【文化の重層性04】知恵の女神ソフィアと父権社会の確立

(キャッチ:ゲーム「Assassin’s Creed Origins」のアレクサンドリア灯台イメージ画像)

ミュトス、ロゴスと来て忘れてならないのがソフィア(sophia)だ。英語にすればwisdom。ギリシャ哲学というときの哲学=フィロソフィーは、philosophy(philo愛+sophy知恵)から来ているのは有名な話だろう。

でもphilology(philo愛+logosことば)という学問はどうだろう?ほぼ無名だ。文献学と訳されているが、あのニーチェの本職である。古文書に当たって、ことばの素性を確かめる地味な学問とはいえ、現状のロゴスの特権的地位を考えればもう少し脚光を浴びてもよさそうではないか。そうなっていないのは、おそらくソフィアとロゴスの担う歴史の深さの違いに由来している。ソフィアはロゴスなど比べようもないくらい古い概念なのだ。

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流転する知恵の神

ソフィアはギリシャの概念だ。ソフィアがヘブライズムの知恵(ヘブライ語でchokmah、ホクマー)と出会ったとき、ロゴスが絡んでくることになったのだ。

知恵文学

最初ホクマーは神ではなく、神を助けるエージェントのような概念だ。預言者(prophet)や聖者(sage)は、人生や生活の諸問題に対する解答を詩、格言、箴言などに託してきたが、この解答の集成がホクマーの実体である。それは一般には、知恵文学(wisdom literature)と呼ばれる。旧約聖書のうち、ヨブ記(Job)、箴言(Proverbs)、伝道の書(Book of Ecclesiastes)、詩篇(Psalm)の一部、ならびに外典のベン・シラの知恵(Wisdom of Ben Sila)とソロモンの知恵(Wisdom of Solomon)が知恵文学に分類される。

説明文中、とくに重要と思われる箇所を引用する。

知恵文学には,特にイスラエル的な信仰を特徴づける主題である排他的な唯一神の信仰,歴史の中に神の行為を実現する救済史観,イスラエルの選び,啓示,契約などが見られない。その関心はイスラエル民族よりも人間一般,救済観よりも創造観にある。これらの特徴は,メソポタミア,エジプト等の古代近東の知恵文学と内容・形式ともに共通(する)。

ここからわかるのは、知恵文学がトーラーなどの律法書より年代が古く、唯一神教を生む重大な契機となる救済思想はまだなかった、ということだ。当時の社会は部族が基本。神々もまた部族に密着している。人々は先祖を敬い、先祖から引き継いだ伝統を守ることを使命と考えていた。そこに個人を主体とする救済(salvation)という発想はなかったのである。別の記事にも書いたように、ヘブライ人はペルシャ人との接触のなかで救済思想に染まっていったのではないか。

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天地創造の随伴者

ヘブライ人のヤハウェがまだ国津神だった時代、知恵は創造主の天地創造に立ち会う特別な存在とされていた。それは箴言(Proverbs)の以下のくだりに明らかだ(日本語対訳は、現代語訳より格調の高い文語訳を載せることにした)。

08:22 “The Lord possessed me in the beginning of His way, before His works of old.
23 I was set up from everlasting, from the beginning, before there was ever an earth.
24 When there were no depths, I was brought forth, when there were no fountains abounding with water.
25 Before the mountains were settled, before the hills I was brought forth;
26 while as yet He had not made the earth or the fields, or the first dust of the world.
27 When He prepared the heavens, I was there, when He drew a circle on the face of the deep,
28 when He established the clouds above, when He strengthened the fountains of the deep,
29 when He gave to the sea His decree, that the waters should not pass His commandment, when He appointed the foundations of the earth,
30 then I was by Him, as one brought up with Him; and I was daily His delight, rejoicing always before Him,
31 rejoicing in the habitable part of His earth, and my delights were with the sons of men.
32 “Now therefore listen to me, O you children, for blessed are those who keep my ways.
33 Hear instruction, and be wise, and do not refuse it.
34 Blessed is the man who hears me, watching daily at my gates, waiting at the posts of my doors.
35 For whoever finds me finds life, and will obtain favor of the Lord;
36 but he who sins against me wrongs his own soul; all those who hate me love death.”

