【Queenライ三部作01】”My Fairy King”:なぜフレディはマーキュリーと名乗ったのか?
フレディ・マーキュリーの本名はファルーク・バルサラ。彼はなぜフレディ・マーキュリーという芸名を選んだのでしょうか?そのわけを探るのが今回のお題です。
三倍賢いヘルメス
マーキュリーと言えば、天体の水星、物質の水銀です。
- 水星は太陽系で最も太陽に近く、地上からほとんど観察できないほど「脚の速い」惑星です。
- 水銀は「液体で金属」という奇妙な物質。錬金術たちは水銀の対極に硫黄ありと睨んで両者の結合を試みました。インドの錬金術では「銀はダイヤモンドに勝つ、金は銀に勝つ、ダイヤモンドは金に勝つ、水銀はダイヤモンドに勝つ」と讃えられています。
メルクリウス=ヘルメス=トート
水星と水銀をつなぐリンクは、mercuryの語源となった古代ローマの神メルクリウス(Mercurius)。メルクリウスはギリシャ神話の神ヘルメス(Hermes)、エジプトの神トート(Thoth)と習合します。
時は東西の文化が混淆したヘレニズムの時代、学芸の中心地となったのは巨大な図書館が建造された新興都市アレクサンドリア。この地で三者は出会い習合しました。習合の結果、ヘルメス・トリスメギストス(Hermes Trismegistus、以下、HTと表記します)なる賢者(sage)のイメージが生まれ、HTにまつわる諸学(神智学、魔術、錬金術の3つが中心)がヘルメス学(Hermeticism)と呼ばれるようになります。
ヘルメス学
ヘルメス学の世界観は、天上界(創造主デミウルゴス)に照応するかたちで地上界(現実世界)が造られた、という二元論です。両者は断絶しているのではなく、間に「メッセンジャー」(使者)を行き交せることで交通(コミュニケート)できます。
HTの考える学問とは、神から与えられた霊性を自覚し、それを使いこなして天上と交信する思念と技術のことなのです。
- 神智学(哲学・形而上学)は、目に見えない神の領域にアクセスして真理(神意)を思念することです。
- これに対して魔術や錬金術は地上の物質次元で天上と地上を結ぶ技術(art)を完成し、非物質次元へのアクセス能力を身につけることです。
HTが「トリスメギストス」(ヘルメスより三倍偉大なヘルメス)と呼ばれるのは、天上界を主宰するトートと、地上界と天上界を仲立ちするヘルメスならびにメルクリウスの叡智を兼ね備えた賢者と見なされたからです。
三神のうちヘルメスは主に魔術と、メルクリウスは錬金術の要の物質である水銀と結びつきました。トートはもともと月の神(母)で至高神である太陽神(父)をサポートすることがその本領です。ヒエログリフを発明し、人間に暦や文字を与え、冥府(死の世界)を取り仕切るとされるように、トートは至高神や他の神々の意思を人間に伝えるメッセンジャーです。神々のメッセージを魔術師や錬金術師が汲み取り、貴重なノウハウ・知識を蓄積していくと、それをアーカイブにして後世に伝える書記神でもあったのです。
突飛なことを言うようですが、フレディはこのヘルメス学的な世界観を知っていたか、直観的に気づいていたからマーキュリーという芸名を選んだのではないかと思うのです。彼はメルクリウス(メッセンジャー)として地上と天上を仲立ちしようとしたのではないでしょうか?
