【文化の重層性10-3】イルミナティと神秘思想:サンヘドリン乗っ取りとパウロの活躍

ヤコブの双子の兄エサウの末裔エドム人。母とヤコブの計略でエサウは長子相続権を得られず、その後傍流に。イルミナティの中心ヘロデ家はエドム人。恨みを飲んた一族の血筋だ。彼らは当時の支配者ローマ帝国に取り入り、イスラエル自治領の最高意思決定機関サンヘドリン(Sanhedrin)を牛耳る。

イエス一派にずっと批判的で敵対的なファリサイ派(Pharisee、昔はパリサイ人といっていた)はヘロデ政権下で台頭した勢力。新約聖書で “律法学者” といえば、ほぼファリサイ派の悪口をいうときである。

スポンサーリンク


サンヘドリンとセミカ

The House of Herod seems to been involved in a plot to subvert the emerging Christian movement, by altering its doctrines to conform with their own mystery doctrines, featuring the death of and resurrection of a god, known as the Son of God. According to the Gospel of Mark, “Be careful,” Jesus warned them his disciples. “Watch out for the yeast of the Pharisees and that of Herod.”

ヘロデ王家は新興のキリスト教運動を捻じ曲げる計画を持っていたようだ。自分たちの秘儀と一致するよう、神の死と再生(この死と再生の神を「神の子」とした)を強調してキリスト教の教義を書き換えたのである。マルコ福音書のイエスは「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」(マルコ福音書8:15)と使徒に警告している。

The power of the Pharisees was exercise through the Sanhedrin. The Sanhedrin was originally instituted when Moses was commanded as follows:

“…Gather to me seventy men of the elders of Israel, whom you know to be the elders of the people, and officers over them; and bring them to the Tent of Meeting, that they may stand there with you.”

ファリサイ派の権力の源泉はサンヘドリンであった。サンヘドリンはモーセの次の命令に従って作られた最高法機関である。

「イスラエルの長老たちのうち、民の長老となり、つかさとなるべきことを、あなたが知っている者七十人をわたしのもとに集め、会見の幕屋に連れてきて、そこにあなたと共に立たせなさい。」(民数記11:16)

God commanded Moses to “lay hands”, a rite of ordination known as Semicha, on Joshua. It is from this point, according to Rabbinic tradition, that the Sanhedrin began, with seventy elders, headed by Moses, for a total of seventy-one. However, before the second century first century AD, the Sanhedrin lost all significance when a powerful monarch was at the helm.

神はモーセに命じて、ヨシュアの頭に手を置かせた。この(後継者の頭に)手を載せる叙階式をセミカという。ラビの伝統に従えば、モーセを長とする70名の長老、つごう71名で構成されるサンヘドリンが始まったのはこのときからである。AD1、2世紀になるとサンヘドリンの基本理念はすべて失われて王のための組織に堕した。

按手(あんしゅ)による免罪

Interestingly, a second and distinct meaning of Semicha, practiced by the Sanhedrin, is the laying of hands upon an offering of a sacrifice in the times of the Temple in Jerusalem. This involved pressing firmly on the head of the sacrificial animal, thereby symbolically “transmitting” sins onto the animal.

It would seem, therefore, that the Sanhedrin had conspired to kill Jesus as a form of ritual sacrifice, and as atonement for their sins. This is in keeping with Kabbalistic and Mithraic doctrines, perpetuated by the House of Herod, whereby human sacrifice was an act pleasing to their god, and was believed to liberate the devotee from sin, that is, from obedience to God.

エルサレム第一神殿の時代、サンヘドリンが執り行った供犠儀式セミカ。その第二(叙階以外)の意味に注目だ。供犠のセミカでは、動物の頭に手を載せて強く押し、動物に罪を “移す” ことが行われたという。

Mattias Stom, Christ before Caiaphas

ヘロデのサンヘドリンはこの供犠儀礼にならってイエスを殺し、彼らの罪の贖おうとしたのではないか。そうした考え方はヘロデ朝が保持していたカバラおよびミトラの教義に合致する。どういう教義か?人身御供を捧げて神を喜ばせ、帰依者をその犯した罪から解放するというものだ。つまりイエスを殺せば、帰依者はもう神に服従しなくてよい、ということになる。


これが本当なら何とも身勝手な理屈だ。なぜイエスに罪を移せば、残された人間は免罪されるのだろうか?確かに古代から続いてきた犠牲の儀式は神の加護を得るための祈りだったのだろうが、人類学的に考えれば、それは一面の真実しか伝えていない。

供犠の記憶

供犠とは何なのか?何で犠牲を捧げなければならないのか?

