【ロシアとウクライナ】独立自治をめぐる仁義なき “宗教” 代理戦争
ウクライナ独立の動きは政治マターから宗教マターへ展開し始めた。正教会という精神的紐帯の破壊を狙ったCIAによるプーチンへの揺さぶりだろう。今回は日本人にはなじみの薄いキリスト教正教会(ギリシャ正教)に絡んだお話である。
正教会分裂騒動の背景
以下に引用する英文記事は、正教会の「伝統的中心」であるコンスタンティノープル(トルコ)と、正教会の「現実的中心」であるモスクワ(ロシア)の綱引きに関するものである。正教会は自治が基本だから信者数がものをいう。その意味でロシア正教会の政治力は圧倒的である。そこで西側諸国、とくにアメリカ(CIA?)としてはウクライナ正教会の切り崩しから入ってロシアを弱体化させたいのだろう。
キエフは京都?スラブ人は縄文人?ルーシは弥生人?
キエフはスラブ文化の土着化が起こった場所である。ウクライナがモスクワ中心のロシアを見る視線は、京都人が東京人を見る視線に近いのかもしれない。
“近代のない” ロシアの歴史
超簡略にロシアの歩みを見ておこう。もともとロシアは後発国だ。日本の奈良時代くらいになっても、極寒の東欧辺境の地にはスラブ人がまばらに住まうだけで、都市らしい都市も国らしい国もなかった。
ロシアの建国寓話には「父なるノヴゴロド、母なるキエフ、心の臓はモスクワ」という言い方がある。つまり、最も北方のノヴゴロドにすべては発し、南のキエフで土着化と文明化が進んだ。モンゴル支配を脱するときから中心はモスクワに移ったという含みである。
ノヴゴロド
9世紀、北方のスウェーデンからヴァイキング(ノルマン人ルス族=ルーシ=ロシアの語源)が、スラブ人の集落ノヴゴロド(Novgorod)に進出。ここを占領してロシア初の国家を建設した。ロシア人はいまも自分たちをルーシの形容詞形「ルースキエ」(英語表記すれば “russkie”)と呼ぶ。
キエフルーシ(Kievan Rus)⇒タタールの軛(Tartar Yoke)
ルーシはノヴゴロドを拠点に川伝いに南下を始め、現在のベラルーシやウクライナ方面を開拓、最終的にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)との間に交易ルートを開いた。キエフははじめ交易中継点として開かれた街なのである。
10世紀、キエフルーシ(後にキエフ大公国と呼ばれる)の大公ウラジーミル1世(民族的英雄、Vladimir the Great)がビザンツ帝国のキリスト教(正教会)の洗礼を受けたところから、ロシア正教の歴史が始まる。同時にギリシャ文字も導入され、今日のロシア語を表記するキリル文字(Cyrillic letters/alphabet)が作られた。キエフルーシの版図は今日のロシア、ウクライナ、ベラルーシの領域に相当する。
13世紀になると、東から遊牧系のチュルク人やモンゴル人の侵攻を受け、キエフのみならず、ウラジーミルやモスクワなどスラブ系の諸公国はすべて軍門に下る。「タタールの軛」と呼ばれる暗黒時代のはじまりだ。
なお、ロシアを実際に支配したのはモンゴルの本体ではなく、モンゴル人が南方に築いたチュルク人(トルコ人)との連合国家キプチャクハン国(Kipchak Khanate、首都サライ、イスラム教国家)だった。モンゴルとチュルクを合わせてタタール人(Tatar)と呼ぶのである。キプチャクハン国の別名をジュチ・ウルス(The Ulus of Jochi)というが、これはチンギス=ハーンの長男ジョチの後裔が支配した遊牧民の政体(ウルス)を意味する。
モンゴルの支配は16世紀初めまで続いたが(ルーシ人の中心国家はモンゴル支配の及ばないノヴゴロド公国にあった)、比較的支配の緩かったモスクワが支配に対抗し始め、15世紀終わりにモンゴル人を追放した。そこからは初代ツァーリ(皇帝)イヴァン雷帝が出て、多民族国家ロシア帝国(およびソ連邦)への歩みが始まる。
タタールの軛の遺したもの
モンゴル人は血族重視で宗教には寛容、貢納の義務さえ果たしてれば、ロシア人も広大なユーラシア平原を通じた東西交易の恩恵に浴した。ロシア正教会はモンゴル政体に貢税を免除され、勢力を拡大していった。史上最大のモンゴル帝国の下で交通の駅伝制度や統治形態を学んだ経験は大きく、それがツァーリのロシア帝国(およびソ連)の構築・維持・発展につながったのは間違いない。
