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【語源学の旅】ミトラ教01:東西宗教に溶け込んだ謎の神

2018-06-15宗教, 文明文化の話, 歴史, 語源学

2018.6.4 全面改稿

古代イランが生んだ神ミトラ(mithra、インドではmitra)という神は “溶け込む神” だ。ほとんど正体不明だが、どこにでも溶け込んでいてその影響は広く大きい。

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ミトラ(Mithra)とは誰か?

まずミトラの語源を確認してみよう。

ミトラの語源

Mithras
Persian god of light, 1550s, from Latin, from Greek Mithras, from Avestan Mithra-, from Indo-Iranian *mitram “contract,” whence *mitras “contractual partner, friend,” conceptualized as a god, or, according to Kent, first the epithet of a divinity and eventually his name. Perhaps from PIE root *mei– “to change; exchange,” on the notion of “god of the contract” [Watkins].
Related to Sanskrit Mitrah, a Vedic deity associated with Varuna. “His name is one of the earliest Indic words we possess, being found in clay tablets from Anatolia dating to about 1500 B.C.” [Calvert Watkins, “Dictionary of Indo-European Roots,” 2000]. Related: Mithraic; Mithraism.

“mithras” というのはアヴェスター語 “mithra” の、西洋世界での呼称。意味は「契約」、「盟約」、「同盟者」、「約束」、「友」など。インドでは “mitra” と表記される。

ミタンニ碑文

気になるのは最後の記述だ。

“His name is one of the earliest Indic words we possess, being found in clay tablets from Anatolia dating to about 1500 B.C.”

アナトリア(現トルコ)の遺跡から出土した紀元前1500年頃の粘土板にミトラの名が刻まれているという。少なくとも、いまから3500年前には知られた神だったことになる。

これは正確にいうと、ミタンニ王国(Mitanni)がヒッタイト(Hittites)の侵略を受け属国化する際の盟約文書だ。なるほど、ミトラは「盟約」「約束」の神であるわけだ。

一部を引用すると「ヒッタイト帝国に滅ぼされたミタンニ王国の王の名の多くは,Artatama(=サンスクリットtatama‐〈最も誠実な〉)をはじめサンスクリットで解釈される。またこの両国の王が交わした条約の文書の中にみられる誓いの神の名にも,ミトラ,バルナ,インドラ,ナーサティアのように,ベーダ神話で活躍する神の名が登場する」。

古代イランの言語
アヴェスター語(Avestan)とはゾロアスター教の聖典『アヴェスター』(Avesta)に用いられた言語。このうちヤスナ(Yasna)と呼ばれる祭儀書には、開祖ザラスシュトラ(Zarathustra)が直接つくったとされる17編の讃歌『ガーサー』(Gathas)が含まれる。『アヴェスター』はイスラム教の迫害などの影響で散逸し、全体の1/4程度しか現存しないと言われる。
ちなみに、ゾロアスターとはザラスシュトラの英語転記名であり、本来ならザラスシュトラ教と呼ぶべきなのだが、当サイトも慣例に従う。
有名なニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』(Also sprach Zarathustra)の主人公は、このザラスシュトラのこと。紛らわしいことこの上ないが、この辺りにもイランにまつわる複雑な歴史事情が反映しているのか。
古代インドに関係する語彙
indic
この形容詞は通常の indian とは違う。現代のインドではなく、それ以前の(特に古代の)インドやインド語族を形容することばである。
vedic
vedaに関する形容詞。ヴェーダは「知識、叡智」を意味し、古代インドの口伝で伝承されてきた内容を後世に文字化した聖典群をいう。原文はサンスクリット語の原型に当たるヴェーダ語。特にリグ・ヴェーダ(Rigveda)はインド・イラン共通時代にまで遡る古い神話を収めており、歴史・語学研究には必須の文献。

ミトラ信仰の背景

イラン社会とミトラ信仰の関係を見てみよう。

The names Mitra, Mithra and Mithras all derive from the Indo-European root “Mihr,” which translates both as “friend” and as “contract.” While both translations are correct, however, neither gives a full account of the word. “Mihr” itself derives from “mei,” an Indo-European root meaning “exchange.” But Aryan society did not use the word “exchange” to describe a transaction.