ヘルメス学のネタ元
せっかくなのでヘルメス学の内情をもう少し説明しておくと、ヘルメス学はユダヤ・キリスト教やギリシャ哲学から多くの影響を受けています。例えば、デミウルゴスという創造主について見てみましょう。これはプラトンが最初に使い、グノーシスが借用した概念です。
- プラトンによれば、デミウルゴスが創造した物質世界は、時空を超越した真の実在イデア(アリストテレス以降はエイドス、eidos。形相、formとも)を真似て造った似姿(エイコーン、eikon)に過ぎません。現実世界(存在)とイデアの世界(本質)は似て非なるものだというのです。
- グノーシス思想になると、デミウルゴスは悪に堕落したこの世界を造った「犯人」という扱いになります。デミウルゴスは至高神(アイオーン、eon)の真似をして出来損ないの世界を作ってしまったというのです。そのため人間がアイオーンの世界へ戻るには真実の認識(gnosis、英語の発音は「ノーシス」)を通じて自分の真の霊を自覚し、醜い地上とオサラバするしか救われようがありません。グノーシス思想は、(1)キリスト教の教義(神は一者にして善なるもの、かつ堕落したのは人間)と矛盾し、(2)オーム真理教的なポア思想(どうせ堕落した人間なんだから殺して構わない)に結びつきやすいということで、歴史的には異端として扱われてきました。
- HTが書いたと言われる膨大な文書群「ヘルメス文書」にはグノーシス文献も多く含まれます。そのためグノーシス思想とは一線を画しているにもかかわらず、ヘルメス思想は色眼鏡で見られる傾向があります。
外部サイトの参考記事
ライ三部作の世界観
「ライ三部作」はブログ主の勝手な命名です。「ライ」(Rhye)は幼少時のフレディが妹と一緒に作ったファンタジーワールドの名前。「ライ三部作」はいずれもフレディ作で、発表順に並べると次のようになります。
- My Fairy King(デビューアルバム Queen 収録)
- Seven Seas of Rhye(セカンドアルバム Queen II 収録)
- Lily of the Valley(サードアルバム Sheer Heart Attack 収録)
My Fairy King
状況設定の歌と考えられます。話者はライ王国に住んでいた妖精のひとりかと思われます。曲はいまは失われた妖精王の楽園(ライ王国)の描写で始まります。突如、人間が楽園に闖入し、楽園を破壊し、妖精王の魔法の手(magic hand)からパワーを奪ってしまいます。曲は母なるマーキュリーに救いを求める話者の声で静かに終わります。
Seven Seas of Rhye
問いかけの歌です。話者はMy Fairy Kingを追われた妖精王自身のように見えます。堕落した祖国の支配者に強圧的に迫りますが、地上の民たちがどう反応したかは最後まで語られません。
Lily of the Valley
その後日談と思われ、挽歌の趣を呈しています。話者は誰かわかりませんが、My Fairy Kingと同じ元住人かもしれません。話者は何かを探している様子ですが、それが何かはわかりません。使者(ローマ神話のメルクリウスは使者なのでMy Fairy Kingのマーキュリーでしょうか?)がやってきて「ライ王国から王様が追われた」と告げます。話者は暗い未来に思いを致しますが、谷間の百合は何も答えません。
- 寓意的に捉えるなら、この曲はフレディのイノセンスの時代への惜別の歌でしょう。妖精王が王国から放逐されたとは、フレディがファンタジーの世界と決別し、リアルワード(ショービジネス)で生きる覚悟を決めたと解釈できます。
- それにして、なぜタイトルが谷間の百合なのかを考えると、この曲は愛についての歌とも解釈できます。谷間の百合は悲劇的な愛を扱ったバルザックの有名な小説のタイトルであり、歌詞に出てくる “Serpent of the Nile” とは、ユリウス・カエサルとマルクス・アントニウスの二人を手玉に取ったクレオパトラのことです。
妖精とは何か?
少し脱線しますが、そもそも妖精(fairy)とは何かについては事典の解説を引用しておきましょう。
広くヨーロッパの民間伝承で信じられていた魔力をもつ超自然的な存在。地上または地下の妖精の国にすみ,人間よりも才能にすぐれ,長生する。男女の性別があり,ときに人間と交際してこれを助けたり,害をなしたりし,人間と結婚する例もある。地理や自然環境に明るかった新石器時代の先住民に関する記憶,キリスト教が追放した異教の神々の信仰の名残り,死者の霊魂への信仰など多くの要素が結びつき,地方的な粉飾や変形が加えられて妖精伝承が成立したと推定されている。
羽の生えたヒューマノイドというのが妖精の一般的イメージ。いかにも西洋ぽいです。
Queenロゴの妖精
一定年齢以上の方はご存知かと思いますが、むかし森永ハイクラウンチョコのおまけについていた妖精カードというものがありまして、描いたのはイギリスの有名な挿絵画家シシリー・メアリー・バーカー。フレディはQueenロゴの自分を妖精として図案しましたが、そのモチーフになったのがこの人の絵なんですね。下の右側がパーカーさんの原画。『オペラ座の夜』ジャケット右下のピンクの妖精、確かにそっくりです。そのことに真っ先に気づいたのが日本女子で、彼女らがQueen人気に火をつけたという都市伝説(?)もあります。この辺りのことはこちらの記事に詳しいです。
フランボヤイヤン
妖精はスラングになると次のような意味となります。
A usually derogatory term for a gay male, especially one who is flamboyant and acts more “feminine” than a woman (as if there were something wrong with being feminine). A heterosexual man who acts in a feminine manner is also sometimes called a “fairy”.
