【英語で読む日馬富士事件】心身両面の虐待が制度化?

日馬富士スキャンダルの報道姿勢に疑問を感じる。報道の中心はいつの間にか相撲協会と貴乃花の権力闘争へシフトし、何となく改革派貴乃花バッシングの様相を呈しているではないか。相撲協会の幕引き戦略に乗っかっているように見える。

こうした中、事件の背景にはもっと根深い問題があると指摘するのは海外メディアである。今日は英語記事をネタに、なぜ貴ノ岩は殴られたのか――、なぜ貴乃花親方はあそこまで頑ななのか――、そういったゴシップ系の興味とは違う視点で、今回の暴力問題を考えてみたい。

 

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角界の問題点

例えば、ワシントンポスト紙は簡潔にこう言う。

But the case is about so much more than a drunken brawl. It goes to the very heart of the punishing, clan-like sumo system, one that is already reeling from accusations of bullying and match-fixing, and is facing waning public interest.

出典Two sumo wrestlers walked into a bar. The brawl they had there is rocking Japan’s sumo world.

「単なる酔っ払いの喧嘩で済まない問題がある。公益を顧みず、いじめ(かわいがり)や八百長問題以来揺れ続ける、懲罰主義的で門閥に閉ざされた相撲界の根幹が問われている。」


“reel from” は「動揺する」の意。ここでの “reel” は釣り竿のリールのようにカタカタ揺れ続けるさまを表す動詞。”bullying ” はいじめ。学校のいじめ問題でも多用される。この文脈ではいわゆるカワイガリ問題を指している。八百長は “match-fixing” という。定型表現。

“waning public interest”、ここの “wanting” は欲しているという意味ではなく「欠落している」状態を表す形容詞。「公益への配慮が欠けている」の意。確かに相撲協会は内閣府が認可した公益財団法人である。

この記事のいう “the punishing, clan-like sumo system” とは何か?”clan” は一族を意味するが、ここでは血縁ではなく、つながりの深い相撲部屋同士が二所ノ関一門や高砂一門を形成し、相撲界の構成単位(派閥)となっている状態を示す。しかも “punishing”、すなわち懲罰的な社会なのだという。閉鎖空間での暴力やいじめのにおいがする。

相撲界は変わっていない

この点をさらに掘り下げている別の記事があるので、以後そちらに沿って議論を進めよう。

出典Harumafuji incident highlights sumo’s inherent problems by John Gunning

The wider problem, however, and one that is getting little to no attention is the disconnect between the reality of sumo and the public’s perception of the sport. The underlying issue is a belief that sumo has somehow fundamentally changed since the beating to death of 17-year-old Takashi Saito in 2007.
One cannot understate the scale of the cognitive dissonance at work here. A large majority of sumo fandom simply does not understand the true nature of the sport it follows. Boys and young men, initiated into a closed, secretive and violent Darwinian world, where their station in life is determined by an ability to physically dominate those around them, are expected to be the embodiment of fictional stoic samurai. That’s a presumption as unrealistic as the frog crossing a river with the scorpion on his back.

「問題はもっと根深い。大方はほとんど注意も払わないが、相撲界の現実とファンの競技への認識は断絶している。17歳の斎藤俊(たかし)君が亡くなった2007年の暴行死事件をきっかけに相撲界は変わった、とファンは思っている。」
「ところが現実は違うのだ。この認識のズレは過小評価すべきではない。大相撲ファンは相撲という競技の内実を理解していない。若い力士たちは秘密主義で弱肉強食の閉鎖社会に放り込まれる。そこでは肉体的に周囲を圧倒する能力で人生の地位が決まる。にもかかわらず、外部からは禁欲的な侍精神の体現を求められるのである。サソリを背負ったカエルに川を渡れというくらい非現実的な要求だ。」

関連記事日馬富士問題、10年前暴行死した力士の父「相撲界変わってない。俊の死は何だったのか」


“cognitive dissonance” は認識のズレ(不一致)。”closed, secretive and violent Darwinian world” は強い表現。少々厳しすぎる見方のようにも思えるが、角界の内情を知る筆者なので自信を持ってそう言っているのだろう。

相撲の現場は暴行事件の頃と何も変わっていない(暗黙の裡に、暴行死事件を起こした時津風部屋固有の問題ではないと言っている)。変わったのはファンの “感情” だけだ。

角界入りした若者は懲罰的で閉鎖的なダーウィン的淘汰の世界にいまも投げ出されたままだ。もしこれが事実なのであれば、そのような変わらない現実を指摘するのがメディアの役割のはずだ。しかしそこまで踏み込んだ報道は目にしたことがない。そしていまも安全圏から、”聖域” にメスを入れようとする貴乃花への風当りを強めている。

相撲部屋はゼロサムゲームの世界

These kids’ (and that’s all they are in most cases) lives are a zero-sum game where success depends on others failing. Less than 3 percent of all rikishi who ever join ozumo make it to the salaried ranks. For the rest, life consists of getting up early every morning and fighting (not sparring) for hour upon hour with those who share your living and sleeping space. The physical pain lessens once keiko ends, but the emotional and mental stress never does.

