberalism、アメリカのみ)、現代自由主義(modern liberalism)、egalitarian liberalism(定訳なし、”平等主義的自由主義”)、ニューリベラリズム(new liberalism、イギリス)
- 代表的政党:アメリカ民主党、日本の民主党系野党(社民、共産除く)
- 思想系譜:イギリス経験論・唯物論と大陸合理論・観念論の折衷
- 政治的分類:中道(centrist、political center)、中道左派(center-leftist、political center-left)
- 重要思想家:
- J.S.ミル(John Stuart Mill)
- ケインズ(John Maynard Keynes)
- 対応する経済思想:マクロ経済学(macro economics)、ケインズ主義(Keynesian economics、Keynesianism)
左派:社会民主主義(social democracy)系
- 政治スタンス:穏健派(peaceful)、改良主義(evolutionary)、社会正義(social justice)、北欧モデル(Nordic model)、大きな政府(社会保障・医療重視で手厚い福祉)
- 別表現:派生として社会自由主義との折衷「第三の道」(Third Way)
- 代表的政党:イギリス労働党、フランス社会党、日本の社民党(共産党)
- 思想系譜:社会主義、共産主義、マルクス主義、民主主義、唯物論
- 政治的分類:中道左派(center-leftist、political center-left)
- 重要思想家:ベルンシュタイン(Eduard Bernstein)
- 対応する経済思想:混合経済(mixed economy、市場経済と計画経済の混合)、マルクス経済学(Marxian economics)
左派:社会主義(socialism)の系譜
社会民主主義は社会主義の潮流のひとつ。他な潮流に以下がある。
- 空想的社会主義(utopian socialism)
資本主義の矛盾を克服すべく理想社会を構想した初期の社会主義思想。サン=シモン(Comte de Saint-Simon)、オウエン(Robert Owen)らの思想家は、マルクス主義的な、歴史・社会の進化法則や階級闘争史観に基づかず、教育による倫理の向上や人間性の変革に期待した。後世、マルクス主義者は自らを科学的社会主義(scientific socialism)と位置づけ、サン=シモンやオウエンの思想を空想的と呼んだ。 - 無政府主義(anarchism)
大きく個人主義的無政府主義と社会主義的無政府主義に分かれるが、どちらも既成の政治体制あるいは国家を否定し、個人を主体とした理想社会を構想する点で社会主義思想の変種と捉えられる。重要思想家としてプルードン(Pierre Proudhon)、バクーニン(ikhail Bakunin)、クロポトキン(Pjotr Kropotkin)らの名を挙げることができる。- 古典的リベラリズムやリバタリアニズムの流れをくむ政治経済思想にアナルコキャピタリズム(anarcocapitalism)がある。オーストリア学派内のハイエク批判者だったマレー・ロスバードが理論的主導者だった。現代ではドイツからアメリカに移住したハンス・ヘルマン・ホッペらが有名。
- サンディカリスム(Syndicalism、労働組合主義)
経済分野のコーポラティズム(Corporatism)と呼応する政治思想。個人主義的自由主義への批判として、国家(社会)内の集産的組織(労働組合)の連合により政治経済を運営しようとする。ソレル(Georges Sorel)、デ・レオン(Daniel De Leon)。 - 共産主義(communism)
- マルクス主義(Marxism)または科学的社会主義(scientific socialism)
- マルクス主義の派生形態としてマルクス=レーニン主義、スターリン主義、トロツキー主義、毛沢東思想(中国)、主体(チェチュ)思想(北朝鮮)
- マルクス主義(Marxism)または科学的社会主義(scientific socialism)
- この他、第三世界には社会主義的な体制または政権が数多く生まれた。
- ベトナム、ラオス、ビルマ、インド
- エジプト(ナセル)、リビア(カダフィー)、シリア・イラク(バース党)
- 新左翼(New Left)
ソ連型社会主義や各国の共産党や社会民主主義政党を批判する諸思想。- フランス:五月革命(May 1968、May 1968 events in France)
- イタリア:赤い旅団(Red Brigades)
- ドイツ:ドイツ赤軍(Red Army Faction)
- アメリカ:ベトナム反戦運動(Anti-Vietnam War protest/movement)、黒人解放運動(modern black liberation movement)
- イスラエル:マツペン(MATZPEN)。反資本主義・反シオニズムを掲げる政治団体
- 日本:トロツキズム第四インター、「反帝国主義・反スターリン主義」を掲げる革マル派・中核派、レーニン主義を否定しマルクス主義の復権を唱える社青同解放派、毛沢東主義、アナキズム諸派など。
欧米における保守主義と自由主義
重ねていうが、アメリカのリベラルはヨーロッパ基準ではソーシャリストである。ヨーロッパのリベラルはアメリカのコンサーバティブである。
ヨーロッパにおける保守主義
