【近代史】芥川龍之介「神神の微笑」:西の海外進出と日本の “無思想” の抵抗
芥川龍之介に「神神の微笑」という小品がある。キリスト教に材をとった、いわゆる切支丹物(きりしたんもの)と呼ばれる作品群のひとつだ。
今回はこの作品の世界を、世界史の大きな流れの文脈で見てみたい。フランシスコ・ザビエルが日本宣教に乗り出した16世紀半ばは、現代につらなる近代(modernity)の起点に当たる時代だ。その時代に東西は出会った。その出会いの初めで日本人はどう外圧に対処したのか?芥川の冷静な分析を見てみたい。
※2019.1.27 大幅に改稿
破壊する力、造り変える力
主人公のポルトガル人宣教師オルガンティノは長年日本で布教を続けている。信者もできた。にもかかわらず日本の宗教風土に漠とした不安を感じ、幻視に悩まされている。一篇の主題は、二回目の幻視に現れる老人霊の、次の科白にほぼ尽きている。
英訳出典: Akutagawa A Week
“Many men will convert. But speaking of conversion, the people of this land have largely converted to the teachings of Buddhism. But our power is not that of destruction. It is that of change.”
「それは何人でも帰依するでしょう。ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分悉達多の教えに帰依しています。しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」
※「悉達多」はシッダールタ。お釈迦様の本名はガウタマ・シッダールタ。『シッダールタ』はヘルマン・ヘッセの有名な小説のタイトルでもある。
日本の精神風土が「破壊せず造り変える力」とは言いえて妙である。逆に見れば、キリスト教は「破壊して造り変える力」だと言っているに等しい。実際、そうなのである。
外へ向かう力、内へ向かう力
この「破壊して造り変える力」はキリスト教に限らず、ユダヤ教やイスラム教を含むアブラハム宗教の特徴でもある。ただひとつの神への帰依が、人間または社会を「破壊して造り変える」のだ。力は内に向かう場合と外に向かう場合がある。
- 内に向かえば、信仰者は肉体を「破壊」し、精神を「造り変え」ようとする。隠遁、修道、禁欲、殉教、登塔者といったキーワードで調べれれば、累々たる宗教者たちの歴史を学ぶことができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E8%80%85
- 外へ向かえば、キリスト教外部(異端、異教、非キリスト教国)を「破壊」し、それらの異物(野蛮)を「造り変え」ようとする。西欧列強が大航海に乗り出し、アフリカで奴隷を調達し、アメリカ大陸に渡ったとき、必ず付き添っていたのはカトリック宣教師だった。中世の日本も彼らの布教(mission)の対象だったから、オルガンティノは長く滞在しているのだ。
こうした激しい信仰心は異教徒の眼には病的に映る。事実、キリスト教文明はユダヤ人フロイトを通じて精神分析を生みだし、”合理的” に精神の闇を克服もしくは馴致しようとした。逆に、病的な信仰心は神に近づこうとするパワーを生む。彼らは強い使命感に燃えて世界中に進出し、持ち前の行動力で経済権益を拡張していった。自然環境に密着し、のんびり暮らしていた多神教世界は抵抗虚しく次々攻略されていった。近世以降の歴史は西洋による地球制覇の歴史であり、最後まで軍門に下らなかった異教徒が日本人だったことを示している。
近代の始まりの時代におけるキリスト教会の内部抗争
芥川がさすがだなと思うのは「作り変える力」を宣教師の内面に託して描いていない点だ。オルガンティノは実在の宣教師だ。小説の中ではかなり実像と異なった描き方がされているのではないかと感じるので、彼の名誉のためにも、実在のオルガンティノを少し紹介しよう。