ヒントは前回出てきた神の戦車メルカバを駆動していたケルビムにある。ケルビムは「人の顔」、「獅子の顔」、「牛の顔」、「鷲の顔」の4つの顔を持っていた。

また、以下の画像に見られるように、4つの福音書作者も人、獅子、牛、鷲で象徴される。

KellsFol129v4EvangelistSymbols.jpg

このシンボリズムはどこから来たのか。なぜ獅子や鷹、あるいは牛が神聖視されたのだろうか?

おそらく人間の太古の記憶から来る。これらの動物はその昔、神だったのだ。

供犠の根源には人間の恐怖がある。恐いものを神として祀ったのだ。原始の人間にとって最も恐かったのは食物連鎖の頂点に立つ獅子や鷲だった(モンゴル人であれば獅子の代わりに狼を入れたかもしれない)。これらの動物神は腹が減れば、情け容赦なく供犠(生贄)を要求してくる。無力な人間は小動物を捧げるか、人身御供を捧げるかしかなかった。多くの場合、犠牲になるのは子どもだった。無残だが事実である。

恐怖の克服

やがて人間は団結して社会を作り、道具をつくり、作戦を練ってチームで動物に対抗し、徐々に恐怖から解放されていった。牛の家畜化は輝かしい成果だったに違いない。

そうして、だんだん尊敬は集団内の強い人間に向かう。村は町となり、国家となって王という存在が生まれる。部族の長が、王様が、その先祖が神として祀られる。帝国が出現すると、は超国家的な神が必要になる。唯一神の誕生である。

ただどのように対象を変えようとも、その根源は恐怖である。サンヘドリンの心境を推し量るなら、イエス(台頭しつつあったキリスト教会勢力、革新勢力)への恐怖がヘロデやファリサイ派には自分たちの死として意識されたのだろう。そこで濡れ衣でもかまわない、とにかく公式の場で “反動分子” を葬ろうと画策したのである。

磔にかかったのはイエスではなかった?

使徒の末席にいたユダが買収されてイエスを売ったため、イエスは裁判にかかり死刑宣告を受ける。イエスが亡くなった後、ローマ提督ピラトに死体の処理を願い出たのがアリマタヤのヨセフという裕福な人だ。マタイ書には次のような顛末が書かれている。

ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。(マタイ書27:59-60)

翌日、「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」

ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。(マタイ書27:63-66)

この封印をしたとき、すでに死体はなかったのではないかというのがリヴィングストン氏の見立てだ。

By this time, Joseph of Arimathea would have already removed the body, and conspired with the two Marys to spread the message that Jesus had resurrected from the dead.

すでにこのとき(※封印をしたとき)アリマタヤのヨセフは、イエスが復活したと触れ回れるよう二人のマリアと示し合わせていた可能性がある。

However, according the Gospel of Barnabas, it was not Jesus that was crucified, but Judas in his place. This is a tradition preserved as well in the Koran. The Gospel of Barnabas explains, “Those disciples who did not fear God went by night [and] stole the body of Judas and hid it, spreading a report that Jesus was risen again; whence great confusion arose.”

・・・しかし『バルナバ福音書』によれば、十字架にかけられたのはイエスではなくユダであった。コーランにも同様の旨の記述がある。『バルナバ福音書』にはこうある、「神をも恐れぬ使徒らは夜に墓へ行き、ユダの死体を盗み出し隠した。そしてイエスが復活したと触れ回ったので大混乱が起きた」。

Those disciples mentioned in the Gospels as spreading this message were again the two Marys but also Salome. Mary Magdalene is usually identified as the women out of which Jesus exorcised seven demons, or with Mary of Bethany and the woman sinner, who anointed Jesus’ feet. She is also identified with the adulterous woman he saved from stoning by the Pharisees.