保守主義(conservatism)はイギリス経験論の流れをくむ。ベースに「人間は不完全な存在である」という人間観がある。そのため、人間理性を絶対(神聖)視する大陸の近代的理性主義(啓蒙主義や合理主義)に懐疑的であり、歴史伝統(経験的に蓄積された知恵)を尊重する。
18世紀のフランス革命で左右の対立軸が鮮明化し、19世紀に入ると大陸では社会主義が興隆していった。イギリス側では、それまで進歩的(progressive)と見なされていたリベラリズム(自由主義)と保守主義が結びついて、古典的自由主義(右派)vs社会主義(左派)の対立軸が形成された。思想家としてはエドマンド・バークがいる。彼のスタンスは、イギリス国教会支持、フランス革命(とその背景にあるルソーらの社会契約論、啓蒙思想、合理主義、設計主義)不信である。
ただし、ひとくちに保守主義といっても以下のような様々なタイプに発展しており一枚岩ではない。
- 伝統保守主義(traditional conservatism、農本主義など)・・・近代主義そのものに反対し、伝統的共同体を擁護する立場。
- 個人主義的自由主義(liberal individualism、古典的自由主義、新自由主義など)・・・近代の啓蒙主義から発生した自由主義的な立場。現代の主流派。
- 国民保守主義(national conservatism、社会保守主義など)・・・近代のナショナリズムから発生した国益や国家(政府)への帰属や奉仕を重視する立場。
ヨーロッパの古典的自由主義⇒アメリカの保守主義
ヨーロッパの社会主義⇒アメリカの自由主義
しつこいようだが、国際政治を理解する上でここがいちばん混乱をきたす部分なので、英文記事をもとに補足してみる。
- What are some of the differences between American conservatism and European conservatism?(アメリカの保守主義とヨーロッパの保守主義はどう違うのか?)
- What are some of the differences between American liberalism and European liberalism?(アメリカの自由主義とヨーロッパの自由主義はどう違うのか?)
回答:
The terms are actually misnomers. American Conservatives are actually Classic Liberals, and American Liberals are Socialists. An odd PR dance has changed all the names around. The Australian equivalent of a US Conservative is still called Liberals for example.
保守主義とか自由主義という呼称は間違った命名で誤解を招きます。アメリカの保守主義は実際にはヨーロッパの古典的自由主義に相当し、アメリカの自由主義はヨーロッパの社会主義に相当します。政治家の自己宣伝で用語が使い回された結果こうした錯綜が生まれました。イギリス配下にあったオーストラリアでは、アメリカの保守主義に相当する立場は正しく自由主義と呼ばれています。
米のリベラルを純粋に社会主義と見れるかどうかは異論のあるところだろうが、国際基準ではそういう括りになる。ただ系譜的には、下に説明する近代自由主義(ニューリベラリズム、社会自由主義)に近い。
Classic Liberalism is a sort of blend of British Empiricist philosophy, English/Celtic law, early Humanist and bits and pieces from other sources. John Locke, Thomas Hobbes and John Stuart Mills were the strongest influences on the US founding fathers.
古典的自由主義とは何かといえば、大英帝国の哲学と、イングランドやウェールズの法概念のブレンドです。下敷きになったのはジョン・ロック、トーマス・ホッブス、ジョン・スチュワート・ミルらの政治思想で、彼らはアメリカの建国の父たちにも多大な影響を与えました。
アメリカの「保守」とは古典的自由主義のことであり、アメリカにはヨーロッパ的な意味での保守主義は存在しない。ここが大事なポイントだ。日本人の感覚からいうと、アメリカは国全体が左派なのである。
アメリカ史を振り返れば明らかだが、ネイティブ・アメリカン(アメリカン・インディアン)しかいなかった土地に、ヨーロッパの白人が入植したので彼らに保守すべき伝統などあろうはずがない。初期の入植者は個人(もしくは家族)しか頼るものがなかった人たちである。だからアメリカ人にとって保守とはほぼ独立(independence)の同義語である。
いまでもアメリカ人が保守といってパッとイメージするのは、建国の父たち(the Founding Fathers)の時代の政治経済思想だと思われる。
ヨーロッパの古典的自由主義
アメリカの保守主義となった古典的自由主義については、他のソースで次のように説明されている。
Classical liberalism has two prominent features:
A reliance on markets for economic decision making.