オルガンティノの実像
人物像を引用とすると、「人柄が良く、日本人が好きだった彼は『宇留岸伴天連(うるがんばてれん)』と多くの日本人から慕われ、30年を京都で過ごす中で織田信長や豊臣秀吉などの時の権力者とも知己となり、激動の戦国時代の目撃者となった」とのことだ。手紙の中でもこう書いているという。
われら(ヨーロッパ人)はたがいに賢明に見えるが、彼ら(日本人)と比較すると、はなはだ野蛮であると思う。(中略)私には全世界じゅうでこれほど天賦の才能をもつ国民はないと思われる。
日本人は怒りを表すことを好まず、儀礼的な丁寧さを好み、贈り物や親切を受けた場合はそれと同等のものを返礼しなくてはならないと感じ、互いを褒め、相手を侮辱することを好まない。
この時代、おごっておかしくないはずの自分たちヨーロッパ人の方が野蛮だと認識できるのは、さすが「清貧と貞節」を旨としたイエズス会修道士(Jesuit)である。
芥川が描いた好人物の裏側
ところが、作中のオルガンティノはいかにもキリスト教徒らしく異教(paganism)、日本人の在来信仰を軽侮し、関心を示していない。彼がほめるのは日本の風物だけであり、日本人は一切関心の対象でない。
オルガンティノに関心があるのは、売上至上主義の営業部長のように、自分が何人信者を増やせるかだけだ。宣教はカトリック教会によるマーケティング、新規市場開拓なのである。
イエズス会の総合戦略
作品の舞台になっている16世紀という時代、ヨーロッパでは宗教改革が起こり、キリスト教の内部抗争が深刻化していた。カトリック教会は己の金権腐敗を自覚し、いわゆる「対抗改革」に乗り出した時代だった。それは宗教・精神面での闘争でもあったが、政治・経済面での動機はさらに強かったと思われる。なぜなら信者を失うことは教会にとって致命傷だからだ。
日本に宣教に来たフランシスコ・ザビエル(Francisco Xavier)はイエズス会の創設メンバーだったバスク人だ。余談だが、バスクは大西洋岸のスペインとフランスにまたがる地方だが、バスク語という孤立言語(周囲のインド・ヨーロッパ語族と系統がまったく違い、語順が日本語と同じ)を話す、出自不明の民族だ。
イエズス会は宗教改革直前にカトリック内の「綱紀粛正」、自浄作用を目指して設立された修道会で、社会正義の実現を追求する托鉢的で禁欲的な組織だ。彼らの活動はプロテスタントへの対抗、海外宣教(新たな信者獲得)、教育・社会奉仕(高等教育の普及、慈善運動)だった。現代にも通じる「お経とソロバン」で人心を掴もうという総合戦略である。
歴史は経済的動機を視野に入れないと見えてこない
特に重要だったのは経済的動機だ。イエズス会自身は清廉な人物が多かったかもしれないが、経営者(バチカン)から見れば営業経費の節約である。歴史学者も小説家も黙りがちなポイントだが、おおよそ宗教家の活動は想像以上に経済的動機が根差しているのだ。そう見ないと、宣教師が乗り込んだ先での殺戮や強奪のひどさが理解できない。
宗教改革は、ローマ教会への反抗であるとともに、神聖ローマ帝国の衣鉢を継ぐハプスブルク帝国の権益への挑戦でもあった。皇帝からも教会からも自立した経済主体たらんとする起業家が、宗教的な大義名分を掲げて新ビジネスを立ち上げたのだ。新事業の勢いは想像以上に強く、抵抗勢力は焦った。焦ったからこそ、奪われた信者の奪回には飽き足らず、海外へ活路を求めた。カトリック教会は当時の中心勢力だったスペインとポルトガルを西と東に分け、海外市場開拓を命じた。東担当のポルトガル国王に宣教依頼を受けたのがザビエルだったのである。
ザビエルに限らず宣教師自身は高潔な人格者だったかもしれない。彼らはけっして自らの手を汚さない。宣教師とセットで軍隊や商人が武器を持って海外へ渡る。実行部隊だ。現地の為政者を倒し、財産を強奪した後に、精神的なケアを宣教師が行う。卑劣と言えば卑劣な手段だ。
バテレン追放令の背景にも経済動機
日本でも事情は同じだ。宣教師たちは九州に上陸し、西日本を中心に熱心な宣教活動を行った。そのおかげで多くの切支丹大名が出来た。平清盛の勘合貿易の例がある。九州は海外交易の出入り口であり、全国統一を目指す信長や秀吉にとって、切支丹かぶれが海外商人とつるんで勝手にみやこの経済権益を侵すことは許しがたい危険と映ったに違いない。だからこそ弾圧に踏み切ったのである。
知らぬうちに浸透する「破壊せず造り変える力」
おそらくだが、芥川はこういうことをわかっていたから、敢えて実像と違う風にオルガンティノ像を描き出したのではないか。短い作品の大半はオルガンティノの内面描写と幻視によって構成されている。
先の「造り変える力」の科白は老人霊が終わり近くで発するのだが、むろんオルガンティノは承服しない。しかし彼が十分に「作り変える力」の影響を受けていることが、彼の無意識の呼びかけに歴然と示されてしまうのである。
“Amen, Enlightened God, light of our life, of great compassion and great mercy! When Thine humble servant departed from Lisbon, I offered my life to Thee. Because of this, no matter what hardships have befallen me, the light of Thine Sign of the Cross has allowed me to progress without faltering. Naturally, this is not my work alone. All on earth and in Heaven exists due to Thine glory.
南無大慈大悲の泥烏須如来! 私わたくしはリスポアを船出した時から、一命はあなたに奉って居ります。ですから、どんな難儀に遇あっても、十字架の御威光を輝かせるためには、一歩も怯ひるまずに進んで参りました。これは勿論私一人の、能よくする所ではございません。皆天地の御主おんあるじ、あなたの御恵おんめぐみでございます。
しばらく後、彼はまた神に呼びかける。
But somehow it is spread all throughout this country, like the waters of an underground spring. If this power is not first defeated, O Enlightened God, light of our life, of great compassion and great mercy, these heathen Japanese may never find their way to Heaven. For many days I have been worrying and worrying about this. I beg that Thee could somehow find it to grant to your lowly servant Organtino bravery and endurance?“
が、とにかくその力は、ちょうど地下の泉のように、この国全体へ行き渡って居ります。まずこの力を破らなければ、おお、南無大慈大悲の泥烏須如来デウスにょらい! 邪宗に惑溺した日本人は波羅葦増(天界)の荘厳しょうごんを拝する事も、永久にないかも存じません。私はそのためにこの何日か、煩悶はんもんに煩悶を重ねて参りました。どうかあなたの下部、オルガンティノに、勇気と忍耐とを御授け下さい。――
オルガンティノが日本で宣教していなければ、あるいは、彼が日本人切支丹の影響を受けていなければ、「南無大慈大悲泥烏須如来」という呼びかけは絶対出てこないはずである。デウスは、彼の中で如来に「造り変え」られている!