反対に、モンゴル支配はロシアをビザンツからも西ヨーロッパ諸国からも隔絶した。そのため、近代を準備したルネサンスも宗教改革も通過せず、市民階級の形成もうまく行かなかった。顔かたちはノルマン人とスラブの混血なので白人だが、内実はヨーロッパ諸国とはかけ離れている。そこへいきなり共産主義革命が起きた特異な国なのである。
ウクライナ独立と歴史修正主義
「母なるキエフ」の地ウクライナはスラブ文化の原点を担う。ソ連に組み込まれていた時代は、ルーシという概念は問題視されていなかったが、独立後のウクライナは、民族主義者たちを中心に、ルーシというくくりに不都合な(消し去りたい)怨念を抱くようになる。要するに、モスクワとキエフを切り離したいのである。
ウクライナの実情については以下の記事に詳しい。
ウクライナ民族主義者の「歴史修正主義」に歴史家トロチコ氏が警鐘を鳴らしているという。一部を引用しよう(強調はブログ主)。
重要なことは、古代ルーシの支配者が互いの近親関係を認識していたこと、ルーシという統一体の理念が、あらゆる古代ルーシの(ルースキエの)の年代記に見られるライトモチーフであった、ということだ。
トロチコは、ウクライナにおける歴史の神話化の傾向を憂慮している。その影響は、一般の学校や大学の教科書にすでに反映されているという。
焦点の正教会2つ
ウクライナ正教会にはコンスタンティノープル系とモスクワ系の2つがあって、長年対立してきた。キエフ総主教庁が、クリミア併合に反発してロシア正教会からの分離独立を求めてきて、このほどコンスタンティノープル総主教庁が独立を承認したのである。
wiki記事から重要部分を引用する(写真は当サイト独自の処理)。
ウクライナ正教会・キエフ総主教庁
キエフに創設された総主教庁のもと、独立した教会で、ウクライナにおける最大の教会。以前はこの教会の教会法上の合法性とキエフ総主教位を認めている正教会は存在しなかったが、2018年10月11日にコンスタンティノープル総主教庁が独立を承認した。
英語表記・略号 – 「Ukrainian Orthodox Church – Kiev Patriarchate」「UOC-KP」
キエフ総主教庁の首座教会である聖ヴォロディームィル大聖堂(聖ウラジーミル聖堂とも。英語ではSt. Volodymyr’s Cathedral)。ウラジーミル1世に捧げられた。
ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系)
モスクワ総主教庁のもと、事実上、キエフ府主教の管掌する教会で、以前はウクライナにおいて教会法上の合法性を全世界の正教会から認められている唯一の正教会であった。規模はウクライナ国内に於いて第二位。
英語表記・略号 – 「Ukrainian Orthodox Church – Moscow Patriarchate」「UOC-MP」
UOC-MPのオヌフリ府主教(Onufriy/Onuphrius of Kiev)
英文記事:The Eastern Orthodox Churches may split. It’s the biggest crisis for these churches in centuries.(東方正教会の分裂問題は数百年来の危機)
A schism is brewing among Orthodox Christians.
Leaders within the Constantinople Patriarchate, historically the most influential center of the global Orthodox Church, recently took several administrative steps toward granting ecclesiastical independence ― also known as autocephaly ― to the Ukrainian Orthodox Church, which is currently under the authority of the Russian Orthodox Church. The move comes after years of increasing tension in Ukraine over the status of its church in the wake of Russia’s occupation of Crimea.