A reliance on democratic institutions for political decision making.
古典的自由主義は以下の2つの特徴をもつ。
- 経済的には市場を基準に意思決定を行う。
- 政治的には民主的な制度を基準に意思決定を行う。
資本主義と民主主義に基づく社会体制を古典的自由主義と呼ぶわけだ。この初期の自由主義はしばしばレッセ・フェール(フランス語:laissez-faire、自由放任主義)とあだ名される。レッセ・フェールとは「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず、市場のはたらきに任せる」ことを意味する。
古典的自由主義のアメリカ的変容:リバタリアニズム
古典的自由主義はアメリカ建国時、憲法にも謳われる思想信条となってアメリカに根付いた。しかし1930年代、アメリカで大恐慌が起こると事態が一変する。
アメリカ政府は、イギリスの自由主義経済学者ケインズの助言を元に、多くの失業者を救うためにと称して大々的に経済に介入して、ニューディール政策なる景気刺激策を断行する。
これが見事に当たって急速に景気回復を果たすと、ニューディーラーと呼ばれる民主党系の人々が、このケインズ的財政出動路線(「大きな政府」による社会主義的な弱者救済・ばらまき政策)をリベラリズムと呼び始める。本来「レッセ・フェール」(日本流にいうなら自己責任)だったはずのリベラリズムは、大恐慌を境として「レッセ・フェール」とは真逆の、介入政治を意味するようになった。
以後、大恐慌以前にあった自由主義を保守主義(コンサーバティズム)、ケインジアン政策に由来する社会民主的な政治を自由主義(リベラリズム)を呼ぶようになっていく。後者はヨーロッパ基準では中道右派もしくは中道左派である。
こうした背景から、本来のレッセ・フェール的な自由主義をリバタリアニズム(libertarianism)と呼ぶようになった。個人や家族しか頼る者のない人々が奉じたアメリカ版古典的自由主義の精神を継承する人々である。
リバタリアニズムの2つの流れ
リバタリアニズムについては知っておいて損はない。21世紀の支配的政治経済思想のひとつになりそうだからだ。リバタリアニズムには2つの発祥経路がある。
ハイエク、フリードマンらの理論的サポート
ひとつはアカデミズムからのアプローチ。ハイエクらオーストラリア学派と呼ばれる亡命知識人が理論的下支えを行った。
全体主義的傾向が強まるヨーロッパの戦乱を避けてアメリカに逃れたミーゼスやハイエクらは、リバタリアニズムに理論的お墨付きを与えたが、当初は一部でしか受け入れられなかった。
しかし、その後、元々ケインズ主義者だったフリードマンが、ニューディール政策の理論的支柱だったケインズ主義を批判し、市場原理と金融資本主義(資本規制の撤廃と移動の自由化を)を柱とするネオリベラリズム(もしくはマネタリズム)を提唱した。1980年代に入ると、イギリスのサッチャー首相がハイエクの本をバイブルと呼んだりして、一気にフリードマン的なネオリベラリズムが政治の主流となり、アメリカのレーガン政権、日本の小泉政権はすべてこの流れにある。
フリードマン型のネオリベラリズムは、リバタリアニズムの金融経済版と考えればわかりやすいだろう。リバタリアニズムというのはけっして主流に躍り出て喧伝されることはない。しかし、伏流水のように主流を下支えする存在なのである。
市場原理と金融資本主義の行き過ぎが10年前リーマンショックで破裂し、現在ネオリベラリズムはなりを潜めている。現在のトランプ政権はネオリベラリズムへの明らかな反動として、アメリカのもうひとつの伝統である孤立主義(isolationism、アイソレーショニズム)に近い政策を敷いている。孤立主義はしばしばモンロー主義と呼ばれるが、これはネオリベラリズムを裏で支えていた覇権主義(拡張主義)、あるいは国際協調主義の対立概念である。
アメリカは歴史的に、この両極を揺れ動いてる。第二次世界大戦前のアメリカは、自らの権益が深く浸透している南北アメリカ大陸の外部に対して不干渉の外交方針をとっていたが、第二次世界大戦への参戦後は覇権主義に転じ、冷戦時代を通じて「世界の警察」を自称し積極的な外政干渉を展開した。
カウンターカルチャー系の流れ
リバタリアニズムのもうひとつの流れは、1960年代のヒッピー文化に象徴されるカウンターカルチャーから生まれた。ベトナム反戦なども絡み、政府や既成の権威を否定し、徹底した個人主義を奉じる若者たちが草の根的なリバタリアニズムの温床となったためだ。