「必ずしもゲイではないものの、女性より女性らしく振る舞うデーハー(派手)な身なりを好む男」をfairyと言うのですね。キーワードはflamboyant(フランボワイヤン)、語源は「炎のような」を意味するフランス語。派手好みの男は目立つ暖色系の色、特に赤い服を着て歩くことから、このように形容されるように。
フレディはフランスものが好きだったようですし、ステージや社交の場では意識して「フランボワイヤン」なキャラを演じていました。また炎はパールシー(インドのゾロアスター教徒)にとって大事な聖火を連想させます。
炎たつ聖堂
フランボワイヤンはイングランドに発祥し、宗教改革期の15~16世紀でフランスで大流行したゴシック建築様式を指すことばです。
フランスの後期ゴシック建築に特有の様式。(中略)窓の上部の狭間飾(トレーサリー)の装飾が火炎を思わせる華麗な曲線を示すところから名づけられた。
My Fairy Kingの歌詞と対訳
以下に対訳付きの歌詞を載せます。太字した部分は、解読に関わる部分なので強調してあります。
Aah, aah
In the land where horses born with eagle wings
And honey bees have lost their stings
There’s singing forever, ooh yeah
Lion’s den with fallow deer
And rivers made from wine so clear
Flow on and on forever
Dragons fly like sparrows thru’ the air
And baby lambs where Samson dares
To go on on on on on on1
鷲の翼を持つ馬や
針を持たない蜜蜂が
永遠の春を楽しむその土地で
ダマジカはライオンの巣穴で憩い
澄みきったワインの川は
とうとうと流れる
龍は雀のように
怪力サムソンがいまも居座る土地の
空を切り子羊の頭上を飛んで行く
My fairy king can see things
He rules the air and turns the tides
That are not there for you and me
Ooh yeah he guides the winds
My fairy king can do right and nothing wrong
僕の妖精王はすべてお見通し
大気を操り潮の流れを変え
みんなに辛い潮なら
風をうまく操ってくださる
妖精王は正しく行い何一つ悪を為さない
Ah, then came man to savage in the night
To run like thieves and to kill like knives
To take away the power from the magic hand
To bring about the ruin to the promised land, aah, aah
そこへ人間が夜襲をかけた
盗賊のように走りナイフのように殺し
魔法の手から力を奪い
約束の地に廃墟をうんだ
They turn the milk into sour
Like the blue in the blood of my veins
Why can’t you see it
Fire burning in hell with the cry of screaming pain
人間はミルクを腐らせた
真っ赤な血に青を混ぜるように
あなたにはどうして見えないのか?