But Mary Magdalene came to be identified prostitution, it is because of an esoteric interpretation which regards her as a “sacred prostitute” to officiate at the mysteries, or as consort to the “son of god”, as she is featured in the Gnostic texts.

『バルナバ福音書』に登場する復活を触れ回った使徒らとは二人のマリアとサロメである。マグダラのマリアは通常、イエスが七体の悪霊を取り除いてやった女性とされているが、しばしばイエスに香油を塗ったベタニアのマリア、あるいは同じく香油を塗って罪の赦しを得た「罪の女」と同一視される(※訳注:イエスの喪葬の際、マグダラのマリアが香油を塗ったことからの類推)。また、ファリサイ人に姦淫の罪で石打ちの刑に科されそうになっていたところをイエスに救われた女性とも同一視されることがある。

しかし、マグダラのマリアが娼婦の汚名を着たのは、マグダラのマリアがグノーシス文献に登場し、秘伝として「聖なる娼婦」、「神の子」の慰安婦などと解釈された影響によるものだ。

The purpose of this mission would be that, to the unwitting masses, Jesus would be interpreted as the “Son of God”, and believed to have died and risen again.

To those initiates who could be duped into higher levels, however, they would be instructed of the real meaning of the interpretation, where Jesus was equated as the enemy of their “god”, and believed to have been killed as a form of ritual sacrifice.

This esoteric interpretation came to be known as Gnosticism, and became the basis through which the Western occult tradition subverted Christianty, and secretly inculcated the worship of Lucifer.

秘伝解釈を伝えた目的は、何も知らぬ信徒にイエスを「神の子」と信じさせ、死後復活したと信じさせるためであろう。

秘儀参入者の高い位に入ってくれそうなイニシエートに向かっては、”神” の敵であるイエスを、供犠儀礼によって殺したと信じさせようとした。

このような異端解釈が後にグノーシス主義と呼ばれるようになった。グノーシス主義は西洋オカルト伝統の基本となり、人々を密かにルシファー信仰に導き入れる役割を担った。


ここでリヴィングストーン氏が仄めかしているのは、イルミナティの原形組織による策謀(事実の歪曲もしくはすり替え)だろうが、これだけの記述では強引に感じられる。

グノーシスの意味
グノーシスの形容詞形はgnostic。これが名詞化して「グノーシス主義者」の意味になる。gnosticにはagnosticという反対語がある。agnosticといえば日本では「不可知論者」と訳される。これは致し方ない点なのだが、日本語で見ると「グノーシス主義者」と「不可知論者」のつながりが見えない。
これらの根本の意味は「100%知っていると確信している」か「確信していない」かの差なのである。「オレは神を知っている。100%確信をもって知っている」と主張するような “アブナイ” 人たちをグノーシス主義者と呼ぶのだ。特定の宗派には限定されない思想傾向をいう概念なのである。
これについては別サイトに関連記事を投稿したので参考にしてほしい。
しかし、リヴィングストーン氏は無闇に断定しているのではなく、大きな背景情報をもってこう言っている。それについてはこの記事の終わりに触れたい。

パウロはグノーシス主義者?

The man responsible for the introduction of a Gnostic interpretation into Christianity, though he was otherwise thought to have been its enemy, was Paul. Though usually judged to be separate traditions, the various schools that evolved from Alexandrian mysticism, were all related, and represented branches of the mysteries, in particular, the Mysteries of Mithras.

The alchemical symbolism of Mithraism was found in Hermeticism, said to derive from a supposed ancient Egyptian sage known as Hermes Trismegistus. The interpretation of these mysteries was offered in a school of philosophy known as Neoplatonism, believed to derive originally from Plato. When these ideas were melded to the emerging Christian movement, they produced the heresy of Gnosticism.

当初敵対していたキリスト教に改宗したとされるパウロ。彼こそキリスト教にグノーシス思想を持ち込んだ犯人である。アレクサンドリアで勃興し乱立した神秘思想はそれぞれ独自に発展したようにいわれているが、実際はすべて関連している、それらはすべて秘儀宗教、とくにミトラス秘儀の分派なのである。

伝説のエジプト聖人ヘルメス・トリスメギストスが創始したとされるヘルメス思想には、ミトラ教の錬金術的シンボリズムが見てとれる。神秘的解釈を施したのは、プラトンの弟子筋に当たるとされるネオプラトニズムの思想家たちだ。彼らは台頭しつつあったキリスト教に異端のグノーシス思想を接ぎ木したのである。

ルシファー崇拝

In order to worship evil, it is first necessary to elevate it to the level of a god, a notion which the Gnostics borrowed from the primitive dualism of the pagans.

