【AIと通貨革命の到来】「英語とつきあう」を武器にして生き残ろう

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当サイトの趣旨

“This side helps readers meet the need of dealing with English as it becomes a hub of cross-cultural communication.
当サイトの名前が「英語とつきあう」となっているのは、以上の趣旨に基づく。

“deal with” と “cope with” の違い

“deal with” とは何らかの明確な(ポジティブな)結果を残すためにつきあうことを意味する。”cope with”、”handle” のような類語には、(結果は残せなくても)面倒や困難に対応するというネガティブなニュアンスがあるのに対して、もっと積極的な意味が含まれている。
対象(相手)と “うまくやる” というニュアンスだ。好きな “人とつきあう” ように “英語とつきあう” ことを目指しているわけだ。
ビジネスでも、買い物の値引きでもいいのだが、アメリカ人と何らかの交渉をしているとき、容易に決着しないことが多い。すったもんだのやりとりがあった末、落としどころを見つけたとする。
そのとき、”Deal?” と一方が問う。相手が “Deal.” と応じる。これで一見落着である。このことばは達成を含意しているのだ。
 同じ英語を学ぶにしても、イヤイヤ勉強するより、成果を目指しながら勉強した方がいいに決まっている。”We cope with English.” ではラチがあかないということである。

成果や解決の有る無しが意味の違い

せっかくなので以下のサイトの説明を参考にしてみよう。

Whereas in (using) deal with we solve the problem or resolve a situation, in using cope with …, we get through or manage a situation despite the problem (the problem still exists).
An important difference in usage is that deal with always takes an object – we have to say deal with *something* -whereas we can use cope without an object.

 “deal with” は必ず目的語が必要で、”deal with” の後、問題やトラブルは取り除かれている。これに対して “cope with” は対処はするが問題が解決されているかどうかはわからない。
また “cope” と単独で使える。”deal” は他動詞ではないので単独では使えない。

英語とつきあうから英語で知的武装へ

そもそも、あなたが「英語とつきあう」目的は何だろう?
自己実現?キャリアアップ?仕事?海外赴任?海外ビジネス?
上司が外人?外資系に就職?留学?研究?
コミュニケーション?海外の友だち?友達?異文化交流?趣味?
ぜんぶありだ。でも英語 “を” 学ぶ姿勢ではうまく行かない。
英語 “で” 学ぶ姿勢に切り替えよう。英語は目的ではない。あなたを生き延びさせる手段に過ぎない。あなたが英語で “何を” 学ぶかがいちばん大事なのである。

近未来はAIとブロックチェーンが秩序をシャッフルする

いま大変化の時代が庶民の眼にも明らかになりつつある。
  • AIが会社や役場や学校やお店に入ってくる。プロフェッショナルの仕事をどんどん奪い、別の新たな職業を生んでいくだろう。
  • クルマや電子デバイスに自動化技術が入ってくる。
  • 量子コンピュータが実用化する。人類のデータ処理能力は量子的飛躍を遂げる。
  • いろんな産業にブロックチェーンを基盤にする仕組みが出来上がって、ものづくりや物販や物流が大きく変わる。
こうしたすべてが社会に不可逆的な構造変化をもたらす。せっかく英語をやるなら、AIに評価される側ではなく、AIを使い倒す側に回らないと損だ。そのために必要なのは機械が持てない判断能力だ。知的武装しないことには質の高い判断材料は手に入らないだろう。
マスレベルの情報はフィルターかけまくりの情報だから、ノイズに近い。いかにノイズに左右されず、本質を見抜くかが問われる。
英語ソースを参照してそうした違いを判別できる能力、英語で生のコミュニケーションがとれる能力、内外の情報をもとに的確に判断できる能力などを身につければ、それは一生ものである。あなたは確実に有利に生きていける。

シュンペーターの動的世界観

こんな大変化は何百年に一度かしか訪れない。恐いが面白いではないか。
変化の時代に注目を集める経済学者がいる。20世紀アメリカのビッグネーム経済学者ジョゼフ・シュンペーター(Joseph Schumpeter)だ。英米ではマルクスやケインズなど比べようもないくらい、シュンペンターの影響は大きい。この人の考え方くらいは知的武装のひとつとしてわかっておいた方がいい。

経済は運動体

早い話が現在のネオリベラリズム(新自由主義)の主流派はみな彼の申し子といえる。イノベーション、技術革新、アントレプレナー、起業家、創造的破壊、信用創造、景気循環・・・シュンペーターなしには、テクノロジー四天王のFANG(Facebook、Amazon、Netflix、Google)も語れないのだ。

イノベーションと信用創造と格差拡大と

シュンペーターの特徴は経済を運体として捉える考え方だ。彼は経済的な均衡状態を「経済の死」だと考えた。経済はあまり退屈すると死んでしまう。
だから退屈と停滞をぶち破るイノベーションがどこかで起き、銀行家が彼におカネを貸し、ビジネスを成功させる。
イノベーションという創造が引き起こした創造的破壊が成功企業を押し上げ、次第に社会内に適応者と非適応者、勝者と敗者が生まれ、その格差が拡大するなかで経済は成長していくと考えた。
FANGの成長物語そのものではないか。FANGの起こした創造的破壊はもはや非IT系の巨人たちでさえ無視できない。