正教会が分裂しようとしている。
コンスタンティノープル総主教庁は正教会の世界的中心であり、歴史的に最も影響力が強い。その総主教庁がこのほど、ロシア正教会の管轄下にあったウクライナ正教会の「独立自治」を認める手続きを開始した。ロシアのクリミア占領以降高まる両ウクライナ正教会の緊張を解くべく総主教庁が動いたかたちだ。
ギリシャ正教、東方正教会ともいう。教派というよりは国の単位で運営される場合が多い(ギリシャ正教会、ロシア正教会、。
南西欧中心に広まったローマ・カトリック教会やプロテスタント教会、イギリス国教会など西方教会に対し、中近東や東欧、アジアに広まったキリスト教会には正教会の他に、ネストリウス派(ペルシャから中央アジア、モンゴル、中国などに伝わった。中国では景教、図上の黄緑)や、オリエント正教会(非カルケドン派正教会とも。アルメニア使徒教会、エチオピア正教会、コプト正教会、シリア正教会など。図下の緑)がある。
西方教会以外を総称する際には東方教会と呼ぶ。また東方教会と東方正教会は紛らわしいので後者をギリシャ正教(Greek Orthodoxy、Greek Orthodox)と呼ぶことが多い。
In response, the Russian Orthodox Church announced on Monday following a synod, or gathering of bishops, in Minsk that it would sever all ties with Constantinople. That move would prevent the Russian Orthodox faithful from taking part in any sacraments, such as communion or baptism, at any churches under the aegis of the Constantinople Patriarchate worldwide.
“We hope that common sense prevails, that the patriarch of Constantinople changes his attitude to the existing church reality,” the Russian Metropolitan Hilarion of Volokolamsk, who handles the Russian church’s foreign affairs, said in his announcement following the synod.
これに対してロシア正教会は月曜日、ミンスクで主教会議(シノド)を開き、今後コンスタンティノープルとすべての関係を断つと発表した。この結果、ロシア正教会の入信者や信者は、コンスタンティノープル総主教が庇護する世界のどこの教会でも、聖体拝領や洗礼などの聖餐に参加できなくなる。
ロシア正教会代理人のヴォロコラムスク府主教イラリオン(渉外局長)の公式コメントによれば、「コンスタンティノープル総主教には、教会の現実を鑑み態度を変えるよう希望する」。
The Russian Orthodox Church is among the most influential churches in the Orthodox world. Its 150 million adherents comprise about half of Orthodox Christians worldwide. Since the collapse of the (officially atheistic) Soviet Union in the 1990s, it’s also become increasingly powerful politically. In recent years, the Russian Orthodox Church’s alliance with Vladimir Putin’s nationalist government has essentially rendered it a form of Russian ideological soft power, with the church and its head, Patriarch Kirill, often serving as a mouthpiece for Russian nationalist ideology.
ロシア正教会は世界の正教会のなかで最大の影響力を持つ教会のひとつ。信徒数1億5,000万人は正教会全体の約半数を占め、1990年代に(公式には無宗教の)ソ連が崩壊して以降、政治的な影響力を強めている。近年、国家主義的なウラジミール・プーチン政権と連携して、共産主義に代わるロシアのイデオロギー上のソフトパワーになっている。実際、キリル1世はじめロシア正教会の重鎮は事あるごとにロシア政府の国家主義的立場を代弁してきた。
クリミア併合以後のウクライナ宗教界の混乱
In this case, tensions over the status of the Ukrainian Church directly reflect the wider political situation: a conflict that has been brewing since the Russian annexation of the formerly Ukrainian coastal region of Crimea in 2014. While there have been tensions over the role of the church within Ukraine since the collapse of the Soviet Union ― unrecognized independent splinter churches have existed there since 1992 ― the Crimea situation has led to a galvanization of conflicts among the Orthodox faithful, for whom church identity and national identity are closely intertwined.
ウクライナ教会の地位をめぐる対立は、2014年にロシアのクリミア(旧ウクライナ沿岸地域)併合以来の政治抗争の表れだ。ソ連が崩壊するとウクライナのキリスト教界は紛糾し、1992年以降も未承認のままの独立分派教会が多数存在している。クリミア併合以降は、教会と国家の一体化を旨とする正教会信者の間でも対立が深刻化している。
ロシアの思惑
For Russians, and the Russian Orthodox Church, the Ukrainian Church is a symbolically important part of the Russian Orthodox community, not least because some believe the city of Kiev to be the birthplace of the Russian Orthodox tradition. Ukrainians comprise up to 40 percent of the current Russian Orthodox Church, and tend to attend services at double the rates of their Russian neighbors.
