【文化の重層性08】 ハイネの警鐘:思想革命の恐ろしい帰結

2018-05-24宗教, 文明文化の話, 歴史

今回は文化の第三層(在来宗教、基層信仰の世界)に関わる話をしよう。

19世紀、自由進歩思想華やかなりし頃、誰よりも早く祖国ドイツの危険な兆候を察知していたのが、ユダヤ系詩人ハインリヒ・ハイネ(Heinrich Heine)だった。

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亡命者の警告の書

ハイネはユダヤ教からプロテスタントに改宗して、どちらの教徒からも批判にさらされて身の置き場を失い、パリへ逃れた。逃亡先のパリでフランス人向けに警鐘を鳴らした散文作品が今回紹介する『流刑の神々』(英題 “Gods in Exile”)だ。

ここでハイネはフランス人とドイツ人の思考の違いを見事に浮き彫りにしながら、ドイツで起ころうとしている破局的事態について警告している。文章は平易で、ヨーロッパについて深く理解するうえでおススメの本だが、残念ながら岩波文庫から出ていた翻訳本は絶版になっている。

今回は『流刑の神々』を紹介している記事から引用しよう。

独仏で異なる思想の系譜

Throughout the book he makes a comparison between the two great European revolutions: The French and the German. Surprisingly – and this was the greatest lesson for me, an eye opener really – he argued that the greatest revolution was not the French but the German; and that the catastrophic emanations of the latter are still in the making.

The French people killed the king and abolished the ancien regime, he said; the Germans, however, killed God and abolished the heavens. As Heine wrote, “You French are tame and moderate in comparison with us Germans. The most you did was to behead a king, but this king had already lost his head before you cut it off”

本書全体を通じて、ハイネは、フランスとドイツで起きた2つの偉大な革命を比較考察している。ハイネによれば、驚くべきことに(この指摘には本当に目が開かれたのだが)、最大の革命はフランスで起きたのではなく、これからドイツで起こるというのである。ドイツで破局的な事態が準備されつつある、と。

フランス人は王を殺し、絶対王政を斃したかもしれない。でもドイツ人は神を殺し、天国を廃絶したのだ。ハイネ自身のことばを借りれば、「フランス人はドイツ人に比べればおとなしく穏やかなものだ。諸君らはせいぜい王を斬っただけだ。でも諸君が斬るまでもなく、王にはすでに頭などなかった」。


ハイネによれば、フランス人とドイツ人には明瞭な考え方の違いがある。ハイネの別の散文作品『ドイツ古典哲学の本質 』を無料で読める以下のサイトから引用しよう(読みやすさを考え適宜ひらがなを漢字に直した)。

ひとくちに宗教改革といっても・・・

その動機はフランスとドイツとではまったくちがっているし、正反対でさえもあるのだ。ドイツでのカトリック教会との闘争はまったく唯心論、つまり魂を敬う意向からはじまった。自分はただ支配者という名目だけをもらって、おもてむき支配しているだけだが、感覚主義つまり肉がむかしから権力を横領して事実上、支配しているということを魂が見やぶったときに、この闘争をはじめたのだ。――だから免罪符の行商人は追放されたし、僧侶のかこっていたかわいらしいおめかけはおちついた正妻ととりかえられたし、肉欲をそそるマドンナの像はうちこわされた。肉欲にきわめてはげしく敵対する清教徒があちこちにあらわれた。

ところが一七・八世紀のフランスでのカトリック教との闘争はこれとは反対に、感覚主義、つまり肉を重んずる意向からはじまった。なるほど自分は事実上、支配者ではあるけれども、自分が支配者としてすることなすことが、おもてむき支配者だといばっている唯心論から不法だとけちをつけられ、きわめて手いたくはずかしめられているのを肉がさとったとき、この闘争をはじめたのだ。それゆえにフランスでは、ドイツでのように操正しい真面目な態度では戦わないで、いかがわしいふざけた態度で戦った。

これは哲学用語でいえば、ドイツの唯心論(Spiritualism)に対するフランスの感覚主義(Sensualism)ということになる。前者は肉欲に打ち勝ち、魂を立派にすることを目指すような傾向、後者は魂に横領された肉欲が本来もっているはずの、自然の権利を回復しようとする傾向だ。

系譜的にいえば、これがヨーロッパ思想史の二大潮流であり、その共通の根っこに第三層が育んだ汎神論の世界観がある。

  • 観念論(Idealism)の系譜:古代のプラトンを起点にライプニッツ(モナド論)を経てドイツで花開く。
  • 唯物論(Materialism)の系譜:古代のアリストテレスを起点にジョン・ロックを経てフランスで花開く。
  • 汎神論(Pantheism):両者に通底する、基層信仰由来の世界観。キリスト教により徹底的に抑圧され封殺されたが、しぶとく生き残った。スピノザやゲーテに代表される。

合理主義による神の超克

In contrast with the Materialist Marx – who was sure that the Germans will not advocate a revolution – Heine emphasized that the Germans are the greatest revolutionaries of all peoples.