芥川は老いた霊に科白を吐かせる前に、さりげなく伏線を貼っていたのである。最初の幻はヤマザクラ、次の幻は天岩戸前での乱痴気騒ぎ。いずれも日本を代表する要素である。それを拒むかに見えるオルガンティノは、思わず「南無大慈大悲の泥烏須如来」と発してしまう。この機微が絶妙にうまいと思うのである。
キスリスト教との接触、交流の不可逆性
宗教は人間文化の深い部分に直結するから、布教が軋轢を生むのは当然だ。宣教師は奴隷商人でもあったから、多くの日本人がフィリピンや東南アジアへ売り飛ばされたらしい。日本は日本でアジアの海に海賊を輩出していたから、西洋人の手先として働いた者もあったろう。
東西交流はそのように進んでいったのだが、作中、日本人がさかんに「土人」と呼ばれているように、オルガンティノの時代は欧州が平気で日本を見下せる国力の差があった。にもかかわらず、オルガンティノは幻視にさいなまれるほど衰弱している。無意識のうちに「如来」と呼んでしまうくらい日本に影響されていた。
この影響は仄めかしに終わっている。そこが芥川の余情であり、ここをグダグダ描き出すと遠藤周作になってしまう。
明治開国後の苦悩
伴天連(神父padreのこと)への日本側の対応は一貫していた。織田信長⇒豊臣秀吉⇒徳川家康によって切支丹の布教が禁じられたからである。
むしろ日本人がアイデンティティ・クライシスに直面するのは、全面開国へ舵を切った明治維新以降である。
芥川の生きた時代は特に大変だった。開国して半世紀が経っている。二日酔いが直る間もなく西洋の文物を大量導入した挙句、古き良きガーデン・アイランドは西洋建築と舗装道路で覆われた。当時は資本主義の矛盾が社会主義を流行らせ、近代的価値観が疑われ始めていた。日本はキリスト教(資本主義)とよく知りあう前に棄教(マルクス唯物論)を迫られるような股裂き状態に晒されていたのである。
持続するキリスト教への関心
もともと神経が細く鋭敏な芥川は精神の均衡を保つためか、生涯キリスト教にこだわりを持ち、聖書と睨めっこしていた。その中に西洋人の悪魔と神のどちらも読み取ろうとしたのだろう。彼は、こいつらめと思いながら、以下のように次々と切支丹物を生んでいった(※これらの大半は青空文庫で無料で読める)。
作品名 | 発表時期 |
---|---|
『煙草と悪魔』 | 大正五年十月 |
『尾形了斉覚え書き』 | 十二月 |
『さまよへる猶太人』 | 大正六年五月 |
『るしへる』 | 大正七年八月 |
『奉教人の死』 | 九月 |
『邪宗門』 | 十一月 |
『きりしとほろ上人伝』 | 大正八年四月 |
『じゅりあの・吉助』 | 八月 |
『黒衣聖母』 | 大正九年四月 |
『南京の基督』 | 六月 |
『神神の微笑』 | 大正十年十二月 |
『報恩記』 | 大正十一年三月 |
『おぎん』 | 八月 |
『おしの』 | 大正十二年三月 |
『糸女覚え書』 | 十二月 |
『西方の人』『続西方の人』 | 昭和二年七月 |
芥川の関心は初期の殉教や棄教から、やがてキリストその人へと移っていく。遺作はキリストの生涯を断章でつないだ「西方の人」だ。ここには「人の子」でありながら人の子ならざる超越的な次元へ超え出ようとするひとりの人間としてのキリストが描かれている。
キリストは徹頭徹尾、現場で思想を体現する “ジャーナリスト” なのだと芥川は言う。そのような生き方は矛盾の塊であるが偉大である、と認めていた。しかし芥川がいくらキリストを尊敬し愛していようが、芥川とは無縁の資質である。
キリストには律法学者(為政者の象徴)批判、堕落したユダヤ社会の世直しという強い動機がある。芥川当時の世直しは社会主義である。彼はそれなりに関心を示し、文献なども読んだようだが、社会改良の方面にはついぞ心が動かなかった。このような非(脱)社会的傾向、無為(inaction)を好む生き方は日本の知識人一般に通底する資質ともいえる。日本では伝統的に思想を文字通り生きる人、いわゆる行動する人は尊ばれない。
それはなぜか?
三島由紀夫が終生抱えていた問題意識でもある。
近代文学者たちの自己批判
坂口安吾の表現を借りれば、以下のような理由による(引用は青空文庫「思想と文学」より)。
人間通の文学というものがある。人間通と虚無とを主体に、エスプリによって構成された文学だ。日本では、伊勢物語、芥川龍之介、太宰治などがそうで、この型の作者は概して短篇作家である。
虚無というものは思想ではない。人間性に直属するもの、いわば精神的人間性というような原本的なものだろうと私は思う。
思想というものは別物で、これは原本的なものではない。よりよく人生を構成発案して行こうとするもので、やってみたって、タカが知れている、そう言ってしまえば、まことに、その通り、タカが知れてはいる。無限の人間の時間にくらべれば、五十年の人生は、いつもタカが知れているのである。
日本文学は古来人生を白眼視の悟り屋に敗北しているから思想性の文学が起らなかった。
ここで思想と呼ばれてのは一般にイデオロギーと呼ばれているものに近い。坂口は、日本文学は社会に働きかけることなく、自然の中へ埋没しそれに流されて生きることを選ぶ、隠者の文学だというのである。
同様の批判は萩原朔太郎も書いている(引用は青空文庫「ニイチェに就いての雑感」より)。
真の意味の哲学者とは、哲学を学問する人のことでなくして、哲学する精神を気質し、且つメタフィヂックを直覚する人のことである。即ち真の哲学者とは、所謂「哲学者」の謂でなくして「詩人」の謂である。詩人こそ真の哲学者であると。文学者がもし真の文学者であるならば、このベルグソン等の意味に於ける哲学者でなければならない。
ところが日本の文壇には、その哲学者が甚だすくないのである。日本人は昔から「言あげせぬ国民」であり、思考したり哲学したりすることを好まない。日本の詩人は、芭蕉、西行等の古から、大正昭和の現代に至るまで、皆一つの極つた範疇を持つて居る。その範疇といふのは、単に感覚や気分だけで、自然人生を趣味的に観照するのである。日本の詩人等は、昔から全く哲学する精神を欠乏して居る。そして此処に詩人と言ふのは、小説家等の文学者一般をも包括して言ふのである。
ここでは、哲学する精神から「メタフィヂックを直覚する」「詩人」がニーチェのような哲学者であり、日本の文学者はそのように「メタフィヂック」を思念することを嫌い、自己の感覚の範疇で自然や人生を眺めるだけだと批判されている。
この手の日本批判はある種の伝統になっている。戦後も、似たような日本人の無思想性、あるいはメタフィジックス(形而上学)への拒否反応はさかんに批判され、揶揄され、”反省” を促されてきた。当然、西欧の思想性や形而上学の伝統に学べという結論になるのだが、ブログ主にはそれが当たっているようで当たっていないように思われる。
坂口安吾や萩原朔太郎のいうことは現象的には正しい。日本人の特質をよく見抜いていると思う。ところが、すんでのところで取り逃がしているのは、まさにそれこそが日本人の思想性なのだという点なのである。
無思想という思想
冒頭に掲げた「神神の微笑」でオルガンティノが不安におびえる不気味なものの正体こそ、この日本人の「自然に従っていればよい」という無言の思想なのである。水と緑に恵まれた日本が、砂漠生まれの宗教を受け入れられるはずがないのだ。それは頭でするものではない。頭はいくら西洋に降参しようとしても、からだがついていかない。
500年前のオルガンティノの時代、それはちょうど近代の入口の時代だ。すでに日本人は古代に受容した仏教を見事に「日本仏教」に変質させていた。神仏習合とは裸のからだ(神々)に立派な衣装(諸仏)を着せる行為である。日本人は本能的に裸(太古人の精神性)を守ろうとしたのだ。それは敵対や破壊を伴わない。柔(やわ)し造り変えるだけである。
なぜかといえば、自然は時に凶暴ですべてを奪い去る。大地は揺れ、嵐が作物を台無しにする。人々は途方に暮れる。でも、何とかやり過ごせば自然はまた穏やかになって恵みをもたらしくれる。その循環を日本人は信じているからだ。
一方で萩原のニーチェは「破壊する力」の文明に生まれ殉じた人である。この破壊性は、裏を返せば構築への意思であり、神への信頼に支えられている。破壊は再生のためのプロセスに過ぎない。世界は完成に近づいている。やがて最後の審判のときが来て神の国に迎えられる。
その意味では、伝統社会が生んだ資本主義を否定するかに見えたマルクス主義の唯物論も、同じ発想に貫かれている。人間社会は原始状態から様々な発展段階を経て、最後は理想の共産社会へ生まれ変わるというのだから。
ルーツの否定が強迫神経症的なリアクションを生む
西欧の鋭敏な知性が、なぜここまで本源的なレベルで苦しむのかといえば、ギリシャ以前と以後を分け、ギリシャ以前を切り捨てたからだろうと思う。帰るべき故郷を失ったのだ。
言語系統学や考古学の知見からはっきりしていることだが、欧州文明のルーツはインド=イラン(いわゆるアーリア人)の精神文明にある。キリスト教は、古代オリエントのエジプト、イスラエル、メソポタミア、ペルシャ、インドの諸要素とギリシャ文明が混淆し出来上がったものだ。しかし西洋人がアイデンティファイできるのはギリシャ・ローマまでで、それより東はすべてオリエントとして外部化する。もう2000年以上、異教(pagan)、異端(heresy)、悪魔(devil)、悪霊(demon)、妖精(fairy)などのかたちで遠いルーツを拒絶してきた。
その抑圧は強迫神経症のようなかたちで折に触れては彼らの精神を揺さぶり、不安にし、外部に敵を設けて発散されることになる。
自然(じねん)と自然(しぜん)を受け継ぐ日本人
日本には、そうした欧州的な原郷否定の意識はない。一応表向きは中国あたりにルーツを求めることになっているが、いつも本音では半信半疑である。そのせいもあるのか、西欧的な革命や構築は眼中にない。
日本人は自然を対象化しないのだ。日本人の中で、人間は自然の一部であり、だからこそ山や石や川や虫や草や木はすべて神なのである。
キリスト教文明は逆だ。自然は神が作った被造物であり、人間は神の代行としてその被造物を「作り変える力」を与えられ、その力を発揮する使命を負っている。これがヒューマニズム=人間中心主義の本来の意味だろうと思う。
驚くべきことに、明治に入るまで、”nature” に対応する日本語は存在しなかった。自然(しぜん)は仏教の自然(じねん)から援用された訳語に過ぎないのである。日本人がいかに自然と一体化した意識を持っていたかわかるだろう。日本の学者には大した思想家はいない。でも職人や芸術家には端倪すべからざる思想家が多くいる。おそらく後者が自然(じねん)と向き合い、自然(しぜん)と呼吸を合わせながら働いているからだろう。
いや、土建屋は山を削り木を倒し、それでダムを作り道路を造って国土を改変して平気じゃないか。東京のどこにそんな自然への服従が残されているんだ。モグラのように地下を縦横に掘り進んで地下鉄だらけじゃないか。
そういう声が聞こえそうである。それはそうなのだが、根っこの感性は受け継がれている気がする。日本人はいまもキリスト教を横眼で眺め(キリスト教徒は全人口の2%にも満たない)、そのバックボーンたる破壊=革命の思想を受け付けていないではないか。日本人の言う「改革」は漸進的改良ということに過ぎない。
芥川は西洋の文献にも漢籍にも通じた最終世代に属するインテリだった。彼のこころはつねに揺れていた。でもキリスト教文明を貫く人間中心主義はない。ぎりぎりのところで日本精神に奉じていたと思う。
ディスカッション
コメント一覧
62歳になってずっともやもやしていた考えが晴れる様な、そんな文章をありがとう。この世の創造主がいると言う考え方は、この世の外に創造主が居なければなりません。この世の創造主が居ないという考え方は、この世自体が創造主だということだと思います。この場合に万物に神が宿ると感じるのだと思います。
アラジンさん
コメントありがとうござます。おっしゃる通りだと思います。東西は、神を外部に置くか置かないかで違う道を歩み始めましたが、結局は「解釈」の違いにすぎないのかもしれませんね。