According to doctrines of Gnosticism, from which the entire Western occult tradition derives its source, the Bible is to be interpreted in reverse. Though he was a lesser god, in the pantheon of pagan gods, God sought to proclaim himself the sole god. Therefore, God, who created the world, is evil.

After having created humanity, he was oppressive in his insistence of rules of morality. Supposedly then, it is the devil, or Lucifer, identified with the dying-god, who “liberated” man by instructing him in the truth: the Kabbalah.

悪魔を崇拝するには、まず悪魔を神のレベルへ引き上げなくてはならない。グノーシス派は異教の原始的善悪二元論を借用した。あらゆる西洋オカルトのネタ元となったグノーシス派の教義は、正統派とは真反対の聖書解釈に基づく。キリスト教の神は、異教の下級神であるにもかかわらず、自分こそは唯一の神であると言い張っている。したがって、この世界を創造したキリスト教の神は悪に他ならない。

この神は人間を創造後、人間に道徳律を守るよう強要した。そこに死と再生の神になぞらえた、ルシファーという悪魔を登場させ、カバラなる真理を伝えて人間を「解放」した。


ここは看過しえない記述である。ルシファー崇拝についてもこの記事の終わりに改めて取り上げたい。

パウロ派とナザレ派の対立

The followers of Jesus had persisted in Jerusalem, where they were known as the Early Church, or Nazarenes, and were headed by James, the “brother of the Lord”. In accordance with the mission of Jesus, according to Matthew, they were strict adherents of the Law.

On the contrary, Paul imposed a mystical interpretation of the religion, whereby Jesus was equated with the dying-god of the mysteries, who was believed to have died for the sins of mankind, and therefore, it was permitted not to follow the ancient Law. Thus, Paul’s Gentile converts were permitted to reject circumcision. It was this matter that brought him into direct conflict with the Early Church of Jerusalem, who attempted to suppress his deviations.

イエスの兄弟ヤコブ率いる初期キリスト教団(ナザレ派)はエルサレムに根を下ろして活動していた。マタイ書によれば、イエスの伝道に見習い、厳格に律法を守っていた。

反対に、パウロはキリスト教を神秘主義的に解釈し、事実上、秘儀宗教の死と再生の神とイエスを同一視した。そしてイエスが人類の罪を背負ってくれたのだから、もう古い律法には従わなくてよいとした。そのため異邦人の改宗者は割礼を免れたが、この割礼免除をめぐり、それをやめさせようとしたナザレ派とパウロは直接対立することになった。

Paul seems to have been part of a conspiracy on the part of the House of Herod, as the keepers of a mystery tradition, in the form of Mithraism, to subvert the emerging Christian movement, by conforming it to their occult doctrines.

Paul was from Tarsus, the capitol city of Cilicia, the very hub of the intrigues that produced the Mithraic religion. In addition, according to Robert Eisenmen, in Paul as a Herodian, there is evidence, in the New Testament, early Church literature, Rabbinic literature, and Josephus, to suggest some connection between Paul and so-called “Herodians.” Eisenmen concludes:

パウロは、ミトラス教を中心とする秘儀伝統を守るヘロデ家の陰謀に一部加担していたと思われる。ヘロデ家の狙いは、台頭しつつあったキリスト教徒の運動を捻じ曲げ、彼らの奉じるオカルト教義の方向へ導くことにあった。

パウロはミトラス教を生んだ策謀の基地だったキルキアの首都タルススの出身である。アメリカの聖書学者ロバート・アイセンマンによれば、パウロがヘロデの一員であった証拠は、新約聖書、初期キリスト教文献、ユダヤ教ラビ文献、フラウィウス・ヨセフスなどに見られるという。アイセンマンの結論はこうだ。

“Though these matters are hardly capable of proof, and we have, in fact, proved nothing, still no other explanations better explain the combination of points we raise. One thing cannot be denied, Paul’s Herodian connections make the manner of his sudden appearances and disappearances, his various miraculous escapes, his early power in Jerusalem, his Roman citizenship, his easy relations with kings and governors, and the venue and terms of his primary missionary activities comprehensible in a manner no other reconstruction even approaches.”