ミトラ神(Mitra、Mithra、Mithras)のインド・ヨーロッパ語の語源は “Mihr”。通常「友」や「契約」と翻訳されるが、これだけでは根幹にある意味が伝わらない。 “Mihr” の直接の語源は “mei” であり、これは取引すなわち交換を意味する。

「身分違いの者同士の契約」という属性

Ancient societies were hierarchical. Neither the concept of an exchange between equals after which a relationship ended (our meaning of contract), nor the concept of an open-ended exchange between equals (our meaning of friendship) were contained in the original meaning of the word “Mihr” or “Mei.” (For our concept of friendship, the Rg Veda uses the word “sakhi.”)

The friendship or contract offered by Mihr, or Mitra as he became known, was an exchange between unequal partners with Mitra as a just lord. Like any feudal relationship, this “friendship” imposed certain obligations on both sides. Mitra oversaw the affairs of his worshippers. He established justice for them. In return, his worshippers had to be upright in their dealings with others. Mitra was thus “lord of the contract” (a title frequently applied to him)…

古代イランは階級社会だった。”Mihr”、”Mei”ということばには、いったん交換が終われば解消する身分の同じ者同士の交換(契約)の意味や、身分の同じ者同士の間で永続する交換(友情)の意味はない(友情を表わす場合、『リグ・ヴェーダ』では”sakhi”ということばが使われている)。

“Mihr”または”Mitra”という神名は、ミトラを公正な仲立ちとした「身分の違う者同士の契約」を意味する。だから「友」「契約」「交換」とは社会的な主従関係と同じで、ミトラと、ミトラと身分の違う人間の双方に義務が発生する「契約」を意味する。ミトラは信者の行動基準となる正義を設定し、彼らの行動を見守る。信者はその見返りとして、自分と他者との取り決めを真面目に守らなければならない。ミトラはこのような意味における「契約神」なのである。

As the Aryan tribes swept south, they split into two major branches, the Indian in the east and the Iranis in the west. Both Worshipped the god of the contract in similar ways. Like the Indians, the Iranis sacrificed cattle to Mithra. They invoked him to preserve the sanctity of the contract.

They associated him with fire. And like both Indian and Roman worshippers, the Iranis concluded contracts before fires so that they might be made in the presence of Mithra. Like Mitra, Mithra saw all things. The Avestan Yast (hymn) dedicated to him describes him as having a thousand ears, ten thousand eyes, and as never sleeping.

And like Mitra, Mithra has a partner, Apam Nepat, whose name means Grandson of Waters. (Note that the same elemental connection of fire and water is maintained as in the Indian tradition.)

アーリア人は南下する過程で、二手に分れた。東に進んだのがインド人で西に進んだのがイラン人だ。どちらも同じように「契約の神」を崇拝していた。イラン人は、インド人と同じように牛の供犠をミトラに捧げ、ミトラを召喚して契約の神聖さを確認した。

またミトラを火と結びつけた。インドやローマと同じように、ミトラが見守る火の前で契約を結んだ。インドのミトラ(Mitra)も、イランのミトラ(Mithra)も、すべてのものを見た。ミトラに捧げられた『アヴェスター』のヤシュト(讃歌)によれば、ミトラは千の耳、万の目を持ち、決して眠らなかったという。

インドのミトラ同様、イランのミトラにもアパム・ナパト(Apam Nepat)というパートナーがいた。アパム・ナパトは「水の孫」を意味するように、イランでもインドと同じように火と水という二大要素のつながりを重視する。

Mithra was a moral god, upholding the sanctity of the contract even when the contract was made with one who was sure to break it. His primary responsibility was to the rightness of the action. In this he stood above the various national gods of the time, who had little function other than to look after the welfare of the state and its wealthiest members.(中略)

ミトラはモラルの神であり、契約を破るとわかっている相手を契約する場合でも、契約の神聖さを保証した。ミトラの第一の仕事は正しい行動を見守ることにあったからだ。他の国家神たちは国家の戦争と富裕層のことしか構わなかったため、ミトラはすべての国家神より上位に格付けされていた。(中略)

<記事引用終わり>

貨幣のような神属性

ミトラは人間に「価値基準(尺度)」を与える神であり、だからこそ「契約」を破りかねない相手とでも「友誼」を結べる。これはイラン民族の置かれた政治状況を反映しているだろう。ありていにいえば、気心の知れない異民族とでも、ミトラという公正基準を介せばつきあえるということである。

mihrが「交換」を意味するという点は貨幣に似ている。ミトラは「交換」(交流・取引)の場に立ち会って客観的な「基準」(尺度)を司る。基準があることで相手も納得し、身分(国籍・所属)を超えた「契約」が成立する。