「入門した子どもたち(相撲を除けばそこらにいる子どもと変わりない)の生活は、仲間の誰かの脱落が自分の成功を意味するゼロサムゲームの世界である。十両に上がって給金を貰える力士は入門者全体の3%に過ぎない。残りの弟子たちは、寝食をともにする相手と(けっしてスパーリングではなく)戦うことに生活を費やす。肉体の疲れは稽古が終われば癒えるが、感情面、精神面のストレスは決して解消しない。」

Most people have heard about the getting up at 4 a.m. to clean toilets and waiting hand and foot on younger rikishi, but how many are aware of the constant bullying and harassment that goes on in several stables?

「彼らが午前4時に起床してトイレ掃除をし、若い力士の手足となって働くことは聞いたことのある人も多いだろう。だが、いじめや嫌がらせが常態化した部屋がいまだに複数存在することを知っている人は何人いるだろう。(以下略)」


“wait on [someone] hand and foot” は(奴隷のように)身の回りの世話をすること。”stable” は相撲部屋。親方は “stablemaster”。

断定的すぎるきらいはあるが指摘自体は重要だ。社会は(その無知がゆえに)子どもをゼロサムゲームの世界に放り込んで平気だ。そのくせ若者が頂点に登りつめた瞬間、”品格” を問うのである。戦場の兵士に博愛精神を求めるような冷酷な仕打ちではないか。

sumo.jpg

相撲部屋は『蠅の王』の世界でもある?

Let’s be honest, I could go on listing far worse things I’ve personally witnessed or heard about from rikishi all day, but the point is, when you take all freedom, money and rights away from hormonal young men and expose them to constant physical and mental pressure, then the path of release for their emotions is often an unhealthy one. Sumo beya can turn into “Lord of the Flies”-like environments very quickly unless overseen by a strong stablemaster who knows how to use a firm hand as well as create outlets for all the pent-up rage and adrenaline.

「個人的にはもっとひどいことを直接目撃したり、力士たちから聞いたりしている。しかし筆者が言いたいのは、成長期の若者から自由、カネ、権利のすべてを奪い、肉体的精神的プレッシャーに晒し続ければ、感情の鬱屈が不健全なかたちで晴らされるのは当たり前ではないかという点だ。部屋を預かる親方が、毅然とした対応ができ、弟子たちの鬱積した怒りとアドレナリンのはけ口を作ってやれるような強い人間でない限り、相撲部屋は瞬く間に『蠅の王』の世界になってしまう。」


“Lord of the Flies” は限界状況での悲劇を描いた有名な孤島もの小説(参考Wiki『蠅の王』)。このたとえは相撲部屋を孤島に見立てている。限界状況に置かれて、仲間を蹴落とさなければ出世できない世界。鬱屈した若者のエネルギーが外へ向けて暴発する可能性は低くないだろう。

Oyakata like that, though, are too few and far between. If sumo stables are like families, then they run the gamut from Von Trapp to Manson. The reality, of course, is that for many if not all of the stablemasters the only life they know is one that was even harsher. It takes a strong mentality to be able to enact change in a world that isn’t known for accepting it.

「そんな強い親方はきわめて稀にしかいない。相撲部屋を家族にたとえるなら、そこにはフォン・トラップ一家もマンソン一家も、ありとあらゆる種類の家族がある。現実の親方衆は、すべての親方とは言わないが、もっと過酷な環境しか知らないで育った人間たちである。変化を望まない世界を実際に変えるなど、相当タフな精神力がなければできるものではない。 」


“few and far between” は「きわめて稀な」を意味するイディオム。

“run the gamut from Von Trapp to Manson” は、”run the gamut form A to B” で「AからBに至るすべての範囲に及ぶ」の意。”run the full/entire gamut of [something]” のかたちでもよく使われる。

Von Trappはオーストリアの一家。映画『サウンド・オブ・ミュージック』のモデルとなった家族で、仲睦まじい家族の象徴。Mansonは殺人を含む凶悪事件で社会問題化したチャールズ・マンソン一家のこと。凶暴な家族の象徴。

脳損傷という科学的見地からの問題点

Compounding the problem, a lifetime of repetitive brain trauma has left some elders clearly suffering from the effects of CTE. The concussion crisis plaguing football hasn’t yet reached sumo though, so it’s doubtful most are even aware of the issue.
It’s hard to see sumo fundamentally modifying either its nature or the stable system — something that has existed in more or less its present form for hundreds of years — that is unless the Harumafuji incident gets turned into a power play by Takanohana.

