【隠れ移民大国】新自由主義者は共産主義者と同じ夢を見るか?

政治・社会, 日本, 時事ネタ

(出典:西日本新聞)

本業で時間がとれないので短い記事になります。

安倍政権の危険運転が止まりません。オリンピックや少子化・人口減少化にかこつけて50万人規模の移民受け入れを決定してしまいました。

以下の記事にもあるように、すでに日本は先進国中第4位の移民大国です(統計が古いのでイギリスを抜いて第3位になっている可能性すらあります)。けっして門戸を閉ざしてきたわけではないのです。

そうした「実績」に自信をもっているのかどうか知りませんが、安倍政権は欧米で失敗の証明されている愚策を臆面もなく後追いしようとしています。

同じ構図が水道の民営化です。やるべきは民営化ではなく水道行政の広域化なのですが、上は「中央集権国家」の解体につながるのでやりたくないのです。

やってるふり戦略

なぜ安倍政権は移民拡大に熱心なのでしょうか?

おそらく理由は簡単で、仕事(彼らのいう少子化対策や経済成長戦略)をしているふりができるからです。少なくても「結果」が出るまで時間稼ぎができます。その頃には安倍さんの後継者が政権にいるでしょうから、自分の実績には傷がつかないと多寡(たか)を括っているのでしょう。

でも、もっと根っこには彼ら政治家やテクノクラートが意識していない恐ろし気な部分があって、この記事の本題はそこです。つまり、人間社会では、いちどある思想傾向のスイッチが入ると自動機械のように有無をいわさず進行していき、最終的に破局を迎えるのですが、今回の場合、外装が正反対に見えるのがイヤです。

移民政策の背景にある新自由主義(ネオリベ)は、自由を名乗っているものの、究極的には不自由を推し進めるイデオロギーなのですから、アップデートされた共産主義、より正確には全体主義に過ぎません。でも、みんなが信じているので、そう見えないのです。

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移民で死にゆくヨーロッパ文明?

昨年、ヨーロッパではイギリスのダグラス・マレーという高名なジャーナリストの出した『The Strange Death of Europe: Immigration, Identity, Islam』という恐ろしげなタイトルの時事本がベストセラーになり、大いに議論を呼びました。その本はいかにもジャーナリストの書いたものらしく、次のようなセンセーショナルな書き出しで始まります。

Europe is committing suicide. Or at least its leaders have decided to commit suicide.

ヨーロッパが自殺しようとしている。少なくてもリーダーたちはその決意をした。

さらにこんな “予言” もされています。

As a result, by the end of the lifespans of most people currently alive Europe will not be Europe and the peoples of Europe will have lost the only place in the world we had to call home.

その結果、現存世代が寿命を終える頃にはヨーロッパはヨーロッパでなくなり、ヨーロッパの諸国民が唯一「ふるさと」と呼びならわしてきた場所は消えてなくなる。

マレー氏の分析は取材事実に基づく説得的なもので、その結論はムスリム(イスラム教徒)人口の増大が取り返しのつかない事態を生むということのようです。日本が知らないうちに外国人労働者に頼る経済になりつつあるように、マレーさんのイギリスでも国民が承諾したわけでもないのに「少子化で仕方ない」「経済成長に資する」「彼らの納税額はネイティブを上回っている」などと言いながら、移民を増やしてきたわけです。そしていつの間にか、取り返しのつかないレベルまで移民が浸透してしまいました。それをダイバーシティなどと賛美するお気軽な人々の気分をよそに、欧米の知識層は深刻な危機意識を抱いています。

「国民が承諾したわけでもないのに」「いつの間にか」・・・まるで日本と同じ構図ではありませんか。詳しくは以下の記事を参照してください。

全体主義のエイリアス

ソ連邦が崩壊し、自由主義陣営の “勝利” が確定したとき、実は地獄の釜が大きく口を広げていましたという話なのです。おそらくヨーロッパはもう手遅れです。まあ、彼らの場合、先祖の因業のツケ(贖罪意識)なので仕方ないでしょうが、なんで日本まで同じ道を歩む必要があるでしょう?

繰り返しますが、新自由主義の帰結は全体主義であり、共産主義のエイリアスに過ぎません。国民のための経済ではなく、一部のエリートのための経済である点でそっくりではありませんか。両者は思想によって人々の思考停止をいざない、人々を、任意(人々の自発的意思と思われるもの)による全体への隷従に仕向けます。その手段が伝統共同体の破壊、国民国家の解体です。やがて気づけば帰る故郷すでになし、なわけです。

しかし現代人の脳裏にはすでに自由の価値が刷り込まれています。「自由から自由な人がいない」のが21世紀社会の定義です。この厄介な「疑似宗教」こそ21世紀最大のアポリアになっていくと思われます。中国が巨大な「人民の社会」から一人前の「国民国家」になれるかどうかも、この自由の扱いにかかっています。

皮肉なことに、ヨーロッパ自死への道は、啓蒙時代の個人主義、自由主義の開花に始まっています。啓蒙とはenlightenment、暗がりに光をもたらすことです。確かにヨーロッパ史は暗黒の時代を長く経験しました。でも、本当に暗がりに閉ざされていたのでしょうか?

キリスト教=イスラム教間の往還運動

違います。歴史をひもとけば、本当の意味でヨーロッパの蒙を啓(ひら)いたのはイスラムの翻訳文化でした。イスラムがペルシャを征服したとき、その書庫から発見した大量の古代ギリシャ文献。その高度な内容に驚嘆したイスラムはそれらをアラビア語化しました。後にそのアラビア語版ギリシャ文献は、スペインを支配した王朝にも伝わり、今度は、その王朝を滅ぼしたキリスト教勢力が、スペインのトレドでアラビア語ギリシャ文献をラテン語翻訳したのです。これがギリシャの再発見、すなわちルネサンスの引き金となったのです。

ヨーロッパ人はついこの間まで(いや今でも)イスラムの近代化できない後進性を笑い、イスラムを敵性認定することを政治動機としてきました。確かに両者が同じ腹(神)から生まれたライバルであることは事実ですが、単なる敵同士ではありません。イスラムがなければ、ヨーロッパ自慢の近代科学でさえ発達しなかった可能性が高いのです。また交易に関しては、アラビア商人の方が長けてもいたのです。

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精神の屋台骨

啓蒙期以来のヨーロッパの合理主義、理性主義、人間中心主義、自由主義、個人主義・・・の流れは、結局、キリスト教離れを進め、ヨーロッパ人の精神を弱らせることになりました。異文明から精神の屋台骨を形成したヨーロッパ文明が抱えた弱点なのかもしれません。

世俗化は見えない神の代わりに見えるおカネを拝む社会を形成し、その帰結として、共産主義的な分配方式がいいのか、新自由主義的な分配方式がいいのか―、二択の悪魔を招来してしまいました。いったい日本はこんな茶番をいつまで続ければ気が済むのでしょう?

日本の精神の屋台骨は何ですか?天皇でしょう。

それは異文明に発祥していますか?自生のものでしょう。

火を見るより明らかなのは、よそから来た流行りの「思想的全体主義」から一刻も早く抜け出すことです。日本人ならそれができます。