他の国家神たちにはこの「交換」と「尺度」の機能がないからいつまでも「友情」は発生せず、戦争になる。このような客観性(価値中立性)の特質こそミトラ神が大きな広がりを見せた秘訣なのではないか。

男性結社の価値観

ミトラの「交換」「契約」属性は外交・戦争手段でもある。明らかに男社会の論理だ。

アーリア人には古くから男性結社の伝統があった。BMAC(バクトリア・マルギアナ文化複合)辺りを通過したとき現地人から学んだらしい麻薬的な酒(インドではソーマ、イランではハオマ)を祭祀や集会に多用した。ときには陶酔状態で乱痴気騒ぎに興じる。なかには酔った勢いで略奪や殺戮を繰り広げる荒くれ者もあったらしい。彼らはチャリオットと呼ばれる多頭曳き戦車を駆使したから、現代の暴走族など比べ物にならない “破壊力” を発揮したはずだ。原住民たちはいい迷惑だったろう。

ミトラ神の「契約」属性や、後のマズダー教における高い倫理性は、こうした危うい人間性への規制手段(タブー・禁制)として生まれたともいえるかもしれない。

ミトラ変遷史とゾロアスター教との関係(2018.6.14修正)

ミトラは少なくてもBC1700年には言挙げされている古い神だという。ミトラ専門家の東條真人氏の以下のページを参考に、ミトラの変遷とゾロアスター教徒の関係についてまとめておこう。

スィームルグ文化

スィームルグ(Simorgh)はアーリア人(原インド・イラン人)がインドとイランに分裂する前の基層文化。根元神は大女神ディヴ(Div)。ディヴの別名がスィームルグ。後にミトラ単一神教では、ディヴをズルワーン(無限時間の神)と同一視した。

ディブはその属性を反映した6柱の原アムシャ・スプンタを生み、宇宙の秩序とリズムをつくって生命の循環が円滑に進むよう見守らせた。ミトラはその中の一柱。

原アムシャ・スプンタ

友愛神ミトラ、生命神ヴァルナ(アパム・ナパート)、活力神アーリマン、火神アータル、日輪神フワル、平和の女神ラーム。

原アムシャ・スプンタはインドのアーディティヤ神群に相当する(アーディティヤはアーディティの息子たちの意。したがってアーディティはスィームルグのディヴに相当する)

原マズダ―教

中央アジアに定着したアーリア人は神話上でガヤ・マレタンと呼ばれる王国を築き、マズダ―信仰を始める。これは後世のマズダ―教とは異なるため、原マズダ―教と呼ぶ方が適切。

マズダ―はマンユの音訛から生じたことばで「智慧」が原義だが、原マズダ―教においては単に「神」という一般名詞として使用していた(おそらく原アムシャ・スプンタの総称)。日本でも古代の信仰には名前はなかった(神道は後世の命名)が、それと同じだ。

アフラ派とダエーワ派

原マズダ―教では、次第に、原アムシャ・スプンタのうちミトラとヴァルナ(アパム・ナパート)を一対とする信仰が主流となって、アフラ派(インドではアスラと呼ぶ)を形成した。

その後、アフラ派に対抗して、アフラの一柱アーリマンを中心に、神々を擬人化して偶像崇拝を行うダエーワ派(インドではデーヴァと呼ぶ)が台頭し、勢力を増す。あるときダエーワ派が王家を襲って、首尾よく王権を奪取する。しかし、ほどなく返り討ちにあい、ガヤ・マレタンから追い出される。後にアフラ派も王家と不和になり争うが、これらの抗争は基本的には支配層の間の戦闘であり、平民は比較的融和的だった。

三つ巴ともいえる緊張関係は長い間続いたが、いずれかの時代に決定的な戦闘が起こり、ダエーワ派はインダス上流部へ移ってインド人となり、アフラ派はイラン高原へ移ってイラン人となる。原マズダ―教がどうなったかはよくわからない。

ミトラ単一神教の成立

アフラ派の一部がミタンニ王国を建国すると、ミトラへの信仰が強まり、とうとうミトラを主神とするミトラ単一神教が成立する。アーリア人の原宗教に関する最古の文字資料であるミタンニ碑文では、他の神々の筆頭にミトラの名が挙げらている。