「動かぬ証拠はないが、わたしたちの疑問に答えるには、パウロをヘロドの人間と考えるのが最も合理的である。パウロの神出鬼没ぶり、奇跡のように暗殺を逃れたこと、エルサレムで早い時期から持っていた大きな影響力、ローマ市民権、王や総督とのコネ、大規模かつ長期にわたる布教活動(資金繰り)―、これらはすべて、パウロがヘロデ家とつながりがあればこそ実現したことは否定しようがない事実に思われる。」

According to Eisenmen, Paul’s rejection of the Law is representative of the liberal attitudes of the Herodians to religious law, and their pro-Roman policies. Paul speaks in an unguarded moment in Rom 16:11 of his “kinsman Herodion.” The reference immediately preceding the one to “Herodion” in Rom 16:10, i.e., is to a certain “household of Aristobulus,” being that there were two or three Aristobuluses in the Herodian family, from different lines living at the same time.

アイセンマンによれば、パウロの律法拒絶の態度に、ヘロデ家の宗教法に対するリベラルな態度、親ローマ政策がよく表れているという。パウロア無防備の瞬間に「同族のヘロデオンに、よろしく」(ローマ人への手紙16:11)と書いている。その直前の16:10では「アリストブロの家の人たちに、よろしく」とも言っていて、これはヘロデ家には当時、2、3名のアリストブロがいたからである。

パウロの弟子から生まれたグノーシス派

In addition, the Valentinians, chief among the early Gnostic groups, claimed it have received their doctrines from Theudas, a disciple of Paul. Elaine Pagels points out:

初期グノーシスの主導者ウァレンティヌスは、パウロの弟子テウダから教えを受けたと主張している。エレーヌ・パジェルスは次のように説明している。

“Instead of repudiating Paul as their obstinate opponent, the Naassenes and Valentinians revere him as the one of the apostles who, above all others, was himself a Gnostic initiate. The Valentinians, in particular, allege that their secret tradition offers direct access to Paul’s own teaching of wisdom and gnosis. According to Clement “they say that Valentinus was a hearer of Theudas, and Theudas, in turn, a disciple of Paul.”

「教義に反するとして非難すべきパウロについて、ウァレンティヌス派もナース派も、パウロこそ使徒の中でも傑出したグノーシス者だと称賛しているのだ。とくにウァレンティヌス派は、彼らの秘儀伝統を使えばパウロの知恵とグノーシスに直接アクセスできるとまで言っている。クラマンによると『ウァレンティヌスは、パウロの弟子テウダの熱心な聞き手だった』。」

ナース派(Naassenes)
merriam-websterによれば、naasseneの語源は蛇である。
Late Greek naassēnos, from naas snake, from Hebrew naḥash
グノーシス主義ナース派は、蛇を聖獣として崇拝したとされる。

パウロの功績

As a result of Paul’s mission, Christianity grew among non-Jewish communities, referred to as Gentiles, which became increasingly separated from the teachings of the Nazarenes of Jerusalem until the Nazarene community were treated as a deviant sect.

Then, in response to what were perceived as growing heretical tendencies, the emerging orthodoxy stressed their version of the apostolic tradition, by focusing on the gospels and letters of Paul, whereby Jesus was equated with the dying-god of the mysteries, whose death and resurrection were celebrated every Easter.

パウロの布教の甲斐あってキリスト教は非ユダヤ人(ユダヤから見た異邦人)の間に広まっていった。パウロのキリスト教はエルサレムのナザレ派の教義とどんどん離れていき、しまいにはナザレ派の方が異端視されるようになった。

とはいえ異端の発生は後を絶たなかった。当時、日の出の勢いになったいわゆる正統派教会は、福音書とパウロの手紙を重んじる彼ら自身の使徒伝統を前面に打ち出して、異端派の脅威に対抗した。パウロの教義とは取りも直さず、イエスを死と再生の神と同一視することである。そのため、イエスの死と再生が年に一度イースター(復活祭)として祝われているわけだ。

<記事引用終わり>

世界の支配層はルシファー崇拝者のカルト信者?

