【英語で学ぼう仮想通貨09】地域通貨など草の根の潮流とBankor

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お金の仕組みのおさらい

前回までの「英語で学ぼう仮想通貨」シリーズで、現在のお金の仕組みの基本を説明した。ざっくばらんにポイントを示すと次の通りとなる。

  • お金は銀行から貸し出されるとき負債として創造される(信用創造:money creation)。
  • 負債として市場へ投げ込まれた爆弾は爆発しないよう注意深く扱われ(=借り手は一生懸命働き)、利子を連れて銀行に戻ってくる。負債はこのとき銀行のコンピュータ上で消滅し、市場から吸い上げられた利子だけが残る。

この仕組みがまずいのは、まず第一に、お金が負債として市中へ産み落とされるという点だ。銀行圧倒的有利のハンデ戦!

さらに困ったことに、金融経済の規模が膨れ上がり、実体経済=主、金融経済=従という本来の経済秩序を逆転させてしまった。経済下剋上!足軽だったサルはいまや殿より上座でふんぞり返っている。

金融経済は本質的にバブル、破裂のツケは最終的に国民が支払う

しかもこのサルは必ず肥満する体質なのである。金融経済はいつしかご主人に気兼ねなく独り歩きを始めた。お金がお金を生むマネーゲームのはじまりである。サルの金融経済が殿の実体経済と完全に切り離されて遊んでいるならさほど問題はない。

ところが、サルは殿の作った米や城を担保に遊んでいるのである。サルがしくじれば殿の財産が没収されれる破目に陥る。金融バブルの崩壊は必ず実体経済が尻ぬぐいをする掟書きがあるのである。

サルの火遊びは幕府勘定方(中央銀行)でも始末に負えない巨額なレベルに達している。いまもあちこちで取り付け騒ぎ(金融危機)が起こるのは、サルの金融経済の本質がバブルだからだ。バブルは破裂せざるをえないからバブルなのである。バブルが破裂すると、膨大な(本来存在しないはずの)負債だけが残る。

その尻ぬぐいは民百姓が年貢(国民の納税)というかたちで行う。簡単にいうと、”無いお金” をもとにこさえた借金が、”有るお金” で弁済されるわけだ。その分、国民経済から富はどこかへ消えていくのである。

  • そもそも無いお金が招いた危機を、なぜ有るお金で償う必要があるのだろうか?
  • いったいこのわけのわからないお金はどこへ消えるのか?
  • いったい誰が得をし、消えたお金はいつか市場へ戻ってくるのだろうか?

これらの答えを考えてもらえば、この世の中の理不尽がわかってくると思う。

経済における主客転倒現象

いまも基本原理は何も変わっていない。金融が媒介する “価値” を生み出すのは、お金ではなく、あくまで実体経済、すなわち人間である。お金は実体経済の血流をよくするための道具に過ぎない。ところが、10970年代前半、ゴールドの裏付けがなくてもお金は自由に発行してよいことになった(ニクソンショック)。先進国の人間が集まってそう決めたのである。

いまも人間は金融危機を回避する術を知らない。原因は上述のように単純でわかりきったことなのに誰も止められない。仮想通貨の急騰に見られるように、いまも何らかのアセット(金融商品)のバブル化は不可避である。裏付けのない価格高騰はある時点で破裂する。そのことが生む悲劇も後を絶たない。

トコシエごときの言うことに疑問がおありだという方は、以下のリンクにあるイングランド銀行自らの説明をお読みいただければと思う。信用創造の実態を悪びれもせず、あっけらかんと説明している。

出典“Money Creation in the Modern Economy” Quarterly Bulletin 2014 Q1

アメリカとは異なる欧州における仮想通貨の潮流

戦後の日本はどうしてもアメリカに目が向きがちである。しかし同じ仮想通貨でも欧州にはアメリカとは明らかにスタンスの異なるアプローチが存在している。今日はそれを紹介したい。

非常にざっくり表現すると、アメリカはリベラリズムとリバタリアニズムが主流の動きで、良くも悪くも歴史性や伝統から自由である。戦後グローバリズム経済を牽引してきただけに、そのこと自体への批判意識や反省の色は薄い。

これに対して古い歴史を持つ欧州では、グローバリズムの行き過ぎへの拒否反応が強い。伝統的共同体への郷愁のようなものが底流にある。政治思潮的には社会民主主義として語られるような価値観である。