メディア時代の習合

ディア王国の時代に入ると、マゴイ族の神官マギの地位が上がり、ミトラ単一神教が強化される。メディアには、アッシリアに侵略されて国を滅ぼされたヘブライ人が強制移住してきており、ミトラ教とユダヤ教の接触が生まれた。

さらにアッシリアの圧政に対抗する新バビロニアウ国のカルデア人とも交流が深まり(混血も進み)、メソポタミアの占星学や祭祀が取り込まれる(カルデアン・マギの誕生)。七曜日、十二か月など太陽暦に発展。

アケメネス朝ペルシャ成立前後の混乱

メディアと新バビロニア(カルデア)の連合軍がアッシリアを倒すと、イラン南部のペルシャ人が勃興して新バビロニアを滅ぼし、さらにメディア王権を破ってアケメネス朝を樹立する。

成立事情からも想像がつくように、アケメネス朝の成立期は宗教的混乱の時代であった。メディアで人格神化が進み過ぎると、ミトラの神力の源泉である「智慧」(マズダ―)をないがしろにする傾向が現れた。この傾向に異を唱え、「智慧」をもっと重視せよとする一派が現れる。その中に名門司祭の家系に生まれたザラスシュトラ・スピターマがいた。

ザラシュストラの改革とゾロアスター教

一般に考えられているように、ゾロアスター教はザラシュストラが創始した宗教ではない。彼は智慧重視派ではあったが、アフラ・マズダーという主神を創作した形跡は存在しない。善悪二元論というのも後世の創作であって、彼自身の思想ではない。

このことはイエスとキリスト教の関係を思い浮かべればわかりやすい。キリスト教の教義は、イエスの教えだけで成り立っていない。後世の使徒や教父が様々な解釈や他宗教からの習合を採り入れて完成させたものだ。ゾロアスター教も同じことで、ザラスシュトラの死後、マギが中心となって整備したものである。

ザラシュストラの信仰

ザラシュストラ自身はむしろミトラ単一神教の原点に帰ることを目指し、人格神化されたミトラではなく、ミトラの持つ神力の源泉(智慧)への信仰を取り戻そうとしたのだ。

このことはイランとインドが分裂した最大の原因に関係していると思う。先に述べたように、神々を擬人化して偶像崇拝するデーヴァ神族を許せなかったのがイラン人なのである。

ザラシュストラ自身の言葉を書き記した教典『ガーサー』によれば、彼がアフラ・マズダーと呼びかける箇所はひとつもない。彼の実際の呼びかとしては、以下のようなものがある。

  • マズダーとアフラたち(アヴェスター語でmazdasca ahurangho)・・・これは二柱のアフラ神(ミトラとアパム・ナパート)とマズダー神を意味する。
  • マズダー=アフラ(mazda ahura)・・・アフラ・マズダーという神ではない。マズダー神に「マズダ―のアフラよ」(智慧深き主よ)と呼びかけているのだ。
  • マズダ―(mazda)・・・マズダ―を神と見なしていた証拠である。

アフラ・マズダーについて

一般にゾロアスター教の最高神といわれるアフラマズダーだが、その成立事情は複雑怪奇である。この複雑さがゾロアスター教とミトラの関係がよくわからない原因のひとつになっていると思うので、以下から東條氏の解説を引用する。

アフラ=マズダーという神名は、「アフラ」と「マズダー」という二つの言葉の合成である。『アヴェスター』の古層で使われている「アフラ」と「マズダー」という言葉は、もともとは、まったく別個のものを意味する言葉であった。アフラは「主」を意味し、ミトラとアパム・ナパート(ヴァルナ)をさしていた。アフラ=ミトラ=アパム・ナパート(アフラ=ミトラヴァルナ)というのが正式な使い方であった。

一方、マズダーはマンユが音訛したもので、この二神および祭司が使う神力・智慧を意味していた。これがいつのまにか結び付けられ、アフラ=マズダーという言葉になり、二柱のアフラ神とマンユの全体をさすようになった。

時代が下ると、これがさらに進んで、アフラ=マズダーという神がいると誤解されるようになった。こうして一柱の神と化したアフラ=マズダーは、しだいにヴァルナ(アパム・ナパート)の権能・性格の大部分をとりこんでいった。

「マズダ―」は本来、神力の源泉たる智慧であり、それ自体は神ではない。神の属性である。しかし智慧重視派はこれを神格化した。

「アフラ」とはキリスト教でいう「主」と同じだ。「主イエスキリストよ」と呼びかけるとき、”O Lord Jesus…” というのと同じで、マズダ―神に呼びかけるとき、”Ahura Mazda” といったのだ。最終的には、その呼びかけ自体がひとつの神と見なされるようになったわけだ。これがアフラ・マズダーの “正体” である。