ロシア政府とロシア正教会にとって、キエフは教会発祥の地であり、ウクライナ正教会はその伝統を受け継ぐロシア正教全体にとって大事な象徴である。しかもロシア正教徒の4割はウクライナ人であり、教会に通う信者の割合も他地域の2倍に達している。
ウクライナの思惑
For Ukrainians, however, the promise of autocephaly represents both spiritual and symbolic freedom from Russian influence. The Ukrainian Church has been subject to the Russian Church since 1686, a few decades after the territory came under Russian political control. Ukrainian President Petro Poroshenko recently told reporters that an autocephalous Ukrainian church was “an issue of Ukrainian national security. It’s an issue of Ukrainian statehood.”
しかしウクライナ人にしてみれば、「独立自治権」の保証は、精神的にも象徴的にもロシアの影響下から解放されることを意味する。ウクライナ教会がロシア教会の一部になったのは、ウクライナがロシアに併合されて数十年後の1686年だ。ペトロ・ポロシェンコ大統領はメディアに、教会の独立自治権は「ウクライナの安全保障の問題であり、独立維持の問題だ」と述べている。
第3のローマへの策動
A standalone Ukrainian Church would also effectively check Putin’s efforts to establish Russia as a “third Rome”: the heart of a religiously and ethnically united Christian empire, heir to Rome and Constantinople. He has mandated, for example, that state officials read Russian religious philosophers like Nikolai Berdyaev and Ivan Ilyin, two thinkers known for their support of a united Christian Russian empire.
He’s also staged photos for himself at centers of Orthodox Christianity, like Mount Athos in Greece, where the Russian media breathlessly, if slightly inaccurately, reported that he sat upon the traditional throne of Byzantine emperors. (The historic chair in question was in fact designed for honored guests.)
ウクライナ教会の単立は、プーチン大統領のロシア「第3のローマ」化への策動に対して有効な牽制となる。プーチンは、ロシアを宗教的・民族的に統一されたキリスト教帝国の中心、ローマとコンスタンティノープルの後継者にしたい。そのため政府関係者はニコライ・ベルジャエフ、イワン・イリインの著作を読むことを義務づけているほどだ。この二人の思想家はキリスト教ロシア帝国のイデオローグとして知られる人物である。
プーチンはまたギリシア・アトス山の正教会聖地を訪問の際、自分の肖像写真を飾らせたとされる。ロシアのメディアはすわとばかりに、だいぶ不正確な表現で「プーチンがビザンチン皇帝歴代の玉座に座った」と報じた (問題の歴史ある椅子は、実際には賓客用にしつらえられたもの)。
1000年来の危機的状況
If a compromise is not reached, the schism could be among the most significant in the past millennium, influencing the religious and political landscape of Eastern Europe.
If the Russian Orthodox Church does end up fully schisming from Constantinople, it would represent the most significant break in the Eastern Church since 1054 AD. But the use of national churches as proxies in wider political tensions goes back just as long, if not longer.
このまま妥協がなされなければ、千年来の重大な教会分裂となる。東欧世界の政治・宗教の風景に影響を与えずにはおかないだろう。
ロシア正教会が正式にコンスタンティノープルと別れれば、AD1054年の東西分裂以来、最大の亀裂が生まれる。ちょうどその頃、国家間の大きな政治的緊張のなかで、教会が政治の身代わりを演じるようになったのだが。
ローマの東西分裂で生まれた正教会
The current crisis over the Ukrainian Church is the most significant in 1,000 years
The Orthodox Church formed after a schism from what is now the Roman Catholic Church in the 11th century, after tensions peaked between the bishop of Rome (the pope) and the bishops of the increasingly powerful Eastern Roman (Byzantine) capital of Constantinople. While the technical cause of that schism lay in disagreements over theology, then, as now, politics played a role, as Eastern bishops sought to distance themselves from the sphere of influence of their Western counterpart.
そもそも正教会は、ローマ司教(教皇)と、強大化する東ローマ(ビザンチン)首都の司教との対立・分裂から生まれた。両者の緊張が頂点に達した11世紀、コンスタンティノープルがローマカトリック教会から独立した。表向きの理由は神学上の不一致だが、本音は西ローマの政治的影響圏からの独立にあった。
正教会の規模
These days, about 12 percent of the world’s Christians (or nearly 300 million people worldwide) are Orthodox. They belong to one of 14 nationally centered churches ― such as the Greek Orthodox or Russian Orthodox Church ― in communion with one another. The existence of an autocephalous Ukrainian Church would raise that number to 15.