これは同時に、昨今世情を騒がせているジェンダー研究(gender studies。女性解放、男女共同参画、LGBT+、ジェンダークィア、パワハラ、セクハラ等々)の温床ともなった。
アメリカ西海岸はこうした思潮のメッカであり、現在IT業界やインターネット業界を牛耳る人々は、このような個人主義的リバタリアンが多い。
1980年代くらいから先進諸国では伝統的なメインカルチャーへの信頼が揺らぎ、サブカルチャーが一気に開花した。学者や知識人の世界でもポストモダニズムが台頭した。たとえば、ジェンダー研究、環境学、カルチュラル・スタディーズ(cultural studies)、社会構築主義(social constructionism)といった新しい学問・思想傾向は伝統的価値観を疑い、新たな価値基準を求める脱構築主義(deconstructionism)と相性がいい。
ポストモダニズムの空気で育った人たちはSNSの普及と相まって一気に社会の主流と化している。端的にいえば、そういう人たちにマネーが集まるようになって勢いがいいのである。日本も例外ではないが、日米欧の違いを端的に表現するなら、アメリカではアトム的な個人主義(ポストモダンな価値相対主義、ソーシャルジャスティス派、ジェンダーフリー派などを含む)に徹すれば徹するほど「保守的」なのである。対して日本やヨーロッパには、社会規範や伝統からの自由を極端なまでに志向する個人主義に違和感を感じ、馴染まない層が岩盤のような抵抗力として存在している。
なお、アトム的な個人主義者や反権威的なアメリカ人の間に深く浸透していて日本ではあまり論じられない思想家・作家に、ユダヤ系ロシア移民のアイン・ランド(Ayn Rand)がいる。
リバタリアニズム・古典的自由主義の類縁思想
レッセ・フェール的な思想に基づく古典的自由主義は、アメリカの「保守」政党である共和党(Republicans)の基本的立場(「小さな政府」)だが、現在は以下の呼び名の方が一般化している。
- 市場原理主義(market fundamentalism)・・・欧米ではあまり聞かれない。
- ネオリベラリズム(neoliberalism)・・・日本で通常「新自由主義」というときはこのネオリベラリズムを指す。
- これとは別にnew liberalismという呼称があって紛らわしい。new liberalismはイギリスで興った古典的自由主義に対して修正的な立場をとる自由主義のこと。社会的公正を重んじるため、放任主義のネオリベラリズムとは相容れない。
社会自由主義(social liberalism、modern liberalism、egalitarian liberalism)の台頭
分類:中道、中道左派
時代が経つと、古典的自由主義の弊害も意識されるようになった。レッセ・フェールでやっていると既得権益の享受者、資産家、権力者などが圧倒的に有利で、かえって人々の自由を阻害するから、もっと社会的公正(他者の自由と自分の自由のバランス)を考えようという人たちが主流派になったのだ。これを近代自由主義(modern liberalism)という。
現代では、紛らわしいので社会自由主義(social liberalism)ということが多い。社会自由主義は、国家主義(社会主義や共産主義)のような全体主義的傾向はないものの、ある程度の政府の介入を前提とするので政治的には中道的スタンスと見なされる。アメリカ民主党(Democrats)の立場はこの考え方に近い。
哲学・思想上の系譜
アメリカ思想の主流はイギリス系の経験論
西洋思想(政治、経済、哲学)はギリシャ思想とキリスト教神学の合いの子である。
ごく大づかみにいえば、西洋思想はプラトンとアリストテレスを代表とする形而上学(metaphysics)を源流とし、そこにキリスト教神学が接ぎ木されたものだ。
プラトンはアテネの名門貴族出身の超エリート、アリストテレスはマケドニア地方の王室付き医師の子(アレクサンダー大王の家庭教師)。この出自の違いが思想の違いに露骨に現れている。現実世界は個別性と普遍性で成り立つと考える点で二人は一致するが、普遍性のありかをどこに求めるかで袂を分かった。