イルミナティといえばルシファーだ。

堕天使(fallen angel)ルシファー。その起源はバビロンやアッカドなど相当古い。当初ユダヤ教の伝統には悪魔や天使という発想は存在しなかった。ペルシャのマズダ―教(ゾロアスター教)から採り入れたという説が有力だ。

ルシファーとイルミナティの語源

「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。」(イザヤ書14:12)

Old English Lucifer “Satan,” also “morning star, Venus in the morning sky before sunrise,” also an epithet or name of Diana, from Latin Lucifer “morning star,” noun use of adjective, literally “light-bringing,” from lux (genitive lucis) “light” (from PIE root *leuk- “light, brightness”) + ferre “to carry, bear,” from PIE root *bher- (1) “to carry,” also “to bear children.” Venus in the evening sky was Hesperus.

ルシファーの語源は同じ綴りのラテン語。意味は「光をもたらすもの」。明けの明星と宵の明星に比定され、金星の象徴となった。

別サイトの記事に書いたように、容姿端麗で、位階も最上位に近かった大天使ルシファーは、自分が神になりたくて神が疎ましくなって神に刃向かった。その裏切りは神を大いに怒らせ、天国から永久に追放された。そしてサタンとなったのである。

イルミナティが奉ずるのは、このサタンになったルシファーだ。イルミナティ(というよりユダヤ人一般)の発想はすべて逆立ちしているので、彼らにとってはヤハウェと呼ばれる神こそ悪なのだ。当然、イエスもキリスト教も悪である。

イルミナティの語源はルシファーの光属性を受け継ぐべく “enlightened”、すなわち「光を受けたもの」である。

近代はこの啓蒙(Enlightenment)宣言に始まった。彼らはイルミナティこそ中世暗黒時代の蒙をひらき、新たな時代を支配する選ばれた神だといいたようだ。

イルミナティ思想の概要

リヴィングストーン氏の本の紹介記事に、イルミナティに関するわかりやすい説明があったので紹介しよう。

… Livingstone shows that modern secular culture is really the product of an occult tradition that can be traced back to ancient Babylon through Freemasons, Rosicrucians, Templars, Plato and the Cabalists.

リヴィングストーンが示したいのは、現代社会がオカルト伝統の産物であるという事実だ。オカルト伝統(=ヘロデ家のイルミナティ)は古代バビロンに発し、フリーメイソン、薔薇十字団、十字軍、プラトン主義者、カバラ主義者などに引き継がれてきた、という。

Essentially, this tradition adopted Lucifer as symbol of mankind’s rebellion against God. It enshrined human reason, appetite and will as the ultimate standard of goodness and truth.

It usually defined freedom in terms of destroying the moral and social order. Freedom means dissipation not uplift and empowerment. The occult’s real aim is to empower the elite.

このオカルト者らにとってルシファーは人類による神への反逆の象徴だ。彼らが神の代わりに善と真実の究極的な基準に設定したのは、人間の理性、欲望、意志である。

彼らが定義する自由とは道徳と社会秩序の破壊のことだ。自由は霊的・社会的向上ではなく放縦を意味する。自由を推進する真の目的は彼らエリートへの全的権限移譲である。

 Livingstone, who is not “religious” explains: “The basic principle of most religions is to behave unto others as we wish to be treated….a principle of justice…[In contrast] the occultist…is lured by his vanity to seek a type of knowledge that sets him apart from others, maintaining that it is the preserve of the elite.”

自分は宗教的な人間ではないとしながらもリヴィングはいう、「自分がされたいように他者にも為せというのが大方の宗教の基本原則のはず。正義の鉄則だ。ところがオカルト信仰者は虚栄心のかたまり。エリートの特権だといって他者が知らない知識を追い求め、その情報を通じて自分たちの権益を守っている」。

Livingstone shows how this occult dogma was secretly adopted by key elites throughout history and was behind the English (1649), American (1776), French (1789) and Russian Revolutions (1917), three of which involved regicide.