現在、世界のキリスト教徒の約12%(3億人)が正教会の信者。ギリシャ正教会やロシア正教会など国単位で14の教会があり、相互に教理を共有するコミュニオンの関係にある。もしウクライナ教会の「独立自治」が認められれば、15番目の正教会となる。
ウクライナ教会の実情
While two rival Ukrainian Churches claiming autocephalous status currently exist in Ukraine, neither was recognized by the Constantinople Patriarchate unless last week. Should full autocephaly be granted, these splinter churches would likely merge, along with the Moscow-dominated, Constantinople-recognized Ukrainian Church, into a single body.
ウクライナ国内では現在、「独立自治」を主張する2つの教会(モスクワ系とキエフ系)が対立関係にある。コンスタンティノープル総主教庁は先週までどちらの自治も認めていなかった。完全な「独立自治」が認められると、ウクライナの教会組織は、モスクワ直轄、コンスタンティノープル承認のウクライナ正教会を中心に一体化する可能性が高い。
While a contemporary schism is unlikely to have quite the same earth-shattering global effects as that one did, the modern conflict over Ukrainian autocephaly is, like the 1054 schism, as much about territory and influence as it is about theology.
現代の分裂が1000年前の分裂のような世界的変動になる可能性は低い。しかし独立自治をめぐる抗争は1000年前同様、神学の問題というより領土と影響範囲の問題である。
Technically, the Patriarch of Constantinople, Ecumenical Patriarch Bartholomew I, due to his “first among equals” status, can render the Ukrainian Church autocephalous without Russia’s participation or approval. Last week, Patriarch Bartholomew took several steps toward granting the Ukrainian Church independence, including revoking the 1686 decree giving Moscow power over Kiev, but he has not yet taken the step of producing the formal edict that would finalize this.
形式的には、コンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオス1世は「対等者中の第一人者」の地位にあり、ロシアの関与や承認がなくても、ウクライナ教会に「独立自治」を認めることができる。先週、ヴァルソロメオス1世は「独立自治」に向けた重要な手続きを済ませた。これにはキエフ教会にモスクワ聖庁帰属を命じたとされる1686年勅令の扱いも含まれるが、総主教はまだ正式な勅令を発布していない。
モスクワとコンスタンティノープルの対立
The crisis over the status of the Ukrainian Church isn’t the first time the promise of a former Russian territory’s autonomy has threatened Russia-Constantinople relations. In 1996, the Russian Orthodox Church briefly severed ties with Constantinople over the fate of the Estonian Church, which likewise sought independence. (Ultimately, a compromise was reached, and two parallel churches ― one under Moscow, one autocephalous ― now exist in that country.) However, the controversy over Ukraine is much more politically significant, both because the country is much larger and because of the way the conflict reflects wider Russia-Ukraine territorial tensions.
ウクライナ教会の帰属をめぐってロシアとコンスタンティノープルがもめるのは今回が初めてではない。 1996年、ロシア正教会は、ウクライナ同様独立を求めていたエストニア教会をめぐってコンスタンティノープルと関係を断っている (最終的な妥協案により、現在エストニアにはモスクワが管轄する教会と、独立自治権を有する教会が併存している)。しかし今回はウクライナという要の地におけるロシアとの領土問題を反映しているだけに、政治的に重要な問題である。
It is unclear whether Russia will reemphasize its position. While Russia has called for the support of the 12 remaining Orthodox national churches against Constantinople, it has not asked them to break with Constantinople directly. Already, however, the Serbian Church ― a longtime Russian ally ― has signaled its support for Russia.
ロシアが改めてモスクワ管轄を主張するかどうかは不透明な情勢だ。ロシアは当事国を除く12の正教会にコンスタンティノープルへの反対の支持は求めているが、コンスタンチノープルとの決裂を求めているわけではない。長年ロシアと同盟関係にあるセルビア正教会はすでにロシア支持を表明している。
死線を超える?
But thus far, the Russian Church has shown no signs of faltering. A representative for Patriarch Kirill told a press conference last week that Bartholomew’s revoking of the 1686 edit “crossed a red line” and was “catastrophic” for the Orthodox world.
Thus far, its consequences remain to be seen.