マズダ―教の誕生

アフラ・マズダーなる至高神を得た知恵重視派は、教義を整え、マズダー教を生む。さらに、ザラシュストラの『ガーサー』を読み替え、アフラ・マズダーのマズダー教は絶対二元論をベースに、世界を善と悪の妥協の余地なき闘争の場と規定する過激なものだった。

至善のアフラ・マズダーに対抗するのは、本来ミトラの第一従神に位置づけられていたアーリマンであった。マズダ―教徒はミトラ単一神教の対外融和的な性格を嫌ったので、周辺異民族との混血を禁じ、東イラン人しか入信させない排他的な性格を持っていた。

このマズダ―教が一般に「善悪二元論の」ゾロアスター教といわれているものである。

三アフラ教

こうしてミトラ単一神教とマズダ―教の対立を孕んでいたアケメネス朝は、妥協案としてミトラ、アフラ・マズダー、アナーヒターの三神を主神とする三アフラ教と呼ばれる折衷的宗教を急ごしらえして国家宗教とする。

後にペルシャがササン朝として復活したとき、今度はスィームルグ以来のズルワーン(ディヴ)が復活し、ズルワーンからアフラ・マズダーとアーリマンが生まれたとされた。このかたちもゾロアスター教と呼ばれることがあるので、混乱に拍車がかかる。これはズルワーン教、もしくはゾロアスター教ズルワーン派と呼ぶべきだろう。

つまり、ゾロアスター教は、マズダ―教→三アフラ教→(アレクサンダーの弾圧)→ズルワーン教→(イスラムのイラン侵略)→インド亡命後のゾロアスター教と変遷して現在に至るのだ。

アレクサンダー大王東征以後

アレクサンダー大王にアケメネス朝が滅ぼされると、ゾロアスター教は徹底した弾圧を受け、残された信徒はインドへ亡命する。現存のゾロアスター教徒の大半はインド在住である。

アレクサンダー大王亡き後シリアのセレウコス朝と、少し後のペルシャ後継王国パルティアではヘレニズム全盛となり、マギのミトラ単一神信仰が他の文明の思想や宗教と接触、習合を重ねていく。

ミトラス秘儀

キリスト教が生まれる時代に至ると、ヘレニズムはさらに加速し、メソポタミア、ギリシャ、エジプト、シリア、イスラエルなどの諸宗教との混淆が進むが、とくに神秘思想との習合が盛んだったため秘儀的なミトラス教に変貌していった。

太陽神としての具象化や牡牛供犠(tauroctony)の儀礼が生まれたのも、この段階だろう。また、西洋の文献上ミトラス教への言及が初めてなされるのはギリシャのプルタルコス(Plutarch)の『ポンペイウス伝』においてだが、そこでは直接ミトラス教の名は出てこず、単に「秘儀」(mystery)と記されているという。

イラン本国(パルティア→ササン朝ペルシャ)ではミトラ単一神教をベースに、キリスト教や仏教徒習合したマニ教(Manichaeism)が興って、中央アジアから東アジアに向けてミトラ信仰が伝播していく(弥勒信仰)。最終的に弥勒信仰のかたちで日本へ渡った。

以上のように、現在主な研究対象となっているミトラ信仰は、秘儀宗教のかたちになったミトラス教(Mithraism)である。ミトラス教には下降(死)→上昇(再生)という古代共通の昇天コンセプトが反映されたため、ミトラ教会(mithraeum、ミトリアム)は主に地下に作られた。

ローマのサン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂地下で見つかったミトリアム(出典:http://www.tertullian.org/rpearse/mithras/display.php?page=cimrm338)

キリスト教徒は意図的にミトリアムの上に教会を建てたようで、サン・クレメンテはその一例に過ぎない。

マギの暗躍?