08:22ヱホバいにしへ其(その)御(み)わざをなしそめたまへる前(さき)に その道みちの始はじめとして我をつくりたまひき
23永遠より元始(はじめ)より地の有ざりし前より我は立たてられ
24いまだ海洋(うみ)あらず いまだ大いなるみづの泉あらざりしとき我すでに生まれ
25山やまいまださだめられず 陵(をか)いまだ有ざりし前に我すでに生まれたり
26即ち神いまだ地をも野をも地の塵の根元(もと)をも造り給はざりし時なり
27かれ天をつくり海の面に穹蒼(おほぞら)を張りたまひしとき我かしこに在りき
28彼うへに雲氣(そら)をかたく定め 淵(わだ)の泉をつよくならしめ
29海にその限界(かぎり)をたて 水をしてその岸を踰(こ)えざらしめ また地の基(もとゐ)を定めたまへるとき
30我はその傍にありて創造者(つくりて)となり 日々に欣び恒にその前(まへ)に樂しみ
31その地にて樂しみ又世の人を喜べり
32されば小子等(こどもら)よ いま我にきけ わが道をまもる者は福(さいはひ)なり
33敎をききて智慧をえよ 之を棄つることなかれ
34凡(おほよ)そ我にきき 日々わが門の傍にまち わが戸口の柱のわきにたつ人は福なり
35そは我を得る者は生命(いのち)をえ ヱホバより恩寵(めぐみ)を獲ればなり
36我を失ふものは自己(おのれ)の生命(いのち)を害ふ すべて我を惡(にく)むものは死を愛するなり

知恵が天地創造の現場に立ち会い、創造主とともに喜ぶ特権的なエージェントとして描かれているのがわかるだろう。

アシェラトとイシス

一神教化する前のヘブライ社会には、外部から様々な神々が入り込み、ヤハウェの人気を凌駕していた。次のサイトの記述に沿って事の次第を見ていこう。

The Transformations of Sophia

Ancient Israel, as the prophets proclaimed to their horror, was very far from pure monotheism. Alongside the national god, YHWH, both kings and common people continued to worship other deities, especially Baal and his consort, Asherah.

ヤハウェがまだ国津神に過ぎなかった時代、王も民もカナン人の神だったバールとその配偶者アシェラトになびいていたと。アシェラトは生命の木(Tree o Life)と関連づけられ、枝を落とした常緑樹を依り代として祀られていた。いくら拝むのをやめるよう促されても数百年の間、エルサレム神殿の拝み台に彼女の依り代が立っていたという。

Since the attractions of Asherah’s cult could not be denied, the sages of Israel decided to fight a goddess with a goddess, introducing the figure of Hokmah or Sophia in their teaching as a counterweight to the pagan deity.

エルサレムの聖職者たちは、ホクマーを神として打ち建て、一向に人気の衰えない異教の神アシェラトに対抗させることを思いつく。

At a later period, Sophia had to compete with a goddess more powerful than Asherah—the Egyptian Isis, whose worship spread rapidly in the hellenistic period until she became a universal saviour goddess. Isis was lady of the heavens and of the sea, ruler and lawgiver, author of language and writing, agriculture, and all civilised arts, as well as a goddess of marriage and childbearing. Although worshipped in public rites, she also taught sacred mysteries to her initiates and promised them a blessed immortality. To counteract the appeal of this popular goddess, who might win the hearts of syncretistic diaspora Jews, the sages of Israel elaborated their portrait of Sophia by introducing many features of Isis. And for the first time they, too, began to speak of immortality as God’s gift to the righteous.

しかしその後、エジプトの強烈な女神イシス(エジプト名はアセト、Aset)の秘儀崇拝がヘレニズム世界に熱病のように広まってしまう。当時、ヘブライ人は王国を追われ、東地中海世界に広く離散していた。イシスはカリスマ性の高い女神だったので聖職者たちは困り果て、ホクマーにイシスの属性を採り入れる。そして、ついにはイシス密儀の最大のアピールだった「不死の約束」をヤハウェ崇拝に持ち込む。正しき神を拝む者には神の祝福があり、不死が約束される、と。

これは大事なポイントだ。一神教崇拝の成立過程には偉大なる女神たちへの対抗があったのである。ホクマー(ソフィア)が女神に設定されたのには、アシェラトやイシスのカウンターパートとして構想されたからだ。その意味では女権社会の伝統に則っていたのだが、女権社会の残影を振り払い、父権社会を築こうとする人類の集合無意識的な流れには反していた。