これまでロシア正教会の姿勢は揺るぎない。キリル主教のスポークスマンは先週の記者会見で、もしヴァルソロメオス1世が1686年勅令を取り消せば「越えてはならない一線を越え」、正教会全体に「破局をもたらす」と語った。
この問題がどこへ着地するか予断を許さない。
<記事引用終わり>
以上の記事でわかりにくい部分があれば、在ウクライナ日本大使館による今回の騒動の解説があるので参考にしてほしい。
その後の動き:ロシア正教会は正式にコンスタンティノープル総主教庁と断絶、日本正教会も同じく断絶
以下の記事を参考にしてほしい。
参考:正教会のあらまし
正教会の成り立ちや歴史については日本正教会(ロシア正教所属)の解説に詳しい。
せっかくなので適宜補足を加えながら正教会について勉強してみよう。
そもそも教会とは何か?
説明にはこうある。
「教会」はギリシャ語で「エクレシア」と言います。これは「呼び集められた者の集まり」という意味をもつ言葉です。つまり「教会」とは、この世においてそして天国において神の言葉を守り、神の御旨と業を行うために招集された神の民の集まりです。
キリスト教はもともと「ユダヤ教改革派」の宗教だった。西洋的な色彩は何もなく、実際、キリストもその弟子たちも黒髪の東洋人だった。彼らはユダヤ教がエジプトやペルシャの影響で「国家の宗教」になり、個人の自由な信仰を妨げていることを批判したのである。
キリストが説いた教えは牧歌的で簡素であり、当時は異様に受け取られた。周囲の無理解と迫害に晒される中、信徒たちはひっそりとした集まりを通じてキリストの教えを守り伝えた。エクレシア(ecclesia)とは、こうした原始キリスト教の、精神的な紐帯を重んじる集まりを指すのである。
正教会とは何か?
正教会はOrthodox Church、すなわち「正統な」教会を意味する。そういうからには「非正統」「異端」があったということである。解説にいう。
このように初代の教会は、迫害されていた時代にもかかわらず(「だからこそ」と言い換えてもよい)、規模としても信仰の内容としても目を見張るほど成長しました。
正教会は、この初代教会からの生きた信仰を今日まで伝えているキリスト教です。
ここで大事なポイントは、正しい教えを守る聖人の存在、それを伝承する主教の重み、正しい教えを記録する正典の整備、信仰の具体化(箇条)である。正教会は、暗にローマカトリックを意識しつつ、自分たちこそキリスト本来の教えを受け継ぐ者を自認しているのである。
カトリックと正教会の違い
カトリック教会と正教会は、初期のエクレシアや使徒との連続性を重んじ、聖書を正典とする。大半の教義も共有している。
神の代理人と皇帝の代理人
ただ三位一体論の解釈は大きく異なる。カトリック教会は「聖霊は父なる神からも御子イエスからも発する」とするが、正教会は「聖霊は父のみから発する」とする。
この違いが政治権力との関係の違いを生んだ。カトリックではローマ教皇が「神の代理人」として皇帝と対等な権威(権力)を有する。正教会では皇帝が絶対権力であり、教会の長を兼任する。主教は皇帝により任命される「皇帝の代理人」である。
教会組織についても違いがある。カトリック教会はローマ教を中心とし、ローマ教皇をピラミッドの頂点とする階層構造だが、正教会は横並びである(階級はあるが絶対権威者はいない)。正教会は国単位で自治運営され、コンスタンティノープルやロシアなどの大教会も、他地域の正教会も形式的には対等である(実際には、ビザンツ帝国の首都にあったコンスタンティノープル総主教の権威が最も大きい)。
偶然崇拝
カトリック教会は、異教的(過去の多神教風土)との折衷により、イエス像、マリア像、聖人像などを許すが、正教会はそれらを禁じる。その代り独特のイコン画(聖画像)と呼ばれる表象を認めている。二次元OK、三次元NGなのである。
神秘的要素
両者ともに、表の教義に関係なく神秘主義的な思想を発達させてきた。聖書とともに聖伝(聖伝承とも。英語ではSacred Tradition、Holy Tradition)を重視するのだが、カトリック教会は聖書と聖伝を並列するのに対し、正教会は聖書は聖伝の一部であり、聖伝に含まれるとする。つまり、正教会は「人間の理解をこえた事柄については謙虚に沈黙する」という古代教会以来の伝統を素直に受け継いでいる。これは、奇蹟などに関して科学的合理主義との折り合いが求められるカトリック教会と大きく異なる部分である。