とくにゲルマン系のドイツとオランダの辺りは地域通貨(community currency、local money)というコミュニティ主体で運営する通貨が草の根でずっと継続してきた。地域通貨はユーロとは違って地域主体の経済活動に主に使用するお金である。

近年、地域通貨を仮想通貨化して地域共同体を守ろうというムーブメントが静かに浸透してきている。その代表例がオランダ発のQoinというプロジェクトだ。

  

出典仮想地域通貨Qoin公式(本部オランダ・アムステルダム)

ビットコインと地域通貨の違い

サイトは読みやすい簡潔な英語で書かれている。ちょうどビットコインとの対比が述べられている文章があるので読んでみよう。

Are community currencies the same as Bitcoin?
Cryptocurrencies like Bitcoin are a subcategory of community currencies because they are not created by banks and do not have the status of legal tender. To be precise, Bitcoin is a digital currency operating worldwide in a decentralised and distributed way. Thus, it allows to carry out transactions without requiring banks as intermediary. Bitcoin is created by making computers solve very complex mathematical (cryptographic) problems, and nobody controls it.

The community currencies operated by Qoin are also digital, but in contrast to Bitcoin are based on a real community bond between the users and are controlled by community managers who ensure they are used for the objectives they were set up for. In addition, the community currencies operated by Qoin address concrete issues in society and are subject to the regulations of the country where they are implemented.

出典QoinサイトFAQページ

「地域通貨とビットコインは同じものですか?」

「ビットコインのような仮想通貨は、銀行によって創造されず法定通貨の地位にないという意味では、地域通貨のサブカテゴリーと見なせます。ビットコインは分散ネットワーク上で非中央集権的に処理され、世界規模に普及しているデジタル通貨です。そのため銀行を仲介せずに決済処理を完結させることができます。ビットコインのブロックチェーンでは、コンピュータに非常に複雑な数学(暗号)プログラムを処理させて新たなコインを創造しますから、そこに直接人間は関与していません。」

「Qoinが運営している地域通貨もデジタル通貨ですが、ビットコインと大きく違うのは人間同士の契約に基づいて発行したコミュニティ債を信用の担保としている点、また通貨が目的通りに使用されているかどうかをチェックするコミュニティマネージャーが存在する点です。Qoinの運営する仮想地域通貨は社会の具体的な問題の解決に利用され、発行地域が属する国家の定めた法令に従っている点でもビットコインとは異なります。」


前回ゲゼルの例でも示したように、欧州には仮想通貨が登場する遥か以前から、このような非中央集権のお金を発行する動きが存在した。それだけ地域共同体が強い土地柄なのだ。

そこへ今度はイスラエル発のバンコール(Bankor)というイーサリウムをベースにした新たな通貨プラットフォームが絡んできているのである。

バンコールは仮想通貨共通プラットフォームへの挑戦

この仮想通貨の名前は、ブレントウッズ会議で大物経済学者ケインズが提唱した有名な超国家通貨決済構想バンコールにあやかっている。”Bankor” は “Bank” と “or”(フランス語でgoldの意)からケインズが作った造語だ。実はトコシエがバンコールに注目したのはそのせいではなく、バンコール財団にベルナルド・リエターの名前を見い出したためである。

リエターは通貨問題を考える上でキーパーソンの一人だ。以前紹介したNHK番組「エンデの遺言」にも登場し、現代の通貨システムを批判していた。リエターは19060年代ベルギーの中央銀行に在籍した頃、ユーロの前身に当たるECU通貨の基本構想に携わった人物である。ECUは、ユーロとは異なり、国家単位の通貨の上に欧州共同の通貨を置くという超国家通貨の構想だったのだが、様々な紆余曲折の果てに骨抜きにされ、国家通貨の廃絶を前提とするユーロに置き換わってしまった。

おそらくこのときの苦い経験からだろう、リエターは通貨テクノクラートのメインストリームの道は歩まず、オルタナティブな通貨の探求へ軸足を移していった。そして地域通貨の重要性を唱え始めたのである。

仮想通貨ネットワークの竹林構造化

そのリエターが財団に招かれたというのは、このBancorプロトコルという仮想通貨プラットフォームの仕組みが目指す先を示しているように思う。それは小さな仮想通貨と大きな仮想通貨の結合点をつくることで、仮想通貨全体の基軸通貨プラットフォームになることではないかと思う。