阿鼻叫喚の悲鳴を上げる
地獄の業火が
Son of heaven set me free and let me go
Sea turn dry, no salt from sand
Seasons fly no helping hand
Teeth don’t shine like pearls for poor man’s eyes, aah
天の子よ、僕を解放し自由にしてくれ
海は干からび砂から塩はとれない
助けの来ぬまま季節は巡っている
ああ、真珠のようだった歯の輝きは
貧しき者の眼に映らない
Someone, someone has drained the colour from my wings
Broken my fairy circle ring
And shamed the king in all his pride
Changed the winds and wronged the tides
Mother Mercury Mercury
Look what they’ve done to me
I cannot run, I cannot hide
La la la la la la la la la la la la
誰かが僕の翼から色を奪い
妖精の踊りの環を壊した
そして王の誇りを粉々に砕き
風を変え潮の流れを乱した
母なるマーキュリーよ、マーキュリー
人間のひどい仕打ちを見てくれ
逃げも隠れも僕にはできない
マーキュリーに託された「諸対立の合一」
フレディがマーキュリー(メルクリウス)を芸名に選んだわけは、次のカール・ユングのコメントに集約されていると思います。
カール・グスタフ・ユングは「メルクリウス」について次のように述べる。
「メルクリウスは(錬金術でいうところの、即ち、無意識の)作業(オプス)の始めに位置し、終りに位置する。メルクリウスは原初の両性具有存在ヘルマプロディートスであり、一旦は二つに分れて古典的な兄-妹の対の形を取るが、最後に「結合」において再び一つに結びつき、「新しい光」、即ち、「賢者の石」という形態をとって光り輝く。メルクリウスは金属であるが同時に液体でもあり(「メルクリウス=水星」を象徴する金属は水銀)、物質でもあるが同時に霊でもあり、冷たいが同時に火と燃え、毒であるが同時に妙薬でもあり、『諸対立を一つに結びつける対立物の合一の象徴なのである。』」
- メルクリウス(マーキュリー)が持つ「反対物を合一する」という性格。それは性の問題にこだわっていたフレディにとって死活的に重要な意味合いを持っていたはずです。人間にとって男と女は究極の反対物であり、性こそ「反対物の合一」に他なりません。ヘテロセクシャルとホモセクシャルの間を行き来したフレディにとってマーキュリー(メルクリウス)ほど切実で己に相応しいシンボルはなかったと思います。
- なぜ単なる “Mercury” ではなく “Mother Mercury” にしたかもわかる気がします。”Mother Mercury” というコンビネーションそのものが「諸対立の合一」の表象ではありませんか!もちろん現実は非情です。ライ王国は「反対物の対立」が斥力として機能する地上界の掟(例えば、権力者と奴隷、強者と弱者)に逆らえず崩壊してしまったのですから。
- メルクリウスは神々の使い(メッセンジャー)でもありました。地上からはほんの短時間しか観察できない水星には韋駄天のイメージがあり、その連想から新聞名にもマーキュリーという単語が使われます。フレディはQueenという媒体を通じて「性と愛」のメッセンジャーを務めていたのでしょう。
エメラルド・タブレット
ところで、ユングの言う「諸対立の合一」という流れで掘り下げると、ヘルメス学の精髄と言われる「エメラルド・タブレット」(Emerald Tablet)碑文に行き当たります。肝となる部分を日本語訳で紹介しておきましょう(※重要部分を太字にしています)。
次のことは真実であり、偽りは含まれていない。すなわち、下にあるすべてのものは、上にあるものに似ており、上にあるすべてのものは、下にあるものに似ている。それは、ひとつの偉大な仕事をなし遂げるためである。すべてのものは、〈唯一である物〉から生じるが、それは、〈唯一である物〉を〈自身の精神〉の中に作った〈唯一なる者〉の意志と言葉による。それと同様に、あらゆる物が存在するのは、この〈統一性〉のおかげであるが、このことは〈自然界〉の秩序による。そして、その〈精神〉に自身を適合させることによって、あらゆる物は進歩することができる。
その〈父〉は太陽である。その〈母〉は月である。〈風〉はそれを子宮の中に入れて運び、〈土〉がそれを育む。この〈物〉は、この世界の完璧な物すべての〈父〉である。それが再び〈土〉に変わるとき、その力は最も完璧である。〈土〉から〈火〉を分離し、粗雑なものから微細なものを分離しなさい。しかしこのことは、注意深く、優れた判断と優れた技巧をもって行ないなさい。
それは、大地から天上へと上昇し、ふたたび下降し、大地に新たに生まれる。そのようになされるのは、〈上〉と〈下〉の力によってである。それゆえに、全世界の栄光はあなたのものになり、あらゆる暗黒はあなたから逃げ去るであろう。
これは、あらゆる能力の中でも最も強力な能力である。あらゆる力の中の力である。というのもそれは、形のないあらゆる物に打ち勝ち、形のあるあらゆる物を突き通すことができるからである。このようにして、世界は創造され、珍しいさまざまな組み合わせと、多くの種類の驚異がもたらされた。
それゆえに、私は「ヘルメス・トリスメギストス」と呼ばれる。世界中の3種の英知に習熟した者である。「太陽の作業」とも呼ばれる錬金術という最高の技術に関して、私が述べなければならないことは以上で全てである。
太字にした部分は “As above, so below” 箴言(aphorism)と呼ばれるヘルメス学の基本原理です。「唯一である物」(one)が「諸対立の合一」の鍵であることがわかります。アブラハム宗教の信者なら当然、唯一神を思い浮かべるところです。
似て非なるもの
箴言の核心部の英訳も紹介しておきます。
ジャービル・ブン・ハイヤーンのアラビア語版の英訳(8世紀後半に活躍したイスラムの錬金術師)
That which is above is from that which is below, and that which is below is from that which is above, working the miracles of one.