「さらに問題が複雑なのは、生きている間に繰り返し脳に損傷を与えると老齢になってからCTEの症状に見舞われる人がいることだ。アメフト界を揺るがせた脳震盪(のうしんとう)危機はまだ相撲界に波及しておらず、大方はそうした健康問題の存在すら知らないようだ。部屋制度は現在のようなかたちで数百年間も存続してきた。そのような相撲界に根本的な変化を求めるのは難しいと思っていたが、貴乃花が日馬富士にパワープレイを仕掛けて雲行きが変わった。」


“CTE” は慢性外傷性脳症の英略語(参考Wiki慢性外傷性脳症)。相撲は立ち合いで決まると言われる。肉体と肉体が渾身の力でぶつかり合うことは脳に突発的なショックを与える。それが日常的に繰り返されているのだから脳に影響が出てもおかしくない。実際に2011年頃、アメリカでCTEが大問題になったようである。

“power play” は球技で(反則などで人数の減った)敵より人数が多い状態で攻撃を仕掛けること。ここでは貴乃花親方が警察に被害届を出して内々の幕引きの可能性を断った行動を指すが、先も指摘したように、メディアはむしろ相撲協会側に与し、逆パワープレイの状態へ持ち込もうとしていないか。

貴乃花の強い意思

Soon after he became a sumo elder, the former yokozuna talked freely about dramatically reworking the sport, abolishing heya and giving rikishi freedom similar to professional athletes in any other sport. So strong was the reaction though that he soon backtracked on those ideas, but one gets the sense Takanohana never truly abandoned his reformist notions and if he does become rijicho, expect to see widespread and sweeping change.

「この元横綱は現役を退くやいなや、部屋の廃止や、他の競技の選手のような自由を力士に与えることなど相撲界の劇的リメイクについて自由に抱負を語ってきた。じきにそんな考えは撤回するだろうとの大方の見方は外れた。貴乃花が改革の意思を曲げた様子はないからだ。もし彼が理事長に就任すれば相撲界全体が大変革を迫られると見られている。」

Until then, though, it would be good to see a little less outrage and indignation when modern-day gladiators fail to prevent the aggression they are trained day and night to develop, from spilling over into their lives outside the ring.

「そのときが来るまでは、日夜鍛えられた現代の闘士たちの攻撃性は土俵外の生活へ溢れ出ざるを得ない。少々スケールダウンした、彼らの怒りや義憤の発露を我々は見続ける以外ないのだろう。」


引用記事は以上で終わり。この内容、どう思われるだろうか?ざっと思いつくだけでも、次のような疑問が湧いてくる。

  • 本当に、若い力士たちはゼロサムゲームの限界状況に置かれているのだろうか?
  • 十両に上がれなかった9割以上の若者はどうなるのだろうか?受け皿はちゃんと用意されているのだろうか?
  • 日本人の横綱が生まれなくなったのは、”悪い評判” が力士候補生の間に広まってしまっているからではないか?
  • 国技という割に、それを支える人間を大切にしない角界の気風はいつ始まったのだろうか?

しかし答えは容易に見つからない。

相撲界の内在的問題

引用記事を整理すれば、論点は次の通りだった。

  • ゼロサム社会の出身者に品格を求める矛盾
  • 懲罰的な閉鎖社会で若者が受ける肉体的虐待(脳損傷リスク)と精神的ストレス
  • 事態の改善に動かない相撲協会(組織内改革の不可能性)
  • 改革に動く少数派としての貴乃花親方の孤立無援

以上をひとことで表現するとするなら、相撲界の “非人間性” こそが、記事タイトルが示唆する相撲界に内在する問題( “inherent problem”)といえるだろう。

おそらく貴乃花親方が改革によって取り除こうとしているのは、このような “非人間性” である。彼は相撲というものを非常に真剣に考え、相撲が “闘争” と “神事” の両面を起源に持つことに自覚的だ。

貴乃花親方が万葉学者中西進の著作集に寄せた文章から引用してみる(出典「中西進先生と相撲道」)。

相撲の道を志すものは、「強くなりたい」という思いと同時に、「日本の伝統文化を守る」という強い意志が必要だと私は常々考えて参りました。それと同時に、相撲を通じて古来から脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていくことが、相撲に関わるすべての人間に課せられた義務であると考えております。

現代の相撲界は「強くなりたい」要素が支配し、懲罰的で閉鎖的なゼロサム社会を是認してしまった。それが多くの若い犠牲者を出している。

「日本の伝統文化を守る」要素を復興させるには、このような陋習を断ち切らなければならない。貴乃花親方はそのように考えているのではないかと思う。

トコシエのひいき目だろうか?

いずれにしろ、事件の関連報道を通じてこうした本質的な次元へ関心を向けないメディアも、そして当事者たる相撲協会も、本当に残念な人たちだと思う。