仮想通貨はイノベーションの好例

いまでいえばブロックチェーンの技術がそうだろう。ブロックチェーンは個々の要素となる技術、たとえば暗号化技術やP2Pの分散処理ネットワークなどは既存のものだが、それを誰も考えなかったおカネに結び付けた点が画期的だったのである。サトシ・ナカモトは中央集権的な権力が嫌いな自由人だから、おカネの自立も求めたわけだ。

景気循環と再びの停滞

しかしシュンペーターは資本主義はやがて死ぬと考えていたのである。なぜなら次第にイノベーションが陳腐化して企業が官僚化していくと社会から活力が失われ、不景気になって停滞する。成長の血液だった大量のおカネの返済が滞り、信用収縮が起こると、最悪の場合は強硬である。2008年のリーマンショックは記憶に新しいところだろう。
ところが「100年に一度の危機」を乗り越え、資本主義は生き延び、また大量のおカネを創造して現在がある。AIとブロックチェーンなど新イノベーションのおかげですぐには死なずに済むだろう。マルクスもシュンペーターも資本主義のしぶとさに関しては見誤っていたらしい。

 ネオリベとソーシャリズムが並立する時代

長々とシュンペーターの話をした理由は何かといえば、人々がそれと知らずに「入信」しているマネーゴッドのシステム(管理通貨制度)は、いつ壊れるか知れない不安定勝かつ問題含みの世界観で運営されている事実を知って欲しかったからだ。

シュンペーター自身は資本主義における貨幣の効用を大いに認めつつ、最終的には「成功ゆえに巨大企業を生み出し、それが官僚的になって活力を失い、社会主義へ移行していく」(先ほど引用したwikipedia項目)未来を信じていたらしい。

若年層の意識が社会主義へ流れている様子はない。でも、いわゆる勝ち組に入れなかった人々は今後もソフトな社会主義に強く引き寄せられるだろう(ベーシックインカム議論はその先ぶれか?)。その一方で勝ち組の側はネオリベ路線を突っ走る気だろう。ネオリベどころか、仮想通貨に夢見る連中はリバタリアンである。

でも強調したいのはそこではない。一見違って見えて実は思想が同じという部分に危うさを感じるのだ。ひとことでいえば、みんな唯物論なのである。マルクス主義の残り滓だ。ネオリベは偽装共産主義なのだ。その終着点は「みんなの自由がみんなの悪夢」の世界だ。

AIは勝者の道具?ブロックチェーンは?

AIは社会の勝者側に奉仕する道具の側面が強い。ブロックチェーンは敗者側のニーズで成長し、これから勝者側を巻き込もうとしている段階だ。
ビットコインという通貨機能に限定するなら、それは、これまで社会を牛耳ってきた第三者を介在させない通貨への挑戦である。ネオリベより過激なリバタリアニズムの思想をベースにしているだけに、本来なら保守層と相性がいいはずだ。アメリカの保守層は小さな政府、自助努力、自由の極大化を追い求める人たちだから、日本のような歴史の古い国とはぜんぜん違っているのである。

日本という国の役割を考えよう

次回の記事で紹介するが日本は世界でも数少ないEFL国だ。非西洋国の癖に母国語で高等教育を受けられる稀な特権(優位性)をもった強国なのである(関連記事【英語で読む世界潮流01】AI革命と人間のゆくえ、日本人の役割)。そのなかで「英語とつきあう」という鬱陶しい作業を何十年も行ってきた。

対米依存から対米補完の時代へ

この西欧近代に対する国を挙げての格闘の歴史と経験は、大変化の時代にこそ生きてくるはずである。
日本が少子高齢化で衰退するという論調は、AIもブロックチェーンもない時代の、官僚的に活力が内なわれた不況期の産物である。物事の一面しか捉えていないはずだ。むしろ少子高齢化はAI時代には先端トレンドを歩んでいると思う。人間インフレの時代は終わったのだ。
巨視的に歴史を眺めれば、日本とアメリカの間には何かが準備されていたとしか思えない。先般の戦争で太平洋を挟んで日米は衝突し、日本が負けて実質的な属国になった。その結果、軍事を負担しない代わりに日本には「英語とつきあう」ことが求められ続けた。向こうのルールの強制である。日本がものづくりの国として奇跡の復活を遂げたのも、アメリカの巨大投資のおかげである。
なぜ、赤の他人ほども出自の異なる英語とつきあう必要があったのか?敗戦国だからか?
そういうネガティブな側面も無視はできない。おかげで日本人には植民地根性に近い心性が定着してしまった。これは対米依存症の副作用であり、引き続き大きな問題である(関連記事プリンスの “Colonized Mind”)。