As all things were from one.ハイヤーンのラテン語訳の英訳(12世紀)
What is above is like what is below, and what is below is like that which is above. To make the miracle of the one thing.
And as all things were made from contemplation of one, so all things were born from one adaptation.
ヘルメス学は、上にあるものも下にあるものの本質はひとつだと言っているわけですが、英訳の微妙な違いに注意してください。”that which is below is that which is above” と “what is above is like what is below” の “like” の有無です。
原理に関わるステートメントでイコール(=)か近似(≒)かは大きな差です。似て非なるものという言い方もあるように、同じことと似ていることは全然違います。
この翻訳の揺れにはヘルメス学のマクロコズム(macrocosm、マクロコスモス)とミクロコズム(microcosm、ミクロコスモス)の照応(correspondence)という世界観が反映しているのかもしれません。
ライ王国の「合一」形象
フレディに戻りましょう。My Fairy Kingの歌詞で太字にした部分を見てください。ライ王国では対立が合一(もしくは去勢)されることで平和な楽園が築かれていたことがわかります。
- horses born with eagle wings・・・これは地を駆ける馬に、天を舞う鷲の羽が与えられることで完全な運動性能を暗示しています。
- honey bees have lost their stings・・・人間に蜜をもたらす益虫の蜂に針がなければ完全に無害化します。
- Lion’s den with fallow deer・・・捕食関係にあるはずのライオンとシカが同居しています。
- Dragonsとsparrows・・・架空の存在が現実の鳥に喩えられます。
- baby lambsとSamson・・・神の子羊とは人間であり、怪力サムソンは旧約聖書の士師記(士師は古代イスラエルの軍人政治指導者)に登場する逆説的英雄。彼はその怪力でヘブライ人の敵の神殿を破壊しますが、ここでは子羊と共存可能な存在として描かれています。
この記事の続編
当サイトのフレディ・マーキュリーに関する記事
脚注
- 最も解釈に苦しんだ部分。通常に読めば、この節は、”drangons fly like sparrows…” でひとつの文章、”baby lambs where Samson dares to go on…” で別の文章の構成のはず。となると後ろの文章には動詞がない!さらに “Samson dares to go on” の意味は?”go on” は “continue” もしくは “happen”。ただし、”happen” の意味の場合、主語は非生物であるのが大原則。例えば、”What’s going on here?” とは言えても、”Who’s going on here?” とは言えません。Samsonは人ですから、ここの “go on” の意味は “continue” に限定されます(目的語がない場合、しばしば “Keep on talking”)。では、サムソンはあえて何を(話し)続けるのでしょうか?動詞がない以上、これは無理。苦肉の策として “dragons fly through the air and baby lambs where Samson dares to go on.” の単文として解釈しました。サムソンは旧約の士師記に登場する、類まれな怪力に恵まれた士師(イスラエルの軍事指導者、英語ではjudge)。彼は敵のペリシテ人の女に心を奪われ、律法を破る行いをして天罰を受けますが、神への祈りが通じて怪力を取り戻し、ペリシテ人の神殿を破壊しイスラエルを奪い返します。”where Samson goes on” は力と理性の相剋に引き裂かれたサムソンがそのまま士師を続けるところ(国)と解釈できます。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません