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【アメリカのジレンマ01】奴隷制の暗い影:アメリカの一流大学を覆う歴史抹消衝動

宗教, 政治・社会, 文明文化の話, 歴史, 英語の話

アメリカ社会は奴隷制の影をずっと引きずっています。奴隷制は経済史的に見れば、安い労働力で綿花を生産し稼ぐ経済制度の一環でした。しかし万人の自由平等を謳った独立宣言との矛盾は明らかです。

We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.

この有名な人権宣言における “all men” に黒人は含まれていなかったことになります。”all” と形容している以上、この時点の “men” はアメリカに入植した人間もしくは白人と解釈するよりありません。

独立宣言以降のアメリカ史は、”all men” に有色人種や女性を含めていく過程でした。そして白人たちはいま、おそらく無意識的に、奴隷制のトラウマを拭い去るために「迂回戦術」を取っています。

まず人種差別の悪を認定して黒人を優遇します。そして(過去の白人の悪行への)黒人たちの抗議運動を許します。この迂回路を通れば、黒人の講義や圧力に対応するという大義名分のもとに、堂々と自分たちの過去の汚点を消し去ることができます。

その如実な例がイエール大学を騒がせているカレッジ名変更の事件です。今回はここから入り、ジョン・カルフーンというプレ南北戦争時代に活躍した奇妙な政治家の政治思想をもとに奴隷制について考えてみましょう。

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イエール大カルフーン・カレッジ名称変更問題と歴史健忘症

歴史抹消運動の一例を、以下の記事にあるイエール大学のケースで見てみましょう。

(※小見出しはブログ主によるものです。)

イエール大のジョン・カルホーン・カレッジ

抗議に屈した大学側

Yale, Calhoun College, and Historical Amnesia

Just last week, Yale University announced that it would rename Calhoun College, reversing an April 2016 decision to retain the residential college’s name, which honors the Antebellum South’s foremost politician, John C. Calhoun of South Carolina. For decades, Yale has heard objections to the Calhoun College name, based mainly on his provocative defense of the institution of slavery. More recently, the university has found itself caught up in the nationwide wave of student protests demanding the renaming of various historical institutions.

ちょうど先週イエール大学が同校の寄宿制カレッジ「カルフーン・カレッジ」の名称を変更すると発表した。このカレッジ名はサウス・カロライナ州出身で、南北戦争以前の南部の著名政治家であるジョン・カルフーン(John C. Calhoun)を顕彰した命名で、イエール大は名称存続を支持した2016年4月の決定を覆すことになる。カルフーン・カレッジの名称を巡っては過去数十年、カルフーンが刺激的な言辞で奴隷制を擁護したことを主な理由に抗議が続いていた。歴史的機関名の変更を求める学生抗議運動はここ数年で全国的な広がりを見せており、イエール大も渦中に巻き込まれたかたちだ。

antebellum
戦争勃発前を意味するラテン語”ante bellum”から来たことばです。アメリカではこの単語はほぼ100%「南北戦争以前」の意味で使われます。

他校での動き

Students at Princeton have sought to remove Woodrow Wilson’s name from the School of Public and International Affairs, while students and faculty at the University of Virginia asked President Teresa Sullivan to stop quoting Thomas Jefferson, the school’s founder. At Yale and elsewhere, these efforts reflect a growing desire to be rid of the past, rather than to engage it objectively, and learn from the monuments of both success and failure.

プリンストン大の学生は公共政策大学院の名称からウッドロー・ウィルソン大統領の名を削除する運動を続け、バージニア大では学生と教員が共同でテレサ・サリヴァン学長に、(広報資料において)同校創設者トマス・ジェファーソンのことばを引用をやめるよう請願している。イエールはじめ、これらの運動は、過去を直視し成否両面から歴史に学ぶ代わりに、文字通り過去を消し去りたい欲望の高まりを示している。

南部の著名政治家カルフーン

If you ask undergraduates what they know of John C. Calhoun, they will most likely tell you that he owned slaves. A somewhat more astute student might point to some of his speeches on the floor of the Senate and in particular his racist apology for the institution of slavery. Virtually none will be inclined to grapple with the central questions about majority rule that his constitutional theory addressed.

イエール大の学部生にカルフーンについて尋ねれば、カルフーンは奴隷所有者だったと答えるだろう。もう少し気の回る学生なら、上院議会でのカルフーンの演説、特に彼のいかにも差別主義者らしい奴隷制の弁明演説について指摘しそうだ。カフフーンが立憲思想をもとに提起した多数決をめぐる中心課題にあえて取り組む者はほぼ皆無ではないか。

※「立憲思想をもとに提起した多数決をめぐる中心課題」については後述します。

奴隷制擁護の汚点?

Yale’s desire to disavow the nation’s foremost apologist for slavery, who galvanized the Southern movement toward secession, is understandable. And Yale is to be commended for the deliberate consideration its Committee to Establish Principles on Renaming and its board of trustees, the Yale Corporation, have given this issue.

南部を分離運動に駆り立てた奴隷制擁護の急先鋒との関係を否定したいというイエールの気持ちは理解できる。イエールは名称変更の原則を制定すべく専門委員会を立ち上げ、専任理事によるイエール・コーポレーションにこの問題を委任した。

But it is troubling that Yale’s acquiescence may embolden a more indiscriminate erasure of historical memory at America’s elite colleges and universities. Elihu Yale avidly participated in and richly profited from the slave trade.

Now that Yale’s president Peter Salovey has presided over the erasure of Calhoun’s name, is he ready to address the Yale Corporation about setting its sights on that yet bigger target? And what will be the educational and social benefit ultimately of the current wave of defenestrations? The slippery slope of hiding away historical figures who do not meet the ethical criteria of a later age can be steep indeed. Witness, for example, the removal of the statue of Mahatma Gandhi—whose positive influence on the American civil rights movement is beyond dispute—from the University of Ghana campus for racist sentiments he expressed.

しかしイエールの唯々諾々の態度が、他の一流大学でも無差別的な歴史的記憶の抹殺行為を助長することが懸念される。イエール大の生みの親エリウー・イエールは熱心に奴隷貿易にいそしみ巨富を成した人物だ。

カルフーンの名の抹消に動いた現学長ピーター・サロベイが、イエール・コーポレーションに大学名そのものの変更を検討するよう促す可能性すらあるだろう。そうなれば、現在の偉人放逐の流れには結局、どんな教育的、社会的意味があるのだろう?このまま次々と今日的倫理基準を満たさない歴史上の人物が闇に押し込め続ければ、ハードルはどんどん下がっていくだろう。例えば、マハトマ・ガンジーがアメリカの公民権運動に与えたプラスの影響は議論の余地がないが、ガーナ大学ではガンジーの黒人侮蔑的な発言を理由に同大のガンジー像を撤去したという。

広がる歴史記憶の抹消運動

ACTA’s 2016 report, No U.S. History?, found that 53 out of 76 top-ranked institutions (including Yale) do not require their history majors—let alone all undergraduates—to complete even one course in U.S. history. And already, Yale’s announcement has spurred renewed efforts at other schools to remove disfavored historical figures.

ACTA(全米理事・同窓生協会)の2016年報告書 “No US History?” によれば、イエール大を含む上位76大学のうち53校では、学部生はおろか歴史学専攻生にも米国史の履修を必須化していない。イエールの動きを受け、すでに他校でも好ましからざる歴史上の人物を抹殺する活動が盛んになっている。

カルフーンの功罪と過去の全面否定

More than any other thinker of his era, Calhoun raised constitutional questions that were resolved by the sword. Disavowing unsavory historical figures is easy—seriously answering challenging questions about American history is more complicated.

カルフーンは、武力で解決されてきた憲法上の問題を、同時代のどの思想家よりも強力に提起した。 歴史上の問題人物を否認するのは簡単だが、アメリカ史の直面する困難な課題に真摯に答えようとすることはそう簡単でない。

<記事引用終わり>

独立戦争時の状況

ジョン・カルフーンの危険な政治思想

カルフーンは南北戦争直前に亡くなった世代の人で、南部諸州の連邦離脱(secession)に大きな影響を与えた政治家です。カルフーンが奴隷制擁護の論陣を張ったのは事実ですが、それは必ずしも彼が人種差別主義者だったからではありません。

南北戦争前の経済状況

カルフーンの動機はむしろ、北部と産業構造が異なり、人口比でも劣勢にあった南部諸州の主権(自治)ならびに経済権益を守ることにありました。

工業化した北部:輸入品に関税を課す保護主義 vs 農産物輸出中心の南部:輸入品の価格高騰を嫌い関税に反対

農産の南部、工業化の北部

1770年代にイギリスで紡績機が発明されて綿工業が発達すると、綿製品が世界中に輸出され普及していきました。このため、アメリカ南部では従来のタバコよりも綿花が盛んに栽培されはじめ、瞬く間にアメリカ最大の輸出商品となりました。奴隷制なしに南部諸州の経済は成り立たなかったわけです。

カルフーンの無効性と競合的多数決

上の英日対照部分に出てきた「立憲思想をもとに提起した多数決をめぐる中心課題」とは何かと言えば、カルフーンの無効性(nullification)と競合的多数決(concurrent majority)という政治思想を帰結します。このふたつはいずれも「多数派の横暴を許さず、少数派の権利を守る民主政治」の追求なので、「小さな政府」「政府の極小化」を好む保守派やリバタリアンには魅力的なアイデアです。

無効性の道はアナーキーに通ずる

無効性とは、中央政府の制定する連邦法が、ある州の州議会で違憲と判断された場合、その連邦法はその州内には適用されないとする立憲主義(憲法の連邦法に対する優越)を意味します。いわば各州に拒否権を与えるという発想です。しかしアメリカ憲法には連邦政府の決定は各州の決定に優越すると明記されているため、無効性の考え自体が違憲です。

無効性は悪魔のささやきです。実際、ささやかれた南部は連邦を離脱し南北戦争へ突入してしまいました。「気に入らなければ出ていけばいい」というのでは無政府主義と変わりません。数の暴力をけん制するあまり、そもそもの存立基盤である国家を解体してしまう、とても危険な思想なのです。

多数派の専制を封じる手立て?エゴ?

この点に関しては、競合的多数決に関する説明をした以下の英文記事にうまくまとまっているので紹介しましょう。

Calhoun’s most famous idea was the concept of the “Concurrent Majority:” the theory that all interests within states had to concur on the actions of the government. The idea behind this concept was to prevent tyranny of the numerical majority, which would supposedly lead to mob rule running roughshod over the interests of minorities, thereby denying them a say in government. Calhoun proposed two measures to prevent supposed tyranny of the majority: nullification, the idea that states have the right to invalidate federal law, and secession, in which states would withdraw from the federal Union.

カルフーンの最も有名な思想は、連邦政府の行動は連邦州のすべての利害と一致しなければならないとする「競合的多数決」の概念だ。この考えの背後には、数的多数派の横暴を阻止したい願望がある。もし多数派に専制を許せば、政府内での少数派の発言力を奪い、彼らの利害を完全に無視する衆愚政治につながりかねない。多数派の専制を起こさないようカルフーンは無効化と離脱の2つの措置を提案した。無効化は州が連邦法を無効にする権利を有し、離脱は州が連邦を脱退する権利を有するという考えである。

No less an authority than President Andrew Jackson — himself no fan of excessive federal government — recognized that Calhoun’s theory was blatantly unconstitutional. The constitution expressly grants the federal government power over the states, meaning that states cannot nullify federal law.

自身、政府の過度の拡大を好まなかったアンドリュー・ジャクソン大統領は、カルフーン理論の違憲性を認識していた。憲法は、連邦政府の州政府に対する優越を明示的に認めており、各州に連邦法を無効にする権利は存しない。

But beyond the legal issue with the idea of “Concurrent Majority,” it also created a deep philosophical problem: taken to its logical conclusion, Calhoun’s theory negated the very principle of democratic government and sowed the seeds of anarchy. Requiring all states and interests to agree on operations of the general government guaranteed the death of compromise and the perpetuation of governmental paralysis. Furthermore, if a state, or a municipality within a state, could simply secede from the Union whenever it found fault with federal laws, then the basic idea of democracy failed, and republican countries would devolve into ceaseless fracturing, threatening social and governmental order.

しかし法的問題を超えて競合的多数決は深い哲学的問題を孕んでいた。カルフーンの考えは民主政府の原理そのものを否定しており、それを論理的に突きつめれば無政府状態に至ってしまう。連邦政府の行動を全州の全利益と一致させなければならないなら、政治的妥協は存在しなくなるし、政府機能は永久に麻痺する。各州が、あるいは州内の各自治体が連邦法のあらさがしをするたびに離脱するのを許していたら民主制の基本原則は崩れる。そして共和政体は絶え間なく不協和音と社会的・政治的秩序崩壊の危機に晒される。

This is why Abraham Lincoln characterized secession as the “essence of anarchy,” and why he and the vast majority of northern states decried the secession of the slaveholding southern states in 1860 and 1861 as a violation of the experiment in democratic republicanism. Put simply: you can’t spend years drawing the benefits of membership in a federal Union and then pick up and leave when things don’t go your way.

エイブラハム・リンカーンが「離脱の本質は無政府主義」と喝破したのはこのためだ。リンカーンと北部諸州の大半は1860、1861両年の南部奴隷所有州の連邦離脱に際して、離脱は民主的共和制の実験を踏みにじる行為だと非難したのである。何年も連邦国家の甘い蜜を吸って調子に乗りながら、物事が思い通りに運ばなくなると出ていくなどありえない、というわけだ。

<記事引用終わり>

生命力の強いカルフーンの政治思想

とはいえ、もしカルフーンの政治思想が単なる奴隷制維持のために方便に過ぎなかったなら、とっくの昔に忘れ去られていたはずです。しかし、実際にはいまも離脱をちらつかせる州や自治体がアメリカには少なからず存在しています。

またカルフーンの数的多数決への疑いは日本にも適用できます。自民党は「数の暴力」に任せて都市部(特に東京圏)を栄えさせ、地方を疲弊させる政治を続けていますが、それで健全な民主政治と言えるのか。官僚が「数の暴力」を利用して中央支配を貫徹している様子は専制的とも独裁的とも言えます。だから彼らは景気を腰折れさせる消費増税に平気で邁進できるわけです。

ところが日本は天皇を戴く君主国家です。いくらリベラルが大きな顔をしても、日本人が天皇を廃して、カルフーンの無効性や競合的多数決の思想に飛びつくことは想像できません。その意味では日本の保守はアメリカの保守と決定的に違います。日本は血のつながる巨大な家族のような国で、アメリカは小さな家族の寄り合い所帯なのです。

ラッセル・カークによる評価

近代アメリカ政治にエドムンド・バーク流のヨーロッパ的保守思想を根づかせたと言われるラッセル・カーク(Russell Kirk)はその著書『保守主義の精神』(The Conservative Mind)の中で、カルフーンの政治思想を「アメリカ保守主義によって示された提案の中で、最も聡明で活力のあるものの一つであった」と高く評価しています。

保守思想の要諦

保守思想とは何かといえば、独裁を防ぐために、つまり人間の自由を守るために、いかに共同体の伝統と慣習から知恵を引き出すかの試みです。独裁を防ぐためには共同体という安定秩序が最も重要であり、保守思想から見れば、あらゆる近代主義(平等主義、功利主義、急進主義、リベラリズム、社会主義、産業主義、大衆主義などの諸イデオロギー)はすべて共同体秩序の破壊活動なので独裁の危険を孕んでいるのです。

原罪か?千年王国か?

保守主義と近代主義の最も大きな違いは、キリスト教のどこにフォーカスを当てるの違いです。

  • 保守主義者は基本的に人間の理性を絶対的に信頼する楽観を持ちません。つねに人間は誤り、不善を為すと考えます。つまり原罪意識が既定にあります。
  • 対して近代主義者は基本的に理性を信頼する楽観を選んだ人たちです。これは終末思想の重視です。ヨハネ黙示録にはキリストが再臨し、地上に千年王国を樹立する様子が描かれていますが、近代主義者が目指しているのはすべてこの千年王国なのです。

アメリカの二重性

奴隷制を擁護したカルフーンですが、彼の中には千年王国の発想は見られず、原罪意識に忠実です。共同体(南部)を守るために多数派の専横(実質的には北部による合衆国専制)をつねに警戒していました。その意味では愛国者なのですが、それはアメリカ愛といより南部愛なのです。惜しむらくは、彼の守りたい共同体の秩序が奴隷制という法的圧制(異人種に対する専制)によって築かれた秩序に過ぎなかった点です。当時のアメリカ人(いや白人全般)にとって「人権を有する人間=白人」だったのです(公平を期すなら、この「人権を有する人間=白人」の限界を乗り越えた功績は近代主義者、いわゆるリベラルたちに帰します)。

「解放と抑圧」「自由と差別」ー、この二重性あるいは両極性のジレンマと闘い続けることでアメリカは懐の深い文明国になりました。ところが、いまのアメリカはどうでしょう。イエール大の改称事例にも見られるように、都合の悪い過去を消し去ろうという単純な動機がアメリカの懐を食い破っています。リベラルの専横(これこそ数の暴力です!)がアメリカを浅薄な文明に作り替えようとしているのです。

とても危険で残念な事態です。

 

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