- プラトンは普遍性を現実世界を超えた超感覚的な存在(イデア、idea)に求め、現実界をイデアの劣化コピーと見なした。人間はあぜ道を走っている軽トラを見ても、街中を走っているフィットを見ても、高速をかっ飛ばしているポルシェを見ても、病院前のバス停で待機しているバスを見ても「クルマ」と認識できる。これはなぜか?それらのモノがイデアを共有しているからである。プラトンにいわせれば、大事なのは軽トラでもポルシェでもなく、それらをクルマたらしめている普遍的なイデアなのである。人間が神(天)から授かった能力が、地上において思い出されるわけだ(想起説)。政治思想としては君主制に近い。イデアを見出した優れた少数者(エリート層)がその他大勢を取り仕切るのが理想の政治形態なのである。アテネの都市国家の住人らしい発想だ。
- 一方、アリストテレスはイデアなんて存在しない。世界はあくまで世界であり、世界を構成する個々のモノのなかに個別性を与える質料(matter)と普遍性を与える形相(form)が内在していると考えた。ポルシェと軽トラは質量は違うが形相が共通しているのでクルマと呼ばれるのである。人間の抽象能力を高く評価したことになる。政治思想的には民主制に近い。実際、金持ちとはいえ平民出身のアリストテレスは王様なんかいらない、個人が協力して治める方がうまくいくと考えていて、現代人の感覚に近いのである。
両者の違いは経済思想や宗教思想にも引き継がれていったが、プラトンとアリストテレスの基本的違いは至上価値(真理)が現実界を超越したところに存在すると考えるか、人間の内部に存在すると考えるかの違いである。前者を実在論(realism)といい、観念論(idealism)に発展した。後者を唯名論(nominalism)といい、唯物論(materialism)に発展した。
思想史上では中世の普遍論争においてアリストテレス派のトマス・アクィナスらが唱えた唯名論が勝利したとされ、それが近代合理主義、自然科学の発展を促したと説明されるが、世の中はそれほど単純ではなく、プラトンのイデア的な考え方は神学者の中にも科学者の中にも連綿と生き続けている。人間の考え方のクセなのでイデオロギーですぱっと割り切れるものではないのだ。
- プロテスタント移民を中心にできたアメリカには、形而上学(観念)的な思想は根付かず、唯物論的な思想が主流を成した。一般に、アメリカ人は観念論(idealism)が嫌いで、唯物論的・経験論的な考えを好む。
- 後述するが、この唯物論的・経験論的立場はアメリカ独自のプラグマティズム(pragmatism)という思想に結実して、現代アメリカ人の基本的行動原理になっている。「習うより慣れろ」の結果主義である。
- アメリカ人がスピリチュアルというとき、現代的にマイルド化されたインド思想や禅思想をイメージしており、ヨーロッパ式の古代から連綿と受け継がれてきた神秘主義やオカルティズムの伝統とは違う(ヨーロッパのスピリチュアリズムは、新プラトン主義など観念論の系譜上にある)。
- 同じ認識論(epistemology)の範疇においても、アメリカはイギリスの旧植民地であった関係で、大陸系のドイツを中心とする合理論(理性主義、rationalism)の伝統より、イギリス的な経験論(empiricism)の伝統と親和的である。
プラグマティズム
アメリカ独自の思想としてプラグマティズム(pragmatism)がある。哲学というより行動原理に近い。一応イギリスの経験論の伝統を引き継いでいるので、観念論の主張するような唯一無二の真理を認めない。真理かどうかより「うまくいけばそれが正しい」。「結果オーライ」の精神である。
アメリカ人が実践と成果を重んじるのではそのせいだ。検証してみてOKになったものをその都度「真理」として採用する。「真理」は多元的でダイナミックなものだと捉えているわけだ(プラトン的な永遠不変のイデアなどクソの役にも立たない!)。
プラグマティックなアメリカ人にとって「真理」は誰でも検証(理解)可能なものでなければならない。人間は間違うことも多いし、何事もやってみなければわからない。だから、とりあえずやってみる。それで間違えば前提や仮説を修正し、また試す。こうした漸進的なアプローチで得られた最適解を「真理」と位置付けるのである。
- たとえば、ある人が「この石は硬くて割れない」といったとする。これは、その石の「硬さ」を真理だと主張しているのと同じだ。この場合、プラグマティストはその「硬さ」を誰もが納得するような方法で具体的に確かめる。というより、そうした方法で確かめなければ気持ち悪くて「確かに硬いね」と賛同できない。