歴史的に重要なイルミナティ・エリートが秘密裏に信ずるイカれたドグマは何か?王殺しである。ピューリタン革命(1649年)、アメリカ独立革命(1776年)、フランス革命(1789年)、ロシア革命(1917年)―この4つのうち3つで王は無残に処刑されている。

世俗主義による伝統宗教の破壊

Secularism is as much a religion as Christianity. The “separation of church and state” is a stratagem to enshrine Lucifer as the god of the modern world. Masonic secularism’s goal is to destroy genuine religions like Christianity and Islam.

世俗化はキリスト教と同じ程度に宗教である。「政教分離」は、ルシファーを現代世界の主神に祀り上げるための策略だ。フリーメイソンの世俗主義はキリスト教やイスラム教など本物の宗教を破壊することを目指している。

Secular people can be moral when they follow their conscience, which is God’s voice. But they are more likely to stray if they don’t believe that the good is part of a real moral order.

世俗人は良心(神の声)に従えば道徳的になれる。もし真の道徳律に善が含まれないとなれば、彼らの心は迷うだろう。

Reason divorced from an absolute morality (God) can be used to justify anything, including mayhem and tyranny. The goal of the new world order is to divert humanity from God’s Plan and enslave us to a vicious Satanic elite.

絶対的な道徳(神)と切り離された理性は、暴力でも独裁でも何でも正当化できる。新世界秩序の目標は、人類を神の計画から逸脱させ、サタンの選良たちの奴隷にすることにあるようだ。

Read what Svali, an Illuminati defector wrote about the Illuminati, a superwealthy group of Luciferians who plan a world police state:

超リッチな元ルシフェリアン(ルシファー崇拝者)にしてイルミナティ脱退者のスヴァリの述懐を聞こう。彼はその昔、世界警察国家化の計画に携わっていたらしい。

“The Illuminati is a group that practices a form of faith known as “enlightenment”. It is Luciferian, and they teach their followers that their roots go back to the ancient mystery religions of Babylon, Egypt, and Celtic druidism. They have taken what they consider the “best” of each, the foundational practices, and joined them together into a strongly occult discipline. Many groups at the local level worship ancient deities such as “El”, “Baal”, and “Ashtarte”, as well as “Isis and Osiris” and “Set”…. I do know that these people teach and practice evil.”

「イルミナティは “啓蒙” 信仰を実践するルシフェリアン(ルシファー崇拝者)の組織です。同志教育の教えによれば、イルミナティの起源はバビロン、エジプト、ケルトのドルイド祭祀など古代の秘儀宗教に遡るといいます。彼ら曰く、イルミナティは古代秘儀のいいとこどりなのです。その後、独自の儀礼を開発し、オカルト要素の強い教義にまとめあげた。各支部ではエル、バール、アシュタルテ、イシス、オシリス、セトなどを拝んでいますが・・・、悪を教え、実践するのをわたしはこの目で見ました」。

Historians are paid to suppress this truth.

歴史家はこうした真実を隠蔽することで生計を立てているのだ。

<記事引用終わり>

神になりたい悪魔崇拝者たち

近代の黎明期に流行った啓蒙主義運動。啓蒙とは闇を照らす光、光とは人間理性を通じた(神を通じたではない)知識の獲得を意味する。ルシファーの光にあやかっているのである。

啓蒙運動を端緒に定着してきた思想は、王家の廃絶、四民平等、自由の拡大、欲望の充足、民主主義、組織宗教への軽蔑など・・・すべて現代で当たり前になっている思想ばかりだ。恐ろしいことに一世を風靡した共産主義など、これらをさらに徹底したかたちでドグマ化していた。共産主義が滅びて自由世界が勝ったといっても基本は同じである。

こういう発想の悪魔崇拝者が権力の中枢を握り、世界征服を目論んでいる。人間を奴隷化している、というのが陰謀論者の大筋の結論になる。しかし、人間世界はひとつの組織がすべて思い通りにできるほど単純ではないだろう。

かといって、政治や経済の場ですべてが “自然に” 起きているとも思えない。むしろブログ主には支配に見えるのは単なる副産物であって、彼らの主要目的は彼ら自身が神になることにあるという気がする。彼らはグノーシス主義者なのだ。「オレは100%真実を知っている」と確信したい人たち、神しか知らない真理を知って独り占めにしたい人たちなのである。

だから神に取って代わろうとして神に反逆したルシファーに共感するのではないか。