【倫理】フレディ・マーキュリーが受け継いだパールシーの精神遺産
ブログ主が人生で初めて買ったレコードは『ボヘミアン・ラプソディ』。シングル盤です。
ラジオで “ママ~、ジャスタ、キルダマ~ン” と耳にした瞬間、電撃が走りました。翌日だったと思います。友だちに軟弱扱いされながら(当時クイーンはベイ・シティ・ローラーズと並ぶアイドルでした)、レコード屋へ向かったのを覚えています。
パールシーという生き方
フレディ・マーキュリーはパールシー(Parsi)の両親の下、アフリカのザンジバルで生まれました。
パールシーとはペルシャを侵略したイスラム教徒の迫害を逃れ、インド北西部のグジャラート州(Gujarat)に移住したゾロアスター教徒のことです。少数派でありながら、タタ財閥や政治家を通じてインド経済の重鎮になっています。
いまにして思えば、フレディの生き方はさりげなくパールシーであり、彼の歌う世界ははるか古代イランのコスモロジーに通じていると感じます。
砂糖か、黄金か
パールシーの生き方とはどんなものなのでしょうか?それを象徴的に示す逸話が、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を扱った記事の一部に紹介されています。
Like sugar in milk
The “Qissa e Sanjan” which translates to “The Story of Sanjan,” was composed around the 17th century. It describes how the Zoroastrians, fleeing religious persecution from Muslim invasions in their Persian homeland many centuries earlier, head to Gujarat, in western India.Once they arrive, they reach out to the local king, whom they call “Jadi Rana.” He agrees to give them land if they adopt local dress, language and some customs. However there is never any question about religious faith: They still practice their religion, and Jadi Rana is elated that these newcomers worship as they please.
ミルクに砂糖を入れるように
サンジャンの物語(“Qissa e Sanjan”)は17世紀頃に書かれたパールシーのインド移住の顛末だ。クジャラートに着いたゾロアスター教徒たちはさっそく現地の王ジャディ・ラナに謁見した。王は、当地の服装、言語、一部の習俗を受け入れれば土地を与えると約束したが、信仰については何も注文しなかった。むしろゾロアスター教徒が信仰を守っていると聞いて喜んだくらいである。
Parsi history has two versions of what took place.
In one, when the Zoroastrian refugees arrived in Gujarat, the king sends them a jar of milk filled to the top – his way of saying that his kingdom is full and there’s no room for any more people. In response, the newcomers stir in a spoonful of sugar and send it back to the king. In other words, not only do they promise to integrate with the local population, but that they’ll also enhance it with their presence.
In the other version, they drop a gold ring into the bowl to show they’ll retain their identity and culture, but they’ll nonetheless add immense value to the region.
パールシーにはこの経緯について2通りの逸話を伝えている。
ひとつは港に到着したゾロアスター難民たちに王が満杯のミルクボウルを送ったというもの。王国はもう人であふれ、これ以上新しい住民を受け入れる余地はないという意思表示だ。これに対して難民たちはスプーン一杯の砂糖をボウルに入れてかき混ぜ、王に送り返した。この土地に溶け込むのはむろんのこと、クジャラートをさらに豊かにしてみせましょう、というのである。
別バージョンはこうだ。ミルクボウルを受け取ると、ゾロアスター教徒は金の指輪を底に沈めた。我々はアイデンティティと文化を守り続けますが、その代りこの土地の価値を増やして栄えさせます、というメッセージである。
These are both compelling narratives, though they make slightly different points. One extols the integration of immigrants, while the other highlights the value of different cultures living together but in harmony.
どちらも人の心をつかむよくできたエピソードだが、微妙に力点が異なる。後者は移民の団結力を称揚するが、前者はむしろ異文化の平和的共存がもたらす価値を強調している。
Parsis in India – and wherever they have gone – have done both. They’ve adopted some of the customs of the land they live in, while maintaining their distinctive culture, religious rituals, and beliefs.
They’ve also made more cultural contributions than the initial wave of refugees to Gujarat could have ever imagined.(中略)
インドのパールシーは、クジャラートに限らずどこへ行っても、この2つを体現してきた。移り住んだ土地の風習で取り入れられる部分は取り入れつつ、自分たち自身の文化、祭祀、信仰を守り続けたのだ。
最初にグジャラートに定住した世代には想像もつかないほど多大な文化貢献も果てしてきたのである。(中略)
Like his ancestors, Freddie Mercury integrated into a new culture. He changed his name, and became a Western pop icon. Yet through it all, he remained immensely proud of his heritage.
フレディ・マーキュリーもまた先祖と同じく新しい文化に溶け込んだ。名前を変え、西洋世界のポップスターになった。でも、自分の受け継いだ精神的遺産への誇りは片時も失うことがなかった。
同化の努力とさりげない提示
パールシーは現地に溶け込み、自分の素地を表さない ―。いったんインドに事あらば身を投げ出して守る―。インドにはユダヤ人コミュニティもあるのですが、パールシーとは違って、そこまでインドに尽くすことはなかったそうです。
フレディは自分の歌詞を「解説」しませんでした。イギリスに溶け込み、自分のルーツについてあれこれ詮索されたくなかったのかもしれません。
それでも、どこかに「自分の受け継いだ精神的遺産への誇り」があらわれているはず―。
そうブログ主が気づいたのは、このブログを始めてからです。古代のイランのこと、特にゾロアスター教という古い宗教について勉強していて、クイーン初期のフレディが歌っていた妖精や、フレディと妹がつくったという空想の王国ライ(Rhye)について、西洋的文脈だけでは十分に理解できないと感じ始めたのです。
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