- そこでプラグマティストはその石にいろいろな物体をぶつけて割れるか割れないかを検証する。何をぶつけても割れなければ、その段階でようやく「この石は硬い」という仮説(命題)を「真理」と認める。
- もしダイヤモンドをぶつけたときその石が割れてしまえば、先ほどの「真理」を修正し、「ダイヤモンドが最も硬い」という新しい「真理」を登録するのである。
アメリカ人は何もないところから(ネイティブはいたが白人の生活基盤はゼロに等しかった)独立独歩で、仲間と協力し合いながら国をつくってきた。彼らには何が正しいかを決めてくれる権威(教会や王様)は存在しなかったから、何事も自分たちで何が正しいか試して、役に立つかどうかを決めざるを得なかった。
一般のアメリカ人は神を信じる人が多いのだが、彼らの神に抱くイメージでは、神とは、そういう人間の試行錯誤の挑戦を黙って見守ってくれる存在なのである。けっして「これこれが正しいから信じろ」と強弁するような存在ではない(だから権威主義的なカトリックより個人主義的なプロテスタントが多い)。
なお、プラグマティズムは日本語で「功利主義」「効用主義」と訳すことがある。でも上記のように「うまくいけばそれが正しい」というニュアンスを伝えるには「実用主義」「検証主義」とした方が本意を伝える適訳なのではないかと思う。
プラグマティズムはアメリカ社会の下部構造?
プラグマティズムに関連して、アメリカ社会を理解するうえで、なかなか見事なアナロジーがあったので紹介しよう。
マルクスは、経済を下部構造として、社会制度や思想はそれに規定される上部構造であると唱えた。これを応用して、プラグマティズムを他のあらゆる社会制度や思想を規定する下部構造ととらえるのである。そうすると、リベラリズムや保守主義はプラグマティズムに左右される上部構造に過ぎないことになる。
そのように見ると、アメリカが時にリベラルの民主党を選び、時に保守の共和党を選ぶ理由がよく分かる。つまりアメリカは、富の再分配がより必要な時はリベラルを選び、そちらに傾き過ぎた時には保守を選ぶことで、その都度世の中が「うまくいく選択」をしているだけなのだ。
確かにアメリカは、近代自由主義の枠内ではあるが、どちらかに傾きすぎるとそれを是正する投票行動をとる。彼らなりのバランス感覚が発揮されているといえるだろう。
まとめ:日米欧の保守と革新
「これこれが正しいから信じろ」と強要する代表がカトリック教会である。ヨーロッパの近代社会はカトリック教会に対する批判・拒絶・反抗から生まれた(宗教改革はチェコ、スイス、ドイツに発し、イギリスやフランスに飛び火した)。
- ヨーロッパで保守(conservative)といえば、カトリック思想や神の存在を認める立場(イギリスの場合は国教会)、王権(政府)の正当性や貴族の世襲などを是認する立場を指す。日本では皇室を存続させたい人が保守である。だが、先述のように、この意味における保守はアメリカに存在しない。
- 保守以外の立場は個々に細かな違いはあっても革新(progressive)もしくはリベラル(liberal)に分類される。革新やリベラルは神(教会)や王(政治)からの自由を求める基本思想で一致しており、いろいろな政治イズムがあるのは政府の役割(権限、介入)をどの程度まで許容するか、どんな経済体制(資本主義?社会主義?共産主義?)を好ましく思うかなどの違いである。アメリカは丸ごと革新もしくはリベラルの国である。
参考:ヨーロッパの政治風景
現代のヨーロッパには以下のような政治イズムが混在している。
参考:アメリカの政治風景
アメリカのプラグマティズムの精神風土では、自由をキータームとして「どんな自由を、どの程度要求するか」によって以下のような分類が可能だ。
現代日本の微妙な立ち位置
現在、日本でいうリベラルは概して、アメリカ的な意味でのリベラルもしくはネオリベラル(=社会民主的価値観と、ポストモダンの思想傾向が強い個人主義的リバタリアンのミックス)を指しているように思う。
しかし日本でいう「保守」の立ち位置は微妙だ。明治維新以降の近代化ではヨーロッパ基準でものを考え、第二次世界大戦後はアメリカ基準でものを考えるようになっているから、本来の意味での保守(=江戸時代以前の社会伝統や規範を守る立場)は存在しにくい。そのため「親米保守」やら「真正保守」」やらの珍妙なネーミングが登場してくることになる。
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