ミトラが西洋世界で存在感を増すきっかけのひとつは、キリスト教に反対し異教を擁護した、ネオプラトン主義の哲学者ポルピュリオスだそうだ。

マギは機を見るに敏だった。ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラは当時のギリシャでも高い声名を得ていたので、マギはゾロアスターにかこつけてミトラを売り込んだのだ。

ベルギーの有名な歴史家フランツ・キュモン(Franz Cumont)はポルピュリオス発の情報を引き継ぎ、ローマのミトラス教の起源をゾロアスター教に直結させたが現在の学界では否定されているという。しかし彼の惹き起こしたミトラス教への関心は、ヘレニズム世界における諸教の相互影響に多くの学者の目を向けるきっかけになった。

マギ(magi)
このマギは古代宗教の謎を追いかけるとき重要な鍵を握っているかもしれない。英語のmagi(メイジャイ)はmagus(メイガス)の複数形である。おそらくギリシャ語のマゴイ(単数形マゴス)から、ラテン語を経由して作られたことばである。人智を越えた知恵を持つ、謎めいた人々の代名詞となり、やがてmagic(魔術)ということばを生む。占星学とのつながりも深いとされる。
キリスト教においては聖書に出てくる東方の三博士として有名。イエスの生誕を知り、わざわざエルサレムまで赴き、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げたという。大文字で “the Magi” と書けば、この三博士を意味する。三賢人とも呼ばれ、単に “the Wise Men” あるいは一語で “wisemen” としてもこのマギのことを指す。

マギについては以下のwikiに詳しい。

OpenClipart-Vectors / Pixabay

隠しておきたい神ミトラ

現代のイランはイスラム教シーア派の国だ。ミトラのミの字もないように見える。いずれ詳しく特集したいが、実はシーア派の根幹はイスラム化したミトラ信仰だそうである。イランはその長い歴史の中でさまざまな王朝が興廃してきたが、ミトラへの基層信仰は一貫しているようだ。

こういうことはぜったい学校の世界史では教わらない。イランは自然崇拝からゾロアスター教へ移り、その後イスラムに征服されてイスラム教徒になったという基本ストーリーが何十年も教え続けられている。

そもそも同族だったインドの古代宗教については多くが探求され叙述の対象になっているのに、なぜイランの古代宗教については語られないのか?

アーリア概念とユダヤをめぐる政治と宗教の切り分け

簡単にいえば、ペルシャ思想やその宗教の西洋への影響を認めると、西洋人のつくり上げてきた「ギリシャ・ローマ発キリスト教経由の輝かしき西洋文明」という基本ストーリーが揺らぎ、彼らの自己規定にとって不都合だからではないか。

いちばん大きいのは、イランに注目を集めると、東西分断をベースに組み立てられた “世界史” の根幹が揺らぐ。現在の “世界史” のベースが出来たのは19世紀、植民地帝国主義が最盛期にあり、ヨーロッパ人が得意の絶頂にあった時代だ。得意の絶頂にあると同時に、精神的にはキリスト教離れが進み、不安を募らせていた。

そこで彼らは自らのルーツ探しを始め、「アーリア」に行き着いた。インドを統治していたイギリスの影響が大きい。インド学が発展し、サンスクリット語やパーリ語が発見され、比較言語学の発達をもたらした。

進歩史観の発展ストーリー

その結果、教科書的な定説が生まれる。

インド・イランという “闇” の世界に埋没したアーリア人とは別に、ヨーロッパという “光” の世界へ進出したアーリア人は、ギリシャにおいてロゴスに基づく哲学的思惟を発達させた。これに基づき、ヘレニズム世界において勃興していたセム族のキリスト教を洗練させ、それまで自分たちを縛っていた野蛮な多神教を捨て、最も進化した(普遍性の高い)唯一神信仰を受容した。

中世にはカトリック教会と政治権力の癒着に苦しんだが、ルネッサンスでイスラム異教徒との対決にケリをつけ、人間解放を実現した。

経済的には大航海時代に世界進出を果たし、今日のグローバリズムの先鞭をつけた。やがて民衆への権力移譲を進めるべく、さらなる自由を求めて宗教改革を断行し、近代市民社会の礎を築いた。またイギリスの産業革命をきっかけに中央銀行制度や為替システム、自由貿易などの基盤整備を行い、世界経済の覇権を制した。

ヨーロッパ文明はギリシャの合理精神とキリスト教の普遍性・愛敵精神の精華であり、その表れが自由主義と民主制政治である。

進歩史観にとって “闇” の世界の扱いは厄介だ。どにでも入り込んでいるミトラの浸透力(とくに闇の部分の神秘思想・錬金術・オカルト)について語ることはタブー化された。しかし皮肉なことに、ヨーロッパ文化のインスピレーションはその大半が、ミトラの流れ込んだ裏文化から来ているのである。

 

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