Martin Luther penned the death of the Catholic Church. This most German of the Germans, he said, set into the world the idea of freedom of thought; and he praised critique of tradition. These themes developed into German philosophy.

Mendelssohn, the Jewish enlightened philosopher, went on to kill the Talmud. And in a developmental series of blows the Protestant revolution kept hitting tradition, including its own belief in God. After Luther came Immanuel Kant, the executioner of thought, the philosopher who blew God away. “Do you hear the bell ringing? Kneel down – Sacraments are being brought to a dying God”.

唯物論者のマルクスはドイツ人が革命を唱導することはないと確信していた。対照的に、ハイネはドイツ人こそ人類最大の革命家であると強調した。

マルティン・ルターはカトリック教会の死を創作した。この最もドイツ人らしいドイツ人は、思考の自由というアイデアを世界に投げかけ、伝統の批判を称揚した。ここからドイツの近代哲学が育った。

ユダヤ人啓蒙哲学者メンデルスゾーンはタルムードを殺害すると、プロテスタント革命は破壊力を強め、とうとう自分たちの神への信仰自体を疑いはじめた。ルターの後には宗教の死刑執行人イマヌエル・カントがやって来て、神を打ちのめした。 「鐘の鳴るのが聞こえるか?膝まずけ、死にゆく神に引導が渡されようとしている」。

Kant was the killer of God, said Heine. His Critique of Pure Reason was “the sword with which deism was executed in Germany”(中略)

In proving that the existence of God cannot be substantiated by rational means; and by positioning rationality at the center of the world – Kant took Luther’s logic to the hilt and negated the heavens. Heine believed that this Kantian imperative – an idea set loose in the world – is bound to lead the Germans back to their worst proclivities.

カントは神の殺し屋だった、とハイネはいう。カントの『純粋主義理性批判』こそ「ドイツの理神論にまでも振り下ろされた剣」だというのだ。(中略)

カントは、神の存在は合理的手段によっては立証しえないとし。人間理性を世界の中心に据えた。そしてルターの論理を極限まで押し進め、天国の存在を否定した。このカントが世界に解き放った定言命法はドイツ人の最悪の民族的傾向を呼び覚ますことになる、とハイネは確信していた。

to the hilt
「徹底的に」、「とことん」などを意味する。

Rome and Christianity ruled the German heart for more than thousand years. But the inner, primordial ties to the German tribal pantheon was kept silently dormant, if yet alive. Christianity turned the ancient German mythological gods into devils and witches. It kept the inner violence of those warring gods under a moral control.

But once Kant beheaded God – those devils and witches were set loose again. And for Heine, this idealistic return backwards to a “nature philosophy”, to the land, is bound to lead the Germans and the world into an unprecedented catastrophe. The ideas were set, and their inner logic is bound to work in real life.

ローマとキリスト教は1000年以上にわたりドイツの心を支配した。しかし、ゲルマン民族のパンテオンへの内的・原初的つながりは死なず、静寂の中で休眠していた。キリスト教はゲルマン古代神話の神々を悪魔と魔女に変えた。戦闘神たちの内部に巣食う暴力を道徳の支配下に置いた。

しかしカントが神の首を斬ったとき、悪魔と魔女が解き放たれる。この「自然哲学」への、大地への理想的な回帰こそ、ハイネには、ドイツと世界をして過去に例のない破局をもたらさざるをえないものに見えた。思想はひとたびセットされてしまえば、内部論理の働きによって実世界に反映される定めだからだ。

<記事引用終わり>


宗教改革以後、ヨーロッパには啓蒙思想とロマン主義が興隆する。前者は “神を殺した” 合理主義的世界観をさらに前進させようとしたのに対し、後者はカトリック教会に廃墟や森林の闇へ追いやられた古層の神々(悪魔、魔女、妖精、精霊など)にインスピレーションを得て新たな世界像を作り上げようとする運動だった。