仮想地域通貨やマイナーなオルトコインでもビットコインやイーサリウムと交換できれば、仮想通貨の利便性は飛躍的に高まり、仮想通貨全体の信用度も相互担保の効果で上昇するだろうことは確実だからだ。一部のメインストリームな通貨だけが、仮想通貨取引所で投機のおもちゃと見なされている状況は明らかに初動時の混乱ではないか。

比喩的にいえば、バンコール構想は仮想通貨界全体の “竹林構造” 化の試みだと見なせる。竹林というのは地上に見える竹林の下に、巨大な根を網の目のように張り巡らせ、文字通り深く地に根差している。だから強いのである。そのような盤石な基盤を仮想通貨の世界に形成したいのではないかと思う。BancorとQoinの提携を知らせた記事から一部引用しよう。

出典“BancorとQoinは地域通貨プラットフォームを提供するために提携します”

Bancorは、地域通貨のロングテールをグローバルな通貨ネットワークに接続させることを目的とした最初のネットワークトークンとして機能するメカニズムとプラットフォームを提供します。第二次世界大戦中にケインズによって提案された経済モデルにインスパイアされており、少数の人だけでなく誰もが恩恵を受けることのできる、より安定したグローバル経済をもたらすことができます。

字面を読むと何を言っているかわからない日本語だ。トコシエなりに噛み砕いて説明してみよう。キーワードはマーケティングの世界で有名な “ロングテール”(longtail) の概念だ。Wikipediaの説明を引用する。

参考wikiWikipediaロングテール

「オフライン小売店」と呼ばれる従来型の店舗を構えた形態の販売店では、商品棚の容量や物流上の制限などで売上げ成績の良い売れ筋商品を主体に販売するよう努め、売れ筋以外の商品(死に筋商品)は店頭に並べられないことが多かった。しかし、アマゾン社などのオンライン小売店は、無店舗による人件費と店舗コストの削減に加えてITの利用による在庫の一元化やドロップシップの導入などによる物流コストの極小化を進めた結果、従来型の小売店の制約に縛られず、普通に考えれば年に1個、またはそれ以下しか売れないような商品まで顧客へ提供することで、店舗を構えていたのでは実現不可能な大きな販売機会の取り込みを可能にした。このようなITを駆使した新たな物品販売のビジネスモデルを説明する時に使われるのが「ロングテール」である。

地域通貨のロングテールというのは比喩的な表現なのだ。わかりやすく言い換えると、ビットコインやイーサリウムなどの仮想通貨が売れ筋商品に当たる。アマゾンではこのような商品が売り上げの8割を占めるそうだ。

Qoinなどの仮想地域通貨は、Wikipediaにある “死に筋商品” に相当する。特定の客には売れるが全体としては在庫から排除されてしまうような商品群である。でも、これらの商品は流行に左右されにくく、長期的には大きな売り上げにつながる。

これで思い出すのは大学時代の古本屋巡りだ。当時はネットなどなかったから、絶版になってしまったマイナーな本を読みたくても図書館で探すか古本屋に探しに行くかしかなかった。現代ならアマゾンで検索すれば簡単に中古を買えるだろう。

これを一般化すると、何でも市場原理に任せればいいのかという話になる。本の中身の価値と売れる売れないは本質的には無関係だからだ。とても重要なことが書いてある本が、売れないというだけの理由でこの世から姿を消していいとしたら文化は蓄積していかないし、現在生きている人にも不幸である。隠れたお宝(hidden/secret gem)はどこに潜んでいるかわからないではないか。

バンコールは異種通貨間の流動性を提供する仕組み

ロングテールを残すというのは長期的な戦略なのである。地域通貨も同じだ。グローバリズム経済のなかで儲からない(あるいは儲けが薄い)というだけで埋没していく良い商品やサービスを地域で支える。採算を度外視して守りたい価値を護ることができるかもしれない。そうなれば地域の過疎化を防ぎ、土地固有の文化や価値システムを廃れさせずに済む。そういうグローバリズムとは異なる価値観が仮想地域通貨の底流にあると思われる。

具体的なお金の動きに置き換えると、地域通貨のネックは流動性(換金性)の低さにある。ビットコインとイーサリウムの交換なら容易である。しかしビットコインと地域通貨の交換は必ずしも容易ではない。ましてやマイナーコインと地域通貨の交換はさらに困難になる。