英語脳がカバーしきれない部分を日本語脳が補完する

しかし、歴史の宿命は日本人自らが乗り越えていくしかない。そう考えるとき、AIの登場で日本人にしかできない貢献を果たし始めるのではないかと想像する。
「英語で読む世界潮流シリーズ」で紹介するが、AIは到底ヒトにはなれない弱点を抱えている(関連記事:「【英語で読む世界潮流01】AI革命と人間のゆくえ、日本人の役割」)。
AIは人工的な “intelligence” であって、あくまで知能である。
それは知情意でいえば、知と意に相当する。まんなかの情がすっぽり欠落しているのである。これはキリスト教一神教文化のクセのようなもので、知能に代表される理性の世界(ロゴス)を扱うのは得意だが、情の世界(パトス)を扱うのが下手なのである。
AIの次のステップは、Artificial Consciousness(AC)の開発に移っていくだろう。
これは意識と呼ぶより、人間の感情や魂についての、情報技術的な探求が本格化することを意味する。その世界では、仏教の神道Mixという日本のハイブリッドカルチャーが大きくものを言うはずだ。
日本人が得意とする分野へ研究開発の中心が移っていくのだ。当然、学問の世界が再編成されるし、宗教の扱いも変わっていくだろう。
人間は無から何も始められない。日本人はそのとき初めて歴史伝統のありがたみ、本当の価値を知るようになるのではないか。
AI研究の最先端では、ACの開発をなかば諦めているらしい。意識はどうして発生するのか誰にもわからないので、アルゴリズムを酌みようがないのだ。
ブレークスルーが起き、知情意を備えたサイボーグは生まれるだろうか?その際、英語と日本語は象徴的にAIとACを代表することになるのかもしれない。

英語を通じて知的武装を強化し日本語脳を持つアドバンテージを活かそう

当サイトはみなさんが、こういうエキサイティングな時代のとば口で無用なコンプレックスを持ってほしくないと考え、日本人の誇りを噛みしめながら、英語という厄介な対象に向き合うことを手助けしたい。ある意味、「英語とつきあう」ことそのものが、日本人がサイボーグ実証実験を行っているようなものだ。
すでに林立する英単語やフレーズを学ぶサイトの屋上に屋を架すつもりはない。断片的に知識を仕入れても思想にはならないからだ。
それより歴史を学んだ方がいい。どんなに時代が進んでも、人間は過去を材料にして進むことしかできない。情報ストックを豊かに備えていた方が知的武装としては役立つのである。

主要テーマは時代潮流、お金、経済、歴史

たまに時事ネタも扱うが、当サイトの主な関心対象は、AIに象徴される未来潮流、それに関係する経済やお金の問題、そして大局を見失わないための歴史ということになると思う。

AIが活躍する時代こそ宗教を学ぶことが大事

とくに宗教にまつわる歴史は重要だと思う。どんなに文明が進展し科学が発達しても、人間は神というものを逃れられない。それは人間の根源的な恐怖と不安に根差しているからだ。
最もベースには強い動物に生存を脅かされ、動物への恐怖に支配されていた時代の記憶がある。生贄だって最初は動物に捧げていたのである。
人間が素晴らしいのはそこで諦めなかったところだ。群れを組み、技術を編み出し、道具をつくることで体力のハンデを克服していった。狩や採集のみに頼らない農耕技術の発明は画期的だ。特定の動物を手なずけ、家畜化し、ペット化していった知恵も脱帽ものだ。
やがて人間が動物への恐怖を克服し、村を営むようになると、狼やライオンの代わりに、集団内の傑出した指導者や英雄を崇めるにようになる。これが族長や王を発生させていく。
社会が国家になり、国家が統合されて帝国化すると、国家の壁を超える神が必要となり、普遍化された一神教信仰が生まれ、現在に至る。
しかしいつの時代も神とは人間が生きていくうえでの価値判断の基準であることに変わりはない。来世はないかもしれないが、あるかもしれない。刹那的に生きるのは勝手だが、来世があると仮定して生きてみるのは立派なことではないか。とことん客観的に映る自然科学だって、仮説を立てる前の、最初の前提は証明しようがない “信仰” に基づいているのだ。

新たな文化を生むために神という価値判断のシステムを学ぼう

これからはAIが人間の労働を部分的に代行してくれる。人間は益々自由に考える時間ができてヒマになる。素晴らしいことだ。ここ数百年は庶民に私有財産を与えるための格闘の時代で、いわば自由を下々へ普及させる時代だった。その弊害はカネ回りがいびつになって、自由を得るために不自由を余儀なくされる人間が増えてしまったことだ。時間貧乏の大量発生である。そのため一気にお金をもった教養のない人々が時代の文化程度を下げてしまった。
でも、これからは違う。若い人がダメな大人を乗り越えていってくれると見ている。とくに日本人は世界的にも文化程度がずば抜けて高い。ヒマになった若い人がどんどん世界が羨む文化を再創造してくれるだろう。
でもその前に、価値基準をどこに置けばいいかわからなくては困る。人間は過去との断絶からは何も生みだせない。過去の人間が考えてきたことは、何より宗教に明らかに刻印されている。神という価値判断のシステムを批判的に学ぶ意義は大きいと思う。