主な正教会
正教会には西方教会におけるローマ・カトリック教会のような「総本山」はなく、各地区(国)の正教会が独立自治を行っている。各教会は共通の教理を奉じ、緩やかに連携している。初期キリスト教は中東で生まれ東地中海沿岸のギリシャ語圏で発展したため、歴史的にはこの地域に最も重要な教会が集中する。
以下、五大総主教座と呼ばれる格式の高い正教会のうち、東西分裂で西側の中心となったローマ総主教座(後のカトリック教会)を除く4つと、東ローマ帝国崩壊後、正教会の中心勢力となったロシア政教のモスクワ総主教座を紹介する。
エルサレム総主教座(Patriarch in Jerusalem)
イエス(イエスス)が、「公生涯」(Ministry of Jesus)と呼ばれる伝道の開始から十字架上の死と復活までの期間に活躍した聖地がエルサレムである。新約聖書「使徒行伝」が記すところでは、この地に初代キリスト教会が成立し、イエスの兄弟ヤコブが初代の総主教を務めたとされる。総主教座はエルサレム旧市街の聖墳墓教会(Church of the Holy Sepulcher)に置かれている。
コンスタンティノープル総主教座(Ecumenical Patriarchate of Constantinople)
キリスト教を公認した最初のローマ皇帝コンスタンティヌス1世(大帝)は、帝国の首都をローマからビザンティウム(現イスタンブール)に移し、彼の名にちなんでコンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)と名づけた。コンスタンティノープルは11世紀の東西分裂後も、長く東ローマ帝国の首府、ギリシャ語圏キリスト教の中心として栄えた。1453年オスマントルコによって崩壊するが、オスマン帝国の宥和的な宗教政策のおかげで命脈を保ち今日に至る。このような歴史背景から正教会総主教座の筆頭であり、事実上の司令塔である。
正教会の殿堂アヤソフィア(Hagia Sophia)
ハギア・ソフィア、ハギア・ソフィア大聖堂とも。かつてコンスタンティノープル総主教座のあった正教会最大の殿堂。”hagia sophia” はトルコ語で「聖なる叡智」の意味。現在は博物館として一般公開されている。
アレクサンドリア総主教座(Patriarchate of Alexandria )
アレクサンダー大王の名を冠したプトレマイオス朝エジプトの都にある。初期キリスト教の神学的・哲学的進化の上で最も重要な役割を果たした。創立者は使徒マルコといわれる。教義論争からAD5世紀に正教会からコプト正教会(非カルケドン派)が分離し、エジプトのキリスト教の中心勢力に育った。
アンティオキア総主教座(Patriarchate of Antioch)
ローマ帝国時代、オリエントを所管する総督は、アレクサンダー大王の遺領であるセレウコス朝シリアの首都アンティオキアに駐在した。当時はローマ、アレクサンドリアと並ぶ大都市だったので使徒パウロの伝道の中心だった。AD6世紀以降、地震や戦乱により衰退し、総主教座はダマスカスのマリアミテ大聖堂(Mariamite Cathedral)に移った。現在のアンティオキアはトルコ領の小都市。
モスクワ総主教座(Moscow Patriarchate)
ロシア正教の公式な歴史は988年、キエフ大公ウラジーミル1世が東ローマ帝国皇帝バシレイオス2世の妹アンナを妃に迎え、正教会の受洗を受けたこと、そして国民にも洗礼を受けるよう促したことに始まるとされる。
1453年、オスマントルコの攻撃でコンスタンティノープルが陥落して東ローマ帝国が滅亡すると、正教会最大の勢力はロシアを中心とするスラブ国家群となった。
20世紀にロシア革命後の無宗教イデオロギーを口実に迫害を受けたが、ソ連崩壊後には急速に復興を遂げている。ロシア正教会の長をモスクワ総主教と呼ぶ(Moscow patriarch。正式な称号はモスクワおよび全ロシアの総主教、Patriarch of Moscow and all Rus’ )。主教座はモスクワの聖ハリストス大聖堂(Christ the Savior Cathedral)に置かれている。
機会があれば、ロシア正教の歴史についても記事にしてみたいが、今回は長くなったのでこの辺でおしまいにする。
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