価格自動決定メカニズムによる欲望の二重一致問題の解消

以前の回で物々交換の難しさを説明する概念として “欲望の二重一致”(coincidence of wants)の問題に触れた、ここでも同じ問題に直面するのだ。小さな通貨や商品の場合、売り手の思惑と買い手の思惑が一致しないと取引が成立せず、そのまま凍り付いてしまう。

また、そもそも論として、仮想地域通貨のようなサブストリームの仮想通貨とビットコインなどのメジャー仮想通貨の橋渡しをするプラットフォームがまったく存在していないのである。これでは大企業や投資家だけの世界で完結してしまい、仮想通貨に入れあげる人たちが望むような、小規模な資本やサービスでも参加できるオープンで民主的な経済圏(仮想通貨界ではエコシステムという表現が好まれる)はいつまでも形成されない。序列化による寡占化の弊害だ。

このような事態を打開すべく独自の価格自動決定メカニズム(Bankor formula)をトークン(Smart Tokenと呼ばれる)に内蔵し、イーサリウム上のスマートコントラクトを介して実行させる仕組みを考えたのが、バンコールの開発者たちなのである。

もう一度小売りの世界に戻って考えてみよう。地域通貨やマイナーコイン、伝統工芸品や地域特産品を売る小売業者などはニッチな市場に過ぎない。しかし提供している価値の視点で見るとどうだろうか。

アマゾンで大量に売れている商品より、ある地方の特産品や腕利きの職人の作品の価値が小さいと言えるだろうか。必ずしもそうとは言えないだろう。問題は価値ではなく、流動性のネックによる市場アクセスの悪さ(グローバル化による大手資本の寡占でできた見えない参入障壁)にあることがわかる。

価値保存のイーサリウム準備預金と交換手段のスマートトークン

そこでバンコールは、流動性に関係なく通貨交換が可能な価格決定プログラムをトークンに埋め込み、欲望の二重一致の問題を交換から除去するとともに、取引所による仲介をも不要としたのである(仮想通貨の非中央集権の原則はちゃんと守られている)。スマートコイン自体の価値は、バンコールにリザーブされたコネクタと呼ばれる準備金(イーサリウム建て)が担保しているので大丈夫だ(いまは仮想通貨内の話だから、イーサリウムに法貨やゴールドより信用があるかどうかは問わない)。

バンコールの自動換金システムが広く利用されるようになれば、大小問わず様々な仮想通貨が共存できるし、仮想通貨そのものが都市部だけでなく地方へも普及していくきっかけになるだろう。

これ以上バンコールの技術的な仕組みや詳細の説明は避けるが、関心があれば以下の記事を参考にされたい。

</>バンコール開発元のベナッティ氏は、インターネットが “情報” 交換のネットワークを実現したなら、次は仮想通貨が “価値” 交換のネットワーク(Internet of Value)を実現すべきだと言っている。それが世界経済を真の意味で民主化させる。と。もしかしたら、いま騒がれている IoT よりこの “IoV” の方が将来的には根源的な問題意識かもしれない。

参考記事(いずれも日本語)
あらゆる通貨を交換可能に、2時間半で170億円を集めたベンチャーの野望(バンコール共同創業者 ガイ・ベナッティ氏)

Bancor プロトコル:Smart Tokenの革新性とは

バンコールは弱者救済なのか新たな中抜き業者なのか?

バンコールの試みは注目を浴び、歴代5位につけるほどの出資金を獲得し鳴り物入りで取引が開始されたが、現在は初値の半分程度の水準に低迷している。しかし着地点が遠大なところにあるだけに、それなりの進展と成果が現れるには時間がかかるだろう。

反対派からは、「これは単なる通貨スワップの仕組みではないか」とか「バンコール財団が新たなる中央集権の場になってしまうではないか」と批判されている。確かにそういう面も否めない部分はある。

しかし基本構想の時点では、明らかに仮想地域通貨など淘汰されやすい通貨を生き残させ、経済の多様性擁護を通じた独自文化の保守にあった点も真実と言えるだろう。だからこそ、あのリエター氏も賛同したのではないか。

どちらが真実なのかはまだわからないが、引き続き注目に値する試みだと思う。