ハイネは先ほども引用した『ドイツ古典哲学の本質 』でこういっている。

こうしたものすごいことが起ったのは、直接にキリスト教会のせいではなくて、間接にキリスト教会の陰謀のせいなのである。つまりキリスト教会は古代ゲルマン民族の宗教をいじわるくねじまげてしまい、あまねく神の力がいきわたっているというドイツ人の世界観をあまねく悪魔の力がいきわたっているという世界観にまでつくりかえてしまい、ドイツ人が昔から尊んでいたものをいやらしい悪魔の仕わざだとしてしまったのである。

けれども人間は、祖先や自分が大切にしていたものを見すてようとはしない。たとえそうしたものがこわされたり、ゆがめられたりしても、やはり人間の感情はそうしたものにこっそり、しがみつこうとする。それゆえに、あのねじまげられた民間信仰はドイツではキリスト教よりももっとながく持ちこたえることだろう。キリスト教はあの民間信仰のようにドイツ人の民族性に根をはってはいないのだから。宗教改革の時代に、カトリック教の宗教伝説はすぐさま信じられなくなった。けれども魔法や魔女はあいかわらず信じられていたのだ。

ルターはカトリック教の奇蹟は信じていないが、やはりまだ妖精の存在は信じている。

思想の恐ろしい力

西洋文化の恐ろしいドラマのあらましが何となくご理解いただけたろうか?

ざっくりいって西洋文化の歴史は「キリスト教とゲルマン基層信仰のせめぎ合い」である。フランスとドイツの思想傾向の違いは、ゲルマン民族の基層文化(本音)が別の現れ方をしているにすぎない。

中世の1000年間は、ギリシャ・ローマのヘレニズム要素を吸収したカトリック教会が、”野蛮” なゲルマン諸族を手なずけ馴致していく過程だった。しかし、いくらカトリック教会が魂の地位を引き上げ肉欲を弾圧しても、基層信仰(汎神論的世界観)がどうしても消せないように、人間の生命としての活力は奪えない。

この矛盾は宗教改革として噴出する。ポスト宗教改革のヨーロッパ人はカトリック教会を “卒業” し、神よりも人間を重視し始める。唯物論的にいくか、観念論的にいくかは好みの差であり、基本はロゴス(合理主義・自由主義)一本で行くということである。

言い換えれば、第一層(キリスト教→ロゴス思想)と第三層(基層の民族感情)がスパークし、ハイネのいうドイツでの人類最大の思想革命を引き起こしたわけだ。その爆発力はすさまじく、瞬く間に地球を支配することになった。

重層性の矛盾

しかし、ロゴス一本槍はいい面ばかりではない。悪い方へ転べば、とんでもない災厄が待っている。ゲルマン人はあくまでゲルマン人であって、ローマ人でもユダヤ人でもない。ゲルマン民族の奥底に眠る “古き神々” (第三層の基層信仰)が、ロゴスに復讐するのである。”合理化された怨念” ほど制御不能な魔物はないのである。

この魔物をナチスと呼ぶ。もちろんルターやカントやヘーゲルがジェノサイドを提唱していたわけではない。そうではなく、彼らのロゴス主義が、神というつっかえ棒を取っ払ってしまったことで、人間に一種の全能感が生まれてしまったのだ。ヒトラーはゲルマン代表として神の代理を行う “使命” に目覚めたのである。

神が外れた世界の思想(イデオロギー)の力は、それくらい恐ろしい。戦後ドイツ人がいくら反省してもこの重層性が孕んだ矛盾は解消されることがない。悲劇はドイツ人だけのものではない。いまや世界中がドイツの思想革命後の時代を生きているのだから。

たとえば、みなさんが日々ご覧になっているテレビ、新聞、雑誌、ネット記事では、カントの理性主義とマルクスの唯物史観の亡霊が、ネオリベラリズムという混濁した思想となって何の疑いもなく日々流出しつづけている。

ハイネの警告は今現在もそっくりそのまま当てはまる。基層信仰を抑圧し、神を否定すれば、人間はもはやたよるものが自分しかない。あのキリスト教が繰り返し弱き者、罪深き者とした人間しか頼れない。

その意味で引用記事の最後の一文、”The ideas were set, and their inner logic is bound to work in real life.” は重要だろう。気をつけないと、神なき世界で人間の頭に浮かんだ思想は、思想そのものの理路に沿って、思いついた当人の思いも寄らぬかたちで “現実化” してしまうのである。

 

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