男性原理への移行過程

母権社会では血縁がすべてだから家族を基本単位とし、部族がそのまま国となる。神は血縁の抽象化であり、先祖崇拝がベースになっている。この母権社会のくびきを逃れるためには、必ずしも血縁を構成原理として必要としない男社会を築くしかない。そこでは男性結社の盟約や団結が重んじられ、法や理が前面に出て、家族より個人主義がベースとなる。

実は、後にキリスト教がゲルマン人の改宗に乗り出したとき大きな障害となったのは、天国・地獄観念だった。キリスト教の神を信じない者は天国へ行かれないと言われて、「じゃあ、オレたちの先祖は地獄へ墜ちるのか」とゲルマン人に反問された宣教師は答えに窮した。これは日本にザビエルが布教に来たときも同じだった。ご先祖様が苦しむのに自分だけ天国へは行けないという者が多かったという。

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その後イエスが生まれ、十字架と復活で救済が “現実” として顕れると、母権社会vs父権社会のせめぎ合いは、初期キリスト教の思想家たちに引き継がれる。そこで最も重要な役割を演じたのがアレクサンドリアのフィロン(Philo of Alexandria)である。

フィロンの離れ業

フィロンは、パウロの同時代人でプラトン思想に傾倒する、熱心な旧約聖書の読み手だった。

To Philo, Sophia was the Jewish expression of what Platonists called the divine Mind or nous, containing the exemplars of all created beings. He made her the daughter of God, the mother of all virtues, and the mystical bride of patriarchs, prophets, and sages. Unfortunately, being an unabashed misogynist, Philo made no secret of the fact that he thought the female gender beneath the dignity of divine Wisdom. He solved this problem partly by declaring that, despite her apparent femininity, Sophia was in truth “masculine and a father,” and partly by replacing her whenever possible with a male hypostasis borrowed from Stoic thought—the divine Word or Reason, called the Logos.

ここは全文を訳出しよう。

「フィロンは、プラトンが全被造物の見本を含むヌースと見なした聖なる精神の、ユダヤ教的表出がソフィアであるとした。ソフィアは神の娘であり、徳の母であり、家父長・預言者・聖者の超自然的な配偶者であった。ところがフィロンは誰はばかることのない女嫌いだったので、女性性は神の知恵の威厳に劣ると下位に位置づけた。ソフィアの明らかな女性性を承知の上で、ソフィアの本性を「男性、父」と強弁したのである。さらにはストア派の男性神格ロゴスを援用し、ソフィアはロゴス(聖なることば・聖なる理性)であると規定した。」

フィロンにおいてギリシャ思想(ロゴス)は知恵(ソフィア)と結合されたのである。その影響下に、前回フィーチャーしたヨハネ書のロゴス賛歌が書かれる。

以下は前回は割愛した第1章14節だが、ここではロゴスが受肉し、人の間に住まうといっている。ロゴスは受肉するが、ソフィアは受肉しない。ソフィアはイエス(ロゴス)に含まれてあり、女性神格はキリスト教空間では存在を許されないのである。

01:14 The Word became flesh and made his dwelling among us. We have seen his glory, the glory of the one and only Son, who came from the Father, full of grace and truth.

01:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

パウロによるイエス観の確立

こうしてイエスは、ロゴスであると同時にソフィアであり、神の子であるという図式が成立する。仕上げをしたのは使徒パウロ(Saint Paul)である。そのことはコリント人への第一の手紙第1章に明言されている。

01:21 For since in the wisdom of God the world through its wisdom did not know him, God was pleased through the foolishness of what was preached to save those who believe.
22 Jews demand signs and Greeks look for wisdom,
23 but we preach Christ crucified: a stumbling block to Jews and foolishness to Gentiles,
24 but to those whom God has called, both Jews and Greeks, Christ the power of God and the wisdom of God.
25 For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.

01:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、
23  わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、
24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。


こうしてミュトス→ロゴスの流れは、フィロン、ヨハネ、パウロにおいてソフィアを取り込み、母権社会の名残はイエスの中へ取り込まれ解消される。こうして完全に「男社会」の器が完成する。あとはローマ帝国を通じてヨーロッパ全域へ浸透していけば、ヨーロッパ文化の第一層が確立する。

しかし母権社会の記憶(女神信仰)が完全に人々の脳裏から消え去ったわけではない。それはグノーシス主義をはじめとする神秘思想、マリア信仰などに活路を見出し、第一層文化の下を伏流水のように流れ続ける第二